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なにもない六日の日  作者: 水無月旬
六日の日
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六日の日 エピローグ

 エピローグ


 高らかに汽笛が鳴る音がした。木の葉を揺らす風の音がざわざわと聞こえ、髪を揺らして通り過ぎる。

 辺りは薄暗かった。時刻は六時ごろで、夕日の染めたような真っ赤な色が映し出された山々から消えてゆき、夜の訪れを感じさせた。

 大井川鉄道千頭駅。俺は今その駅の前にいた。

 ぐるりと縁を作る駅前のロータリーは数台の休むタクシーと、店を次々に占めていく商店があった。

 そして俺の眼の前には、ここ数日間お世話になった時計が壊れている白いワゴン車と、その持ち主、お向かいの年上のお兄さん、そして俺の母がいた。

「じゃあそろそろ行くよ」

 俺は重たい荷物を両手に持ち、前のふたりに言った。お兄さんは、挨拶をして、車の中に乗り込んだ。気を使ってくれたらしい。

「じゃあね、母さん。また帰ってくるよ」

 目の前に居る小柄な母親に言った。並んでみると俺の肩くらいまでしか身長がなかった。あまりに小さかった。

「うん、体に気をつけるんだよ」

 と母さんはそれだけしか言わなかった。何かもの言いたげな顔を隠していても、それでも俺には母さんが気持ちを隠しているのが分かった。けれども俺はそれを訊ねたりしなかった。

また今度来た時にでもたくさん話そう。

 山が暗くなるとそれだけで、車の運転は危険になるので、俺の帰る鉄道がまだ出発しないが、早めのお別れをした。

 母さんが白いワゴン車に乗ると、それが動き出して、ロータリーを出て行く。そこから北へ行く道があって、それをまっすぐに走っていった。北へ、山を越えて、また母は帰っていった。

 一人になった。薄暗くて、近くの商店も閉まっているので、やることがなく、仕方なく俺は駅のホームに入ることにした。

 金谷行きの切符を買って、改札を通ろうとした。

 すると背後から声がした。

「市野瀬さん」

どこか聞いたことのある女性の声がした。屋根付きの駅の中にその声が響いて俺は後ろを振り返る。

 すると、そこから見えるロータリーの道に赤い乗用車が止まっていて、そして照明の逆光で一人の女性がシルエットで見えた。

 俺はその姿に心あたりがあって訊ねた。

「美星さん?」

 そう聞くと、そのシルエットは近づいてきて、少し肩に息を切らせながら俺の顔を見つめた。

 俺もそのシルエットに近づいて駅の屋根の真下に着いた。

 屋根の照明の光が真下に降り注いで、姿を見せる。

 髪が輝いて、少しおめかしした姿と、その女性の顔によく合う薄化粧。

 その姿が純粋に綺麗に見えた。

「はぁ、はぁ、間に合ってよかった」

 車で来たはずなのに、その女性は息を切らして、落ち着くと胸をなでおろした。

「どうしたんですか?美星さん」

 間違いなく東條美星だった。今まで見てきた彼女と様子が一変していたので、一瞬誰かと思ってしまったけれど、間違いなく彼女だった。

「あの、市野瀬さんに言いたいことがあって」

 そう彼女は言った。俺はその彼女の口調に歯痒さを感じた。

「年上ですし、『さん』は止めてくださいよ。せめて、君とか、名前で呼ぶとか…」

 初対面でいきなりため口を聞かさせた時の事を思い出すと変な感じである。

「じゃあ、一矢君、じゃなくて、やっぱ市野瀬君…」照明の光でよく分かる位に、顔を赤らめていた。

「それで、なんでしょう?」

「あの、お礼をしておきたくて」

「それでわざわざ来てくれたんですか?」

「だって、今日帰るって知らなかったし、急な話だったから」

「すみません、メールで済ましてしまって」

 俺は帰る前に、数日前、美星からメアドを受け取ったことを思い出して、お別れでもしておこうかと思ってメールをしていた。

「ううん、いいよ、こうして間に合ったから。今時間大丈夫?」

「十分くらいなら大丈夫です」俺はアナログ式の腕時計を見て言った。

 すると、彼女は少し深呼吸をして、そして俺の眼を見てきた。彼女の眼は真黒でよどみのない透き通った瞳をしていた。その眼がとても美月と似ていた。

「ありがとうございました」彼女は顔が見えなくなるくらいまで深々と頭を下げた。

「えっ?」驚きで声が少ししか出なかった。

 彼女は顔をあげて、そして俺の前で微笑んで見せた。

「美月の事と、お父さんの事。色々とありがとう」

「いや、そんなにお礼を言われるほどの事は…」俺は、緊張してしまって、手を後ろにやって頭をなでていた。

「いや、市野瀬さんが居なかったら、私もどうなっていたかわからなかった。お父さん、もう少しで静岡の病院に入院することになったから、二人でもう少し話してみる」

 彼女は目線を外して恥ずかしそうにそう言った。

「その方が良いと思います」俺は頷いて見せた。

 俺は時計をもう一度見る。どのくらいが経ってしまったのだろうか。そしてだいぶ時間が経っていることに気がついてしまって、なぜか心が落ち着いていられなくなった。

 そして徐に口を開いた。

「それで、小説の方はどうします?もう賞をとってしまった物は出版せざるを得ないと思いますが…」

「そうね、これ限りにするわ。残っている小説もそんなにないし、これは大事に保管しておく。他の出版社にも顔を一回出して、それでお断りします」

「はい、わかりました」

 そういうと、俺と彼女は黙りこくった。目の前に居るのに、目が合わせられなかった。

 もう一度時計を見ると、もう時間がわずかしかなくて、俺は俯いていた頭を上げていった。

「もう行かないと…」

 そう言うと、彼女はすぐに反応して、そして少し寂しそうな顔をする。

 最初に会った時はとても大人びた顔をしていたのに、なんだかとても子供っぽく見えてしまった。やっぱ二人は似ているんだな、と思った。

 なぜか胸の前で左手を大事に右手で包み込んでいた。俺はその手を見つめると、慌てて彼女は後ろに手を隠した。

「またこっちに帰ってきます。その時はまた連絡入れると思います」

 そういうと、少し彼女は明るい表情になって、何かを吹っ切った様だった。

「連絡だけじゃなくて、帰ってきたら会いましょう。最初に会った時から、市野瀬さん結構いいなって思ってたんですよ」少し意味深な笑みを浮かべた。

 俺はおろしていた重い荷物をまた手にもって、小さい方の鞄を右にもって、背中の後ろにかけて言った。

「冗談はよしてくださいよ。美星さんくらいの人ならいくらでも求めている人がいますよ。それに俺より歳上ですから」

「歳の事を女性に話すって失礼ですよ」

「あ、すみません」

「べつに、冗談じゃなかったのに…」

「え?」

「何でもないです。それじゃあまた」

 彼女は手を振った。俺は両手に荷物を持っていたし、電車の切符も持っていたので、手を振らず礼をした。

 振り返って、ホームに入っていく。

 俺はその時後ろを振り返る事ができなかった。俺でもよく分からなかった。

 結局は自分の事が一番よく分からないものなんだとこの時思った。

 重たい荷物を持って、ホームに行くと、線路に留まっていたのは、大井川鉄道の中でも珍しいSLが止まっていて、少し煙たい匂いがした。それでも懐かしい気分がして、俺はその立派なSLの顔をしっかりと見た。

 SLに乗ると、汽笛を鳴らした。ゆっくりとそれが進んでいき、リズミカルな音とともに、駅を離れていく。

 少ししんみりとした車内で、俺は静かにその音と、揺れと、外の暗い景色を見ていた。

 途中で見える集落にはいくつか明かりが通っていて、大井川を渡る鉄橋には照明がついていた。

 そして期間限定なのか、途中のトンネルがない山に沿った線路の所で、線路に桜の並木道が作られていて、いくつかの照明でライトアップされていた。

 俺は桜が好きではなかった。けれども、その桜が俺の門出を祝ってくれているようで、胸が高鳴らないわけがなかった。

 俺は思い浮かべた。

 色々な事を思い浮かべた。

 今まで想像もしなかったことを考えていた。

 俺のこれからの人生を浮かべた。会社を辞めて、作家になるのか、会社に一生通勤し続けるのか、それもいいな。好きな本が一生読める。

 結婚はするんだろうか?出来ればしたいな。どこの誰かと運命的な出会いをして、本当に好きになって、きっと美月も新しい人生でどこかできっといい恋をするんだ。

 子供も出来るのかな、できれば2人欲しいな、兄弟いなかったから。

そして皆を幸せにしたい。

 現実に戻れば、ただの想像に過ぎないけれど、俺は未来を変えられると信じているから。

 だって、なにもない六日の日を、俺にとって特別な日にしたのも自分自身だった。

 このことを何となく誇りに思いたい。

 こんな人生を歩いてきたけれど、今こうして前を向いている自分を誇りに思いたい。

 月が細く欠けている夜空の下。田舎の星空は何処までも美しく、そしてそれに負けない程綺麗な三日月が列車の窓越しに見えた。

 

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。

 

 春の風が吹いて、舞い上げるように桜の花びらが散る。そうしてこのSLは夢と供に新しい希望を運んで行った。


                            


                               了






すみません!完璧に投稿を忘れてました。


最終話なのに・・・笑


あとがきは来週活動報告のほうで書きます。

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