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なにもない六日の日  作者: 水無月旬
一日の日
13/31

一日の日 3


 何度も通ってきた山道を車で通る。昔はここの道で野生の猿を見た時なんかもあった。

 くねくねした道なので、助士席に乗っていた時は結構酔う事もあった。基本俺は酔いに弱い。

 途中で、うちとは違う別の集落を通った。広くもなく、狭くもなく、ただうちの集落よりは広いのは明らかだった。家の数が多いし、広い公園まであった。その公園を俺は久しぶりに見た。

 今回の目的の場所はこの集落にあった。丁度、うちの集落から山を一個超えた所にある。それほど小さくない山だ。

 一軒家が見えてきた。俺は近くの道に車を止めた。田舎なので、無断駐車に取り締まりにびくびくする必要もない。

 その家の前に来た。周りの家々よりよく栄えた二階建てで、軽トラックが近くのガレージにしまってあるが、それはあまり使われていないようで、窓に曇りがかっている。隣にもう一つ赤色の乗用車が止まっていて、それは新品さながらに手入れされていた。

 緊張の瞬間である。俺はその家のインターホンを押した。

 けれど返答は無し。家の中で物音がしなかった。

 俺はその理由を少し考えてみたが、何かと結論が出てこない。それにはいくつかの理由があった。

 今日は平日だから、この家の住人は家にいないのではないか、という事。しかし、この赤い乗用車。当人の車で間違いない。家に居る、という事で間違いはないと思うのだが…。

 俺はもう一度インターホンを押す。居留守を使っているのだったら、たぶん出てくれないだろうし、あまり急かすようなことはしたくなかった。ただ、急いでいるので、本心は出てきてほしかったのだが。

 少し失礼ながら、耳をドアにあててみると、何やら、家の中から物音がした。階段を降りる音だった。

 すると、半透明で色しか識別できないドアの窓から何やら人影が見えた。俺はその扉が外開きになるのを知っていたので、すぐさまドアから離れて、その人影がドアの鍵を開けるのを待った。

「どちら様ですか?」

 出てきた人は少し開け気味のパジャマを着た女性だった。

 俺は慌てて目を反らす。

 年齢は二十代前半くらいに見えた。初対面だったが、俺より年上であることは  知っているので、何とも言えない。ただ、若いお姉さんと言うのが一番いいだろう。

「いや、あの、市野瀬一矢と申しますが」目を反らしてものを言わないのは少し常識外れと思われそうだが、あとで気づかれてビンタとかまされるよりまだましであろう。

「市野瀬一矢ね?なんか聞いたことのある名前のような」

「東條さんですよね?」

「そうですけど…」相手は少し疑問に思ったようだ。

「あの、私、東條美月さんと高校時代の知り合いでして」

 急に相手の顔の曇りが取れた。

「ああ!思い出した。美月と付き合ってた人でしょ。あの子一度も私に見せてくれなかったものだからわからなかったよ。ささ、上がって。私、美月の姉、東條美星(みほし)

 彼女は俺の手を引いて家に入れる。

 俺はその時に彼女の開けた寝巻の上から、下着が見えそうだったのを必死でよそを向いて見えないようにした。

 彼女は気づいていないのだろうか…。


「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」

 彼女は最初からため口だった。そのせいで一回もお会いしたことがなかったのにも関わらず、もう既にあっていたような既視感が生まれざるをえない。

「コーヒーでお願いします」

「砂糖、ミルクは?」

「要りません」

 俺は懐かしい家に来ていた。この辺りでは珍しい二階建ての家。緑の山に囲まれた集落の一つ。俺の家とはバス停三つ分、徒歩で一時間の距離にある懐かしい家だった。

 その家にいたのは未だ気づいていないのか、開けている白色の寝巻を着た大人の女性。俺も十分に大人だが、俺よりもう何個か上の女性。けれど見た目は若く、そして何より元気ではつらつとした雰囲気を持っていた。

 彼女に家の中にあげられて俺はこの家のリビングへと足を運んだ。家の玄関の右側にリビングがあって、少し高級感のある時計、花瓶に活けられた造花。昔とあまり変わっていないような気がした。それに何よりこの部屋には生活感があまり感じられなかった。机には物一つ置いていないし、リビングから見えるキッチンには動かされていないような皿。けれど掃除はしっかりと行き届いているように思えた。

 すると俺は何か急な異変に気が付いた。

 あれ?ずいぶんといい匂いがするな。と思っていると、コーヒーの深い匂いが漂ってきた。

 そしてコーヒーの注文をしてからずいぶんと時間が立っていた。依然とその女性はキッチンに立っており、背中しか見えなかったので何をしているかがわからなかった。

「はいどうぞ」

 ずいぶん時間が経って、やっと彼女は湯気の立つ真黒なコーヒーをテーブルの上に置いた。

 低いテーブルの近くに居座るソファーに座りコーヒーを手に取って一口啜る。

 いい香りがする悪くないコーヒーだった。別に通じゃないから良さは分からないが、言うなれば若干普段飲んでいるインスタントコーヒーより酸味の強いコーヒーだった。

「どう?ハワイ旅行に行った友達からもらったコーヒーだけど、何コーヒーって言ったかしら」

「コナコーヒーじゃないですか?」

 なるほどだからか。

「そうそう粉コーヒー。全然粉じゃないのにね」

「コナコーヒーのコナはカタカナですよ」

「ああ、そうなんだ」

 ってことは…。

「豆を挽いたんですか?」

「うん、うちにコーヒーミルがあって、どうかな?」

「はいおいしいですよ」

 彼女は紅茶をすすっていた。たぶんコーヒーが苦手なのだろうか、コナコーヒーなんてけっこうお高いコーヒーを来客に飲ませるわけがない。増して誰だかよく解らないこんな男に。それでも結構上手な入れ方だな。彼氏にコーヒーが好きな人がいるのだろうか。結構きれいな人なので彼氏がいてもおかしくはない。指輪がしていなかったので結婚しているとも考え難いし…。数秒経ったあと我に返って、失礼な詮索だと自分で思った。

「父がコーヒー好きでね、昔はよく入れてあげたりしたんだけど…」

 なんだ、そういう事か。

 もう一口啜る。程よい酸味と苦みが鼻腔を刺し、ブラックなのに滑らかさがあった。

「で、市野瀬さん、今日はどのような御用で?」

 彼女は飲んでいた紅茶のカップを白い丸皿の上に乗せ、俺の顔を見ないでそう言った。

「あの子のお墓に?」

「それもそうですけれど…」変な言い回しになってしまった。

 嫌な空気が流れる。俺を見てくる彼女は何かもう見抜いているような気がしてならなかった。それでも余裕を見せている彼女には何か思惑がありそうな気がした。

「あの、私、東京の出版社で働いているのですけれども…」

 俺はおどおどと困惑しつつ話しても、今彼女の顔がきつくなったのを見逃さなかった。

「一言で申しましょう」

 生唾を呑む。とても喉が渇いたけれど、コーヒーを飲むすきが無いように思えた。

「東條美星さん。あなたですね、東條美月と名乗る作家は」

 彼女はやはり、と言ったご様子で未だ余裕が顔から見えた。カップを手に取り紅茶を飲む。俺は彼女の顔を反らさずに見続けた。

「そんな怖い顔しないで。それで、なんで急にそんな事を」

「去年から今年にかけて各出版社の新人賞をジャンル問わずにほとんど受賞した新人作家の話を会社で聞きました。もちろん私の勤めている出版社の新人賞も例外ではありません。そしてその新人作家の名前を聞きました。それが信じられない事にあの(・・)東條美月さんだったんですよ」

 彼女はまた紅茶を一口啜り、あの後ふぅと溜息をついてまたティーカップを戻して口を開いた。

「美月が死んでいるから私が彼女の名前を使って出したって言うの?」

「まあ単刀直入に言うとそうなりますね」

「東條美月なんてこの日本に何人でもいますよ」さっきのため口が自然となくなった。

「まあそうでしょうがね、でもこれを見てください」

 俺は黒い通勤用の布鞄を取り出した。勤め始めて買ってから一回もバッグを変えたことがないのでもう既にぼろぼろになっていた。

 そしてそのぼろい古紙の薄い匂いがするような鞄から少し色落ちがして薄い茶色になった茶封筒を取り出した。サイズはA4サイズの紙の束が入る位の少し大きめの封筒で、実際その封筒には厚くずっしりとしたものが入っていた。

「それは…」

 彼女はその封筒を見て息をのんだ。

「これはあなたが出したとされる新人賞応募の封筒です、中身もコピーをとって複製がこの中に入っています」

「これがどうしたって言うの?」

 これは上司大川に折り入っての頼みでいただいた東條美月の作品なのだ。封筒もそのままもらって、この作家の担当も、上に頼んで俺の仕事にしてもらえた。無理を言ったと思っている。家庭もないただの若い青年が、上司から仕事を奪うべきではないと思う。だけど自分がこの事を解決させたいという気持ちの方が強かった。昨日夜遅くに家まで来てもらって申し分のないけれど。

「これがあなたの物だという理由は三つ、一つはこの封筒の消印が川根本町町内の郵便局になっているという事」

「どういう事?」

 彼女は俺を不思議そうな顔で見上げて来るが、俺は逆に何故彼女がそんなことも知らないのかと、疑問に思うばかりであった。

「郵便局で押される消印には押した郵便局の局名がしっかり書いてあるんですよ」

「それが川根だったと?」

「そうですね、住所が書いてなくとも消印は残るんですよ、本当に良かったと思います」

 俺がそう勝ち誇ったように告げた。

 けれど彼女から返ってきた返事は結構辛辣なものだった。

「何が?」

彼女は少し口調を強めた。怒っているような感じがして少し俺は引き下がった。目つきが蔑むような眼だった。

それでも俺は引くつもりはなかった。

「私の出版社以外の新人賞応募はすべてデータ送信のできる新人賞だけでした。この一通だけ出した応募作品だけ、消印が残っていると思いますよ」

 そう、最近はネット社会も発達して、新人賞作品ですらデータ送信で応募できるようになっている。

 でも逆にデータ送信の場合、住所の記入は必須事項。だから彼女は日本の中で遠くにいる友達を選んでは住所を書いて送ったのだろう。実際話を聞いたわけではなかったが、その手を使わなければ応募も出来ないし、住所不明の情報もつかめない。いくつかの賞を結び合わせてやっと、同一人物が住所不明の作家だという事に気が付く。

 彼女はなぜか急に少し笑い出してこう言った。何故か人を馬鹿にしているような嘲笑う感じだった。

「でも川根に同じ名前の人がいてもおかしくはないでしょう?」

「まあそうとも言えるでしょう」

 俺は再び封筒に視線を戻して封筒の折り目を戻して開いて中を覗いた。覗いただけじゃなくその中からコピーした複製の作品を取り上げた。タイトルは「私が探偵を好きな理由」という小説だった。うちの出版社の新人賞がミステリ大賞だったから内容はミステリだった。日常の謎を追っている主人公の女子高生と、ホームズ役の男子高生のふたりの短編小説だ。

「この文を読んでください」俺は印刷されたコピー紙を指差した。

 東條美星はそれを覗いて首をかしげた。

 新人賞に応募された物語の一説だった。



 彼はこう言った。

「被害者から財布を盗んだのは三組の生徒で、その動機は学校の購買で買わなければいけないものがあった」

 彼が突発的にそう言ったので私はなぜそうなるのかが全解らなかった。

「なぜ三組の生徒が盗んだと分かるの?」私はそう尋ねた。

 彼はこう続ける。

「授業中に犯行可能なクラスは三組しかいなかった。トイレの方向と、階段の位置、そして各クラスの授業内容によってそれが明らかになる」

 彼の頭の回転は目を引くものがある。それが彼の良さでもあるのだった。



「これがどうしたの?」

「今から十年前くらい、俺が高校一年生だったころ、これとまったく同系統の事件が起こったんです。財布が盗まれる事件だった。俺は彼女、東條美月とこの事件の真相を説いて見せた。これを読んでみると、その推理の内容がまったく同じだったんです」

 彼女、東條美星は溜息をついて時間を溜めた。

「じゃあ、君はその小説を書いたのが私じゃなくて、美月が書いたものだってのも分かっているんだ」

 俺は彼女を睨みつけた。何故かわからないけれど、この文を読んで、東條美月がどのように原稿用紙に向かって書いていたかを想像していたら、急にやるせない思いがした。

「他の大賞の美月も彼女が書いたものなんですか」

「そうよ」

 そう彼女が応えた時、もう俺の頭の中は真っ白になっていた。

「いつから!」

気付いたら俺は声を張り上げた。

 俺の声の大きさで家の部屋が揺れるようにこだまして、彼女が目を見開いて驚いていて、静かになった時、家の中にある掛け時計の針が動く音が聞こえた。

「いつからって、ずっと前からよ。小学生の頃からあの子はずっと小説を書いてきたのよ」

「どうして?」

「それは小説家になりたかったからでしょう?」

「………」

「まあまあ、そんな怖い顔しないで。あの子はさ、恥ずかしがり屋だから、家族とかに夢を言ったことがなくて、美月自身ばれていると思わなかったんだろうね。でも私は知っていた。あの子がひそひそと小説を書き溜めていたことを」

「嘘だ!」

「父親も変な本書きの一人だったからさ、高校生の間は賞に応募できなかったんだろうね」

「嘘だ!」

 俺は頭の中でも同じことを言い続けた。そしてその上に彼女とのあの会話が頭に浮かんでは消えることがなかった。まるでコンピュータのバグのように消せなかった。

 あの日、俺と美月と出会った日の事を…。

「私はその中の一つをそのままパソコンに書き写したわ。何故かよく解らないけれど、彼女が貯めていた押入れの小説の一つ一つに応募する賞の名前、出版社、文字数の規制なんかが書いてあって、私は彼女の言うとおりにしたわ。まるで他人に出してもらうかのように丁寧だった」

 もう彼女の言葉など耳に入らなかった。まるで水の中に自分の身体が溶け込んでいるかのように体が揺れて、音が揺れていた。

 美星さんの姿を見るのも嫌だった。そしてこの家に今自分が居る事ですら嫌になった。

「すみません、今日はもう家に帰ります…」

「そう。そういえば、さっきの書籍化するんでしょ?だったらこのあとがき持って行ってくれない?美月が書いたやつだから」

 俺は心元なしに彼女からコピー用紙を一枚受け取って家を出ることにした。

「また来るとおもいます。一応あなたの担当ですから」

「はい、いつでも、担当さん」彼女は意味深な笑顔を向けていた。俺はそれを断ち切るようにドアを閉めて家から出て行った。

 

 俺は何とも言えない気分で車を走らせていた。蛇行する山道をガードレールから突っ切らないように安定した走りをしていた。

 父の二の舞をする気はさらさらなかった。



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