七.すずらん
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません※※
IKGビル研修室で、有生はキリコにメイクを施していた。
「今日は私がキリコさんにメイクを行いますから、これを参考に明日から毎日、ご自身でメイクの練習をしてみてください。」
有生は化粧道具一式と、シチュエーション別メイク本を何冊か見繕いキリコに渡していた。
「はい、わかりもした。」キリコは有生にアイシャドウを塗ってもらう間、目を瞑りながら答えた。
「そいにしてん、色ちゅうものは、手が込んじょいもすね。」有生は化粧をする手を止めた。
「色は…最大威力を発揮する一回こっきりの戦術なんです。力では勝ち目がない者が持つ最後の攻撃手段だと思って使用してください。」
有生はゆっくりかみしめるように言った。キリコは真剣なまなざしで有生を見つめ、「なっほど、わかりもした。」と答えた。
「有生さんも、色ちゅう戦術を使いやるんと?」
「はい。…ただ、色、とは言いますが、要は相手を油断させるための戦略なんです。私の場合は、身長が143センチしかありませんので…色仕掛けと言うよりも、子供に扮したり、着ぐるみの中に入っていたりすることが多いです。」有生はやや自嘲気味に答えた。
「ほおー、そや多才ですね。」キリコが感心すると、有生はいえ、と照れ笑いした。
「今日はこの後先生に会いに行きますから、キリコさんは色仕掛けの方を教わりましょうね。」
口紅とリップグロスを塗り終え完成したキリコの顔は、女の有生でも見とれてしまうほど美しかった。むしろ私のほうがこの色気の秘訣を教わりたいくらいだ、と有生は思った。
講習の時間になり二人は特別応接室と書かれた部屋を訪れた。ノックしドアを開けると、部屋にはローテーブルがあり、それを囲むように大きなソファーがコの字型に置いてあった。まだ誰も来ていないようだった。ローテーブルの上にはウィスキーグラス、ウィスキー、水、氷の入ったアイスペールとマドラーが置いてあり、さながら高級クラブのソファー席を模しているようだった。
「とりあえず座って待っていましょうか。」有生とキリコはソファーの真ん中に腰をかけた。ほどなくして「お待たせしましたー」と言いながら、ナイトドレス姿の女性が部屋に入ってきた。
有生とキリコが起立しその女性の方を向くと、女性はキリコを見るなり足を止め、口を大きく開いて驚いた表情を見せた。
「紅…緒…ちゃん?」女性がキリコに向かってそう言うと、「先生、あたいはキリコち申します。なにとぞご指導んほど、たのみあげもす。」とキリコは答え、頭を下げた。
三人はソファーへキリコを真ん中にして座った。50代半ばくらいに見える色の女性講師は「すずらん」と名乗り、元銀座のホステスだった。彼女がまだ現役のホステスだった頃、キリコの一周目の人格である紅緒がすずらんの働く店へ何度かヘルプに来たことがあり、二人には面識があった。
「そっか、紅緒ちゃん、あなたがここにいるってことは、あなた…死んじゃったのね…。」すずらんは涙を流した。
そしてそのあと40分をかけて、いかに紅緒が素晴らしいホステスであったか、どれほどすずらんが紅緒を可愛がっていたかを懇々と語った。キリコはすずらんの話をうん、うん、と相槌を打ちながら聞いていた。有生はキリコが銀座のお店でナンバーワン・ホステスだったなんて、どうりで並外れた美貌をしているはずだ、と思った。
「おはんのよな心優しか女性に可愛がってもらえたなんち、紅緒さんはさぞかし幸運じゃったじゃんそね。」キリコはすずらんの肩に手を添えて優しく語りかけた。
すずらんはキリコを見ると「紅緒ちゃんは、生まれ変わってもいい子のままね。」と言って笑った。
キリコは微笑みながら「さ、先生、今日はお酒でん飲みながら、紅緒どんについて語りもんそ。献杯じゃ」と言うと、ローテーブルに用意されていた酒を不器用にグラスへ注ぎ、有生とすずらんに渡した。
キリコとすずらんはウィスキーを宙に掲げて「紅緒どん(ちゃん)へ」と言い一気に飲み干した。すずらんがすかさずキリコの空のグラスに酒を作り始めた。
(…うん?これは…)と有生は思った。
キリコは大股でソファーに座り、すずらんはその隣から酒を渡していた。
「じゃっどん、すずらんさんに作ってもろたお酒は一段美味かですね。いい女は酒を美味もするものですねぇ。」
キリコがそう言うと、すずらんは「やだーお上手なんだからー」と嬉しそうに笑った。
有生はその光景を眺めながら(キリコさん…あなたがホステスにならないといけない場面ですよ!)と思った。
キリコの一周目が紅緒という銀座の元ナンバーワン・ホステスだったという話は、どこから漏れたのか、数日とたたないうちにIKGビル中に知れ渡った。
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