五章 暗中飛躍
非常に短い章ですが、また新しい登場人物が影を見せます。
夜陰も深くなり、王城の周囲にも幽寂な世界が広がっている。
大事件の知らせで、普段の数倍も騒がしかった白昼の喧噪も、今では静まりを見せている。
国の一大事という不安を抱えながらも、この時間になれば、ほとんどの者が睡郷に旅立つ。
しかし、王宮のとある一室には、まだひっそりと光が灯っていた。
「結局、見つからずじまいか……」
青蓮国の光真王の弟、夜真は落胆した。
黒い顎髭を撫でながら、彼は背もたれに体を預ける。
少々、良すぎる恰幅に、立派な椅子も、ミシッと鳴る。
「光斗さえ見つかってくれれば……。このままでは、白斗が王位につき、蘭白によいようにやられてしまうぞ」
大きな机を挟んで反対側に立つ貴先を、夜真はグッと睨んだ。
部屋は、それほど大きくはない。とはいえ、庶民の居間の二倍以上の広さはある。
部屋の壁には、金銀の枠で飾られた絵画がかけられ、壁際の棚には、多くの焼き物がならんでいる。
ただ、机の上の燭台の弱い光に照らされて、それらはうっすらとしか姿を現していなかった。
「申し訳ございません」
夜真から少し離れて立つ貴先の顔も、またうっすらとしか見えなかった
「ただ、しばらくして放った追っ手も、地仙居の手前に配置していた手の者も、なぜか光斗様を見つけることはできませんでした」
「やはり、【神の廊下】からはずれて、森に入ったとしか考えられんか……」
「おそらく。二日間、食料もなく、体力の落ちた状態で、迷いの呪いがあるという森に入ったのです。魔物が跋扈する中、光斗様の腕で、とうてい生きているとは……」
「仙人どもの手前、泰山を大々的に探索するわけにもいかぬしな……」
「はい」
貴先の顔が、闇の中でうつむく。
しばしの沈黙の後、夜真が円筒形の帽子をとって机においた。
そして、四〇過ぎた白髪まじりの髪を指ですいた。
「フフフ……。【才蓮】の血も絶えたか」
どこか自虐的で悲哀に満ちた夜真に、貴先は答えなかった。
光斗の母親で、第二后である才蓮に、夜真が横恋慕していたことなど、今はどうでもいいことだ。
才蓮も、三年前に死去している。
とうに終わった事なのだ。
「それで、例の医者の方は……」
「はい。死亡は、確認されました。その場にいたという、【西王界】の魔法を使う子供と、巨躯の剣士も探させております。どうやら、豊都に入ったようです」
「ならば、すぐに足取りはつかめるな。なにか知っているのかもしれぬ。急げよ」
「御意」
薄闇の中に、貴先は静かに姿を消していった。
◆
同じ夜。
蘭白は、白斗のベッドルームにいた。
女官たちをわざわざさがらせて、自ら白斗を寝かしつけた。
白斗と二人きりで、過ごしたかったのだろう。
豪勢な彫刻と、鮮やかな黄色い布に飾られた天板の下で、その愛しい息子も、今は静かに吐息を立てていた。
彼女は、ベッドの横のウッドチェアに腰かけていた。
そして、蝋燭の光が仄かに浮かびあがらせる、次期王の寝顔をしばらく見ていた。
ふと、今度は窓の外の星明かりを見つめる。
「光真様……」
まるで、星空に呼びかけるように呟いた。
その様子をベランダにいた白猫の目が、先ほどからずっと窺っていた。
だが、蘭白がそれに気がついた様子はない。
そして、もちろんその猫の目を借りて観ている者の存在にも、気がつくわけがない。
おもむろに立ちあがった彼女は、薄闇の中でベランダに続く窓に歩みよった。
白猫が、音も立てずにベランダから消える。
入れ替わりにベランダに出た蘭白は、丹で塗られた丸太の手すりまで近づいた。
手すりに両手をのせ、体重をかけるように肩を落とす。
見る見るうちに、肩が震えだす。
「光真様……やっと私の……」
星明かりのわずかな光の中、彼女の嗚咽の混じった声が小さく聞こえる。
そのまま、それはしばらく続いた。
「白斗は、あなたの……立派な二世でございます」
最後に、また星を見つめた。
そして、背筋をただすと、部屋にもどっていった。
「ふ~ん。あれが第一王妃か」
そこまで、彼女を観察していたのは、リエだった。
庇の上で、先ほどまで自分の目の代わりをしてくれた白猫を抱いて、少し肌寒い夜風に吹かれている。
傍らには、ソフィアもいる。
飾り気のない、体に密着した黒装束姿で、二人はそこに座っていた。
「しばらく見ていた結論。あれは、ただの女」
「はい。蘭白は、まちがいなく女性です」
ソフィアの答えに、リエはかるくうなだれる。
「そうじゃなくてさ……」
「ああ、性質ですね」
小声の答えに、リエはうなずく。
「第一王子の死に方が変だから、気になったんだけど」
そう言ってから、リエは少し考えこむ。
もしかしたら、第一王子の光斗は、泰山に行く前に殺されたのではないだろうか?
それに計画的なのであれば、光真王も殺害された可能性がある。
そんな突拍子もないことを考えたのは、あの助けられなかった医師の一件があったからだ。
もし、これが想像どおりならば、犯人としてすぐに思いつくのは彼女だ。
王位継承権がある第二王子の母親、蘭白が一番怪しい。
そう考えたら、いてもたってもいられなくなり、リエは探りに来てしまったのだ。
(だけど、蘭白は女……)
ただ、部下の中には、まだ幼い第二王子を王にしたて、取りいろうと企んでいる輩もいるだろう。
リエは、ソフィアに撤退の合図をだしながらも考えた。
(蘭白は関係ない? それとも王の死は偶然? ならば、あの医師は?)
結論が出る前に、リエはソフィアに抱きかかえられる。
そして、その場を飛び去ることになった。
「捕らえなくて、よろしかったのですか」
それを確認してから、隣の屋根にいた三つの気配が動きだした。
それまで、気配は完全に消えていた。距離が離れていたとはいえ、二〇〇歩離れた場所の気配を探れるソフィアさえも、その存在に気づくことはできていなかった。
「ここで騒ぎを起こすのは好ましくない。追え。泳がせて裏を探れ」
「はっ」
また主人公達が出てきませんでした(笑)。
しかし、次回は主人公達の話です。
同日、22時に公開です。