校内事件 2
その日の帰りの事だった。授業が終わって、退屈な掃除も終えて放課になった。
学校の大半の生徒はこれから部活動に精を出すわけだが、俺は特に興味を引くものがなかったし、第一さっき言ったみたいに、運動が苦手だったので部活動には入らなかった。中学の時は全校の生徒数が少ないために、部活動がほとんど成立していなかった。運動部は部活自体があっても試合はできないし、文化部もほとんど遊んでいるだけの部活だった。
だから俺は美月さんを待っていた。
あの日から、よく美月さんの家を訪れることが多かった。美月さんの降りるバス停で降りて、帰りは美月さんのお母さんが家まで送ってくれる。そんな感じだった。
学校では、美月さんは、恥ずかしいのか、下校の時以外はお互い一緒にいることが少なかった。何と言っても二人とも違うクラスなのだから仕方のないことだろうとは思うけれど…。
帰りを待つときも俺は学校の校舎内ではなく、校門の前で待つことにしていた。そこなら学校内で美月さんと話すこともないからだ。
今日はなかなか待っても美月さんは来なかった。いつもなら最低でも校門前で待ってから二十分前後でここに来るのに今日は三十分経っても来なかった。何か用事でもあるのかな、それともただ放課後の掃除が長引いているのかな。
なんでもないだろうと思ったが、少し気になっていた。
それでも俺は校舎に戻らなかった。ここで校舎に戻ってしまったら、もしかしたら美月さんと入れ違いになって、余計ややこしくなってしまうかもしれないし、入れ違いになったらなったで、あまり長く待たせたから俺が先にもう帰ってしまったと思うだろう。田舎の高校だったから、今時お互い携帯電話を持っていなかった。だから連絡することも不可能だった。
俺は悠々と校庭に並んでいる葉桜を見ていた。
俺は桜が嫌いだった。
咲いているときには華やかさを見せているのに、短い見ごろが過ぎてしまう数日後には花びらの多くは散ってしまい、道端に落ちた花びらが汚くなって散らばっているのだ。
俺はそれが嫌いだった。何となく残酷な気がして、『栄枯盛衰』、儚さを物語っているのだ。
それに花が半分散った頃には花びらと緑色の葉が両方で咲き始める。俺はその光景も好きではなかった。春の終わりを告げて、次には初夏がやってくる。俺に春の暖かな匂いを感じさせながら春はどんどん流れていく。季節は時間を待たず過ぎていく。
はっきりとした季節が好きだった。だから葉だけ残った桜は嫌いではなかった。花びらがどこからも消え失せ、鮮やかに緑が染まって、樹の下から上を見上げると、太陽の光によって葉の葉脈が透けて生きている様子が見て取れる。
俺は今例によって、遠くから暖かな風によって葉の葉脈を見ていた。花びらのように散ることがなく、樹にがっちりとしがみつくようについている桜の葉を。
気分が落ち着いて眠くなってきた。体育の授業もあったし、それに春の暖かさがまだ俺を包み込むように感じられる。
待たせることは嫌だが、待つことは嫌いじゃなかった。美月さんも同じような事を言っていた。
どのくらい時間が経ったのだろう。生憎今日、俺は時計をつけてきていなかったので、流れた時間を知ることはできなかった。
ようやく美月さんの顔を見たのはずいぶんと時間が経った頃だった。時間が分からない方が逆に好都合だったのかもしれない。
「待たせてごめんなさい。先に帰っていてもよかったのに」
美月さんは暗い顔をしていた。その顔を見て、今日昼間に美月さんの顔を見た時の事を思い出した。
「いや、別に俺は良かったんだけどさ。美月さん、今日どうしたの?やけに暗い顔してるけど」
「いや、なんでもない…けど」
美月さんは俯いてそう言った。そんな事言われても余計気になった。
「何かあるなら俺でもいいなら言ってみてよ。そう言うのは人に言った方が楽になるっていうからね」
美月さんはこくりと頷いた。実を言うと、俺はこんな風に落ち込んでいる彼女と話すことがなかったので、どうしても話題が欲しかった。ずっと沈黙でいるというのはやはりつらいものだったから。
俺はバス停までの道のりで美月さんから話を聞いた。
美月さんの話を要約するとこうだった。
今日、彼女のクラスの五組で盗難事件があったという。盗まれたものはお金で、ある生徒の財布から千円札一枚が抜かれていたようだ。盗まれたのは美月さんのクラスの男子生徒で、事件が起こったのは、つまり盗まれたのは体育の授業の前の休み時間から次の休み時間までの間だという。
今日、美月さんが遅れてしまっていたというのは、クラスの中に犯人がいると決めつけた担任教師が彼女等全員を帰らせなかったのだという。
「とんだ仕打ちだね」俺は他人事のようにそう言った。
歩いていたら、トタン屋根のぼろいバス停に辿り着いて、丁度良くバスが止まっていたのを見つけて、俺と美月さんは乗り込んだ。
バスに揺られながら俺は美月さんと話していた。
バスには何人か人が乗っていたけれど、学校と全く関係のない老人ばかりだったので、そのまま話をつづけた。
「担任は信じなかったの?」
「うん、誰もやってないのに」
「ひどい話だね」
「うん。でも最後は信じてくれたみたい」
「じゃあ、誰がやったんだ?」
俺は少し考えたが、すぐに断念した。なぜなら、俺が犯人なんて分かるはずもないからだ。全校生徒が500人以上いるこの学校で、盗難事件が起こっては流石に犯人を見つけ出すのは不可能だろう。
そんな俺の心の中を美月さんは察したのか、俺の方を見た後に、
「でも、犯人を絞り込むことはできそうだよね」と、そう言った。
俺に告げ口することができたからなのか、美月さんは少し機嫌が良くなってきたようだ。さっきより顔つきも明るくなってきた。
「絞り込むって?」
「消去法で、盗み出すことが不可能な生徒を候補から外していくの」
「それはできるかもしれないけど…」
俺は不思議に思った。美月さんが何かこの状況を少し楽しんでいるように思えた。
そんな少しでも楽しんでいる美月さんの期待には応えたいと思ったけれど、あらかじめ解き明かせない謎解きをやろうにも気が載らない。もう一度言うが、正解の可能性は五百分の一なのだ。
「じゃあ、少し考えてみよう?一矢君ってこういうの得意そうだから」
美月さんが今まで以上に話しているので、これはまたとないチャンスだと思った。
そして俺は推理を始めた。
「じゃあ、まず、事件を整理していくと、五組の男子生徒の財布の千円札が盗まれた。けれど盗んだのは五組の生徒ではないと仮定する」
どう考えてみても、五組の生徒が嘘をついている可能性もあると思うのだが、それは無視という方向で。
「大まかに、クラス単位で可能性を消去していこう」
美月さんはただ俺を見ていた。
俺はモスグリーンの通学用リュックサックの中からファイルを取り出して、要らないプリントの裏の白紙を上にして膝の上に置き、筆箱を取り出して、その中から鉛筆を取り出した。
「何をするの?」
「校舎の地図を書いてみようと思って」
俺は頻りに鉛筆を動かした。もう数日もこの学校に通っているので、校舎の地図は一応頭にインプットされていた。ただバスの中なので、バスの揺れで、自分の膝の上で書くと、筆跡がへろへろに曲がってしまう。
「下敷き使う?」
美月さんが通学に使っている黒色の皮の手提げバッグの中から無色透明な下敷きを出した。
「ありがとう」
俺はそれを受け取って、肘とプリントの間にそれを敷く。
大部分が描けた。まず東西に長い校舎を書いて、西側と東側の両方に廊下と階段を描く。階段は廊下と同じところにあって、階段を一階から二階へ上がる途中の踊り場から南側へ行けるようになっている。
そして一番西側の端にある一年一組から一年四組まで西側の階段で区切る。そして西側の階段から東側の階段まで一年五組から一年八組まで区切る。二階は二年生、三階は三年生の教室になっていて、教室の一も一階の一年の教室と同じように並んでいた。
そしてトイレを六ヶ所書き入れる。一つは一年四組の隣の教室、つまり階段の横にある男子トイレ、その真上の二階、三階にある男子トイレ、東側にある一年八組の隣にある東階段の隣の女子トイレ、その真上の二階、三階にある女子トイレ、計六つ。
「さてどうしたものか」
俺は考え込んで目を少しだけ瞑った。
「体育の授業の休み時間、盗まれた被害者が教室を出てグラウンドに出たのはいつか知ってる?」
「うん、その話がクラスで出たんだけど、その人は偶々教室から一番最後に出てきたらしいの。男子で集合が一番遅かったのはその人みたいだし」
一年の体育の割り振りは一組と二組、三組と四組、そして五組と六組と七組は合同に授業をしている。八組は理数科となっていて、単位数が異なっているので、単独クラス。今日の四時限目に六組である俺のクラスと体育をやったクラスに五組は入っている。
確かに男子で遅れてきた奴いたなぁ。しかも遅れてきたせいで体育教師に腕立てさせられてたし。あいつか被害者は。
特に特徴のある奴ではなかった。髪は短髪でやせ気味、部活動は確かサッカー部だったような。
運動部に入っている生徒は校舎の離れにある部室棟で体育着に着替えるらしい。確かその被害者は休み時間、部室でふざけていて着替えが遅くて遅れたとか…。
「だからその人は五、六、七組で一番最後に校舎を出た人なんだって」美月さんはそう言う。
「じゃああくまで可能性として、五、六、七組の生徒は白だね。美月さんの説明によると、被害者が体育のクラスで差後に校舎を出たことになって、女子は更衣室で着替えるし、まず教室にも入れないし」
「そうだね」美月さんは素直に聞き入れた。
次の消去に入らないと、彼女が降りるバス停までに解き終わらない。別に俺もそのバス停で降りるからいいけれど、バス停の中で解き終わりたかった。あと心配すべきはバス酔いだな…。
「そう言えば」
「ん?」
「こんな事訊いて悪いんだけど…美月さん、今日はやけにスカートが長いんだね」
本当はもっと以前から気づいてた。校門であった時から、昼はそんな違和感がなかったけれど、バスに乗って、隣に座ってみると、やはり美月さんのスカートの丈がいつもより長いことに気が付いた。
「あ、うん。今日、ちょっと肌寒くて」
「そうなんだ。今日風強いしね。風邪ひかないようにしないとね」
「うん」
俺はまた膝の上にあるプリントに目線を戻した。
「美月さん」
「なに?」
「入学したころにもらったクラスごとの授業の時間割が書いてある一覧って持ってる?」
「持ってるけど、それでどうするの?」
「次は授業中にものが盗まれた線を考えてみようと思って、たぶんこの考え方が一番有力なんじゃないかな?」
「どうして?」
「さっき思い出したけれど、美月さんが一番最後の校舎を出たと言ったその被害者は授業開始時間に遅れて集合してたんだよ。という事は休み時間そいつはずっと教室に居たことになるんだ。そんな状況に盗むことはできないから。そして体育の授業後の休み時間も生徒が早く戻ってくるから犯行は不可能になる」
体育の授業は、普通の授業より終わりが早い。五十分間の授業なのに、四十五分に大抵終わる。恐らく着替えの時間を考慮しての事だと思う。
「そうだね」
「そしてクラスごとの授業割り振りを確認するためには五組の密室を作るためなんだよ」
「密室?」
「いや、ちょっと探偵気取りになっただけ、ちょっとこれ見てみてよ」
俺は美月さんが鞄から出した授業割り振りの一覧を見て書き写す。見たのは今日、水曜日の四時限目の内容だ。
一年四組、数学。一年八組、英語。二年四組、地理。二年五組、保健。二年四組、古典。三年五組、現代文。理科系科目なし。
地図に各教室が四角の枠で書いてあり、各教室のその四角の中にこれらを書き写し、その地図の端っこに『理科系科目なし』と書いた。他人が見ると訳が分からないこの内容でも、俺にとってはずいぶんと事をいい感じに運んでくれた。
「これは?」彼女が不思議そうにその地図に書いてあるものを見て訊いてきた。
「犯行可能なクラスとその授業内容」
「なんでそれだけ絞れたの?」
「まずクラスの誰かが授業中に教室を離れる事が出来るとすれば、それはどんな時?」
「トイレに行ったり、具合が悪くなって保健室に行ったり」
「まずそうだね。犯人はまさにその手を使ったんだよ。そしてトイレに行くのには今あげたクラス以外のクラスの人がトイレに行った事を利用して犯行を行った場合、必ず他のクラスの前を通ることになるんだ。つまり犯人の動向がつかめてしまう。そしてその怪しい人物を見た人間はこう思うはずだ。あいつは何をしているんだ?と」
「本当にトイレに言った人はどうなるの?」
「無実は主張できるけれど、怪しまれる。犯行時間が定まってないから、それだけアリバイを証明するのも大変になる。だけど、今あげたクラスがトイレに行ったとするならば、トイレに言った人間が教室を出て行った、という事を知る人物は、そのクラスの生徒と、その時授業をしていた教師だけになる。他のクラスの誰にも見られることもなく、一年五組の教室へたどり着く」
「授業を確認したのは、そのクラスが教室で授業をやっているかどうかを確かめるため」
美月さんがそう口遊んだ。
「そう、まさにその通り。もし一年四組がほかの教室、例えば化学室なんかで授業を受けていたら、一年三組までもが犯行可能になる。問題は何故他の時間の授業ではなく、体育のある授業が狙われたのかという事。今あげた以外のクラスが犯行をしたい場合、そのクラスが犯行しやすいクラスの体育の時間を狙うはずだからね」
美月さんは納得したようにうなずいて、そのままプリントを見続ける。
「すると犯人がいるクラスは、一年四組、一年八組、二年四組、二年五組、三年四組、三年五組になるね」
彼女はそう言いつつも、推理の進みに驚いているようだった。俺自身は少し自信がなかったが、彼女が納得してくれているようで安心した。
「けれど、恐らく一年四組の人が犯人だと思う」俺はさらりと言った。
美月さんは驚いて、凝視していた図の書いてあるプリントから目を反らして、目を大きく見開いて俺を見てきた。美月さんがこんな活発な少女であると初めて知った。
「なんで、わかったの?」
「今まで上げてきた犯人候補はあくまでこの地図から推測しただけに過ぎないものなんだ。だけれど、一番単純な考えで、一年四組以外のクラスが全部白になるんだよ」
「単純な考え?」
「確かに二年生と三年生の四組と五組は道筋的に言うと犯行は十分に可能なんだけれど、一年五組の教室に行くにはわざわざ階段を降りて行かなければならない。何が言いたいかっていうと、教室から階段を降りる音が普通に聞こえてしまうんだよ。その階にトイレがあるのに、トイレに行くとの用件で階段を降りる音が聴こえたら、流石にそのクラスの人も不思議に思うはずなんだ」
「音を立てないで行けば…」美月さんは小言を言った。もちろんその質問を待ち構えていた。
「もう一度言うけど、犯人は恐らくトイレに行くと言った。音を立てないで階段を上るなんて時間のかかることはしないはずなんだ」
「上履きを脱いで、靴下で言えば大丈夫かも」
「その手もあるけど、まず第一に階段の二階と一階の間にある踊り場から繋がる廊下があるよね?そこから繋がる先の南校舎は知っている通りに職員室だ。その廊下は授業中であっても、何らかの用事で徘徊する教師も少なくない。教師に出くわしてしまう可能性も考えて、靴下で階段を降りるなんて変な行為をするのは危険度があり過ぎる。そんな奴如何にも怪しい奴でしょ?」
「そっか…」と美月さんはまた考え出して、「じゃあ、なんで一年八組は無しになったの?」と聞いてきた。
「こっちの方が単純さ、八組は五組から遠いからね」
八組から五組までは、七組と六組を通る。わざわざ犯行が五組だった点から考えて、八組の可能性は低い。
「そっか。そうすると…」
「一年四組になる」俺は言い切った。
「じゃあ整理すると、一年四組の誰かが、授業中にトイレに行くと言って、そのままトイレの方へ向かう素振りを見せて、五組のお金を狙った」
「そうなるね、トイレに行った人がいるかどうか確認をしないと本当の事は言えないけれど、居たらビンゴ、居なかったら見当違いってことだね」
美月さんは納得した顔をして黙り込んだ。もう用済みなのだろうか、でも彼女はどうするつもりなのだろう。
「そうなんだよね?美月さん」
「え?」
美月さんは一瞬時が止まっているような固まった表情をした。俺はその顔を、目をまっすぐに見つめる。
長く話し込んでしまったせいでもあるが、彼女、東條美月の降りるバス停にバスは到着した。バス酔いに弱い俺だけど、今回は酔わなくてよかったと思った。
バスを降りると、また春の終わりを告げる初夏に感じる植物の湿った臭いにおいが鼻に流れ込んできた。バスはそのままこのバス停を離れ、そして俺の眼の前には一つの集落があった。
俺と美月さんは歩き出す。彼女は今、機嫌がいいのか悪いのか分からなくて、少し俯いたまま歩き続けた。
「犯人、知ってたんだよね?美月さんは」
「………」
「俺の推理、あってるかな?」
俺はあくまで前を向いて美月さんに話しかけていた。少しわざとらしい言い方だったのかもしれない。
「なんでわかったの…?」
美月さんは少し震えているような声を出していたが、俺は彼女の方をまだ見ない。
「なんでって、気になる点はいくつかあった。最初は美月さんが事件の話をしてくれた時。担任の教師がクラスを信じてくれなかったのか?と俺が聞いたときに、美月さんは『誰もやってないのに』って応えたんだ。そこからまず疑問を持った。普通、犯人がまだ分からないんだったら『誰もやってないって言っていたのに』とかそう言う応え方をするはずなんだ。けれど美月さんは違った、まるで犯人が五組の中にいないという事を知っていたかのように」
「ただの言い間違えってこともあるんじゃ…」
「まあ、それだけじゃ流石に分からないよ。色々可笑しなところがあったんだ、美月さんの説明には」
「…他には?」
「被害者の時の話だよ。美月さんは、被害者は最後に教室を出たって言ってたよね?実はあれは嘘なんじゃないかって思って」
「嘘?」
「確かに授業から遅れてきた奴は居た。けれど、そいつは被害者なんかじゃなかったんだ。いや、実際被害者が誰かなんてのはどうでもいい話だったんだ」
「どういう事?」
「美月さんが一番わかってると思うんだけどな。具体的に被害者が誰かなんて事はどうだっていい。この場に必要だったのは、被害者が一番最後に校舎から出たという事、それと体育の授業に遅れた奴がいたという事。美月さんは一番最後に校舎から出た生徒が被害者だ、とういう嘘と、体育に遅れてきた奴が居たという真実を使って、俺をだまそうとしたんだね」
「だますって…」
「別に俺は怒ってるんじゃないよ。今はただ真実を述べていくことが大切だから続けるね。つまり何が言いたいかっていう事は、美月さんは分かっているんだと思うけれど、美月さんは俺に犯人を当てさせようとして嘘をついたんじゃないかな?」
「………」
美月さんは黙って歩き続けるだけだった。俺が言っている言葉は俺が聞いてもきつく聞こえるが、今は仕方の無い事だと自分でそう言い聞かせた。
「美月さんが嘘を言っていると分かったのは一つ。体育に遅れてきた奴が運動部ってことだったんだ」
「えっ?」美月さんは前を見ていた顔を上げて俺を見た。
俺はその視線をよそ目に歩き続ける。
「美月さんはまだ知らないのかもしれないけれど、運動部は着替えを部室棟の部室ですることが多いんだよ。そいつもそうだった。だから可笑しいと気づいた。体育に遅れてきた奴は校舎を一番最後に出てきた奴とイコールにはならない。そしてその時に美月さんがわざと嘘をついている。もっと言うと、美月さんがもしかしたら犯人を知っているんじゃないかと思ったんだよ」
「なんでそこまで分かるの?」
「どう考えたって今回の事件は体育の授業をうけていた五、六、七組の生徒が一番怪しい。けれども、俺は美月さんの説明で、その組を飛ばした。なぜなら、被害者が最後に現場を離れたから。けれども、その説明自体が嘘だと気づいた。だから美月さんは恣意的に、俺の推理を、犯人当てをその三組から除外しようとしたんだ」
「………」
「これが、一応俺の考えなんだけれど、あと一つだけ、美月さんがなんで犯人を知っていたのかという事」
「それは…」
「その膝の怪我だよね?」
「えっ?」
美月さんは慌てて下を見る。そしてその視線は右ひざに向かっていた。
「その長く伸ばしたスカートの下の怪我。それが元なんだよね?」
「どうしてそれを?」
「どうしてって、言われても見ちゃったから、としか言いようがないんだけれど、順を追って説明した方が良いかな?」
そう俺が訪ねると美月さんはゆっくりと首を縦に振った。
「美月さんが怪我をする瞬間を偶々見たんだ。体育の時、走ってたら、同じグラウンドで体育をしている女子が見えて、その時丁度美月さんが転ぶところを見たんだ。そして美月さんは保健室に向かった。保健室は南校舎の西側にあるから必然と西側の階段から繋がる廊下を通る。五組の教室は西側の階段のすぐ隣だから、その時に犯人を見たんだよね?昼に美月さんを見た時はスカートが長くはなかった。それはその怪我を隠す必要はなかった。そして今はスカートが長く伸びている。これはスカートを長くして、その膝の怪我を隠す必要があったから。あくまで嘘を嘘として通し続けられるように」
「それは、怪我事態を誰にも見られたくなかったから」
美月さんは必死で反論しようとする。けれども俺はその反論の反論もできるようにしていた。
「さっきも言ったけど、昼にはその怪我、隠されてなかったからさ」
そこまで言った時、美月さんの横顔からようやく口を開く瞬間を見た。
「一矢君を騙すつもりはなかったの。私が体育の授業で転んだときに、保健委員の子が保健室まで連れてってくれたの。一矢君が言う様に、東側の、南校舎に繋がる廊下を。その保健委員の子は気づかなかったけれど、私はその途中で五組の教室で、四組の人で見たことがある男子生徒が何かをやっているのが見えたの。それで、なんだろうと思ってたんだけど、放課後に盗難の話を聞いて…。だから昼は怪我を隠していなかったの。一矢君に嘘を通すには、その怪我を隠して、私が犯人を見たという証拠も消さなきゃいけないと思って」
「一つ訊いていいかな?」
「何?」
「なんで美月さんは犯人を知っているのに、俺に犯人を当てさせようとしたの?」
「それは…」
「それは?」
美月さんは一回だけ聴こえるような深呼吸をして、口を開いた。
「どうしたらいいのか分からなかったの。私だけが犯人を知っていて、それで私、怖くて言い出せなくて。一人でも真実を知っている人が心強くて、一矢君、頭よさそうだから、もしかしたら一矢君ならわかってくれるかもしれないって思って」
「そういう事か。じゃあ、美月さんが、俺が推理している間、つまり消去法の時には何も言わなかったけれど、俺が答えを出した後に、あれこれと聞いてきたのは、俺が何故答えに辿り着いたのか明確な理由を知りたかったから」
彼女は申し訳なさそうに頷く。
少しの間沈黙が起こった。横に並んで歩く二人の間には、足を動かすたびに聞こえる足音だけだった。
「美月さんはどうするの?」
「どうするって?」
「俺に犯人を当てさせて、俺にどうしてほしいの?」
美月さんは少し黙って、口を開く。
「…わからないよ。一矢君はどうするの?」
その言葉の返事に俺は何も厭わなかった。
「俺?どうもしないよ」
「えっ?」
「じゃあさ、一週間待っててよ」
彼女は声も出さずにただ俺の顔を不思議そうに見るばかりだった。
「動機はさ…」俺は少し考えて上を向いて呟いた。
美月さんは俺の声に反応して、顔を上げて身長差のある俺の顔を見てきた。
「動機はたぶん教科書販売なんだろうな」
「えっ?」
「今日の昼休みに買う教材のお金を忘れて盗んだんだろう」
「どうして?」
「最初、一番最初、俺が不思議に思ったことは、なんで千円だけ盗まれたことに、その生徒が気づくことができたのか、という事なんだ」
そう言うと、美月さんは少し考えた後、こうつぶやいた。
「たぶんだけど…千円しかなかったから?」
「たぶんそう思う。札が数枚あったら、普通疑問くらいは浮かぶだろうけれど、確実に盗まれたのかどうか分からないはずなんだ。けれど、その被害者は断言したんでしょう?という事はその被害者は財布の中に千円札が必ず一枚入っている事を知っていたんだ。それは恐らく昼に教材を買うお金」
そう俺が言うと、美月さんは何か言いたそうになって、それを飲み込んだ。それでも俺は気分が悪かった。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないんだけどね…」
彼女は眼を合わせなかった。歩いている足元をひたすら見続け、小さな歩幅を確かめるように歩く。
「その犯人は友達からお金を借りればよかったんじゃないかぁ、と思って」
俺は少し考えてから応えた。
「たぶんさ」
「うん」美月さんは慎重に頷いた。
「俺達と同じなんだよ」
「えっ?」
「まだ高校が始まったばかりで、お金を借りられるほどの信頼関係を結んでいなかったんだよ」
「うん…、でもなんでそれが私たちなの?」
「俺だって、クラスに友達ができたけれど、まだ俺だって借りにくいし、友達に言われても、まだ貸しにくいかな」
「うん…」
「それと同じように、美月さんは俺を頼ってくれなかった。つまり美月さんはまだ俺を信用してくれていない。まだそんな関係だったんだ」
俺は足元にあった小石を蹴り飛ばす。石はコンクリートの道路をはねて飛んでいって、少し前の所で静止した。
「私たちは…」
美月さんは小さい声で言った。もしよそ見をしていたりしたら聞こえないくらいだった。
「ん?」
「私たちは、信頼し合えるようになるのかな…」
美月さんは歩いた先にあった石をまるで俺の真似事のように蹴り飛ばした。彼女は力があまりないせいか、石は全然遠くの方へ飛ばなくて、すぐ近くに転がって、曲がって俺の前で止まった。
「それは、これからの俺達次第だよな」
俺はそう言って、美月さんがさっき蹴り飛ばした石を腰を曲げて拾い、並んで歩いていた道の真っ直ぐ前へ投げ飛ばした。
「俺は、なれると思う。少なくとも俺は美月さんの事、信じてる」
とても恥ずかしい一言だった。言うのにも精一杯で、「ありがとう」と言ってほほ笑んだ美月さんの顔を見て、胸が鼓動を打った。
また初夏のぬるい風が吹き抜け、春の終わりを告げようとしていたが、その風はさっき俺が投げた石と、放った言葉と供に突き抜けていく気がして、桜の花びらのように散り行く春より、葉桜のように生き生きしている夏を思い描いた。
「それより、膝の怪我大丈夫?」
そう返事の返答に「うん」と頷いた彼女の顔を俺は忘れないだろうと思った。
その次の週の水曜日、なぜかまた昼休みに、この間の財布の中身が変わっている事件が起きた。
どうやら先週と同じ被害者の財布に千円札が一枚増えていたらしい。
その日、試しに俺は四組の生徒に訊いてみたところ、四時限目の途中にトイレに行った生徒が居たようだ。その人は先週もトイレに行って、数学の先生に呆れられていたらしい。俺はそのどうでもいい話を聞き流して、丁度見据えた先に居た東條美月の機嫌の良い夏の日のような晴れやかな笑顔を見ていた。




