八.スケジューラー
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません※※
キリコがすずらんの下で色要員としての訓練を受け始めて一か月が経過した頃、ようやくクロエから本格的な格闘訓練へ参加する許可が下りた。
キリコはハヤトを連れ、足早にIKGビル2階の食堂へ向かっていた。食堂はファミレスのような雰囲気で24時間営業しており、部外者も利用できるようになっている。
「キリコ姉さん…本当に、行くんですか?」ハヤトが遠慮がちに尋ねた。
「当たり前やろ。こげん事は、ちゃんと面と向かって言とが礼儀ってもんじゃ。」
キリコは威勢よく答えた。
IKGビルでは、約200名の現場職員のほか100名ほどの事務方が勤務している。ちょうどランチタイムを外れていたので食堂は空いていた。キリコとハヤトは食堂の中へ入り、店内を見回した。
キリコの姿が現れた途端、食事をしていた50名ほどの社員たちは一斉に会話を止め、キリコの方を見た。
どこからか、ひそひそと「あれが噂の…」「綺麗すぎだろ」「漢な元ナンバーワンだ…」という声がした。キリコは「あ、おった!」と言うと、奥の席へ向かった。
そこには、健が同僚とランチをしていた。キリコは「おーい、健さーん!」と声をかけながら近づいた。
健はキリコたちに気づくと、表情を変えずに切れ長の目で近づいてくる二人を見ていた。健の向かいの席で一緒にランチを取っていた外国人の男性社員はわおー、と声を出さずに言うと、うっとりした目でキリコを眺めた。
「健さん、お食事中の所すんもはん、お願いがあいもして、伺いもした。話を聞いて貰えもはんか?」キリコがはきはきと言葉を発すると、健は「なに?」と短く返した。
「あたいら再来月、エージェント試験を受くっことにしもしたとじゃが、それまで、あたいとハヤトに稽古をつけてもれんやろうか?」
「…こん通り、たのみあげもす。」
そう言ってキリコは膝頭を離すイプの正座で床に直接座り、頭を下げた。ハヤトもそれに倣った。
店内はざわつき、笑い声も漏れていた。健は持っていたフォークを置き、席を立って頭を下げているキリコとハヤトの前まで出てくると片膝をついてしゃがみ、二人の目線と同じ高さになった。
「キリコ。」
健がキリコの名前を呼ぶとキリコは頭を上げ、潤んだ瞳で真っすぐに健の顔を見つめた。
「稽古の依頼は、スケジューラーに申請すれば自動的に俺のスケジュールに組み込まれるから、わざわざ頭を下げに来なくてもいい。」
愛脳テックHDグループでは、社員のスケジュールは全て個人別に、スケジューラーと呼ばれるAIプログラムが決めていた。
社員は自分が行うべき業務と希望の勤務および休暇日程、アポイントを取りたい相手などをあらかじめスケジューラーに入力しておくと、自動で毎日のタスクが組まれ、社員に個別に指示されていた。(あくまで提案という形で表示される。)アポイントをはじめ、急用や臨時の会議が入った際のリスケなどもスケジューラーがその都度自動で行い、当事者に通知される仕組みになっていた。
IKG社員はそれにプラスで個人の身体ステータスや成績、戦闘能力を見える化した数値データとも連動しており、本人が希望とする技術習得のため自動でトレーニングスケジュールが提案されていた。
また講師との個別トレーニングもスケジューラーを通して申請が可能で、承諾を得れば稽古日程が自動的に各々のスケジュールに組み込まれるようになっていた。すずらんのキリコへの色指導も、有生が代わりにスケジューラーを設定してあげていた。
エージェントクラスの者へも、個別に指導を仰いだり相談することが出来た。エージェントたちはなるべく時間を作り対応するようにしていた。つまり後進育成も、エージェントの仕事の一環だとみなされていた。
「うん、知っちょったじゃ。じゃっどん、先ず礼儀を通すとが筋じゃち思うたんじゃ。」
キリコは笑いながら答えた。
健はキリコにつられて僅かに口角を上げるとすぐ真顔に戻り「じゃ、稽古場で。」と二人に向かって言い、立ち上がった。
キリコも「あいがとごわす。」と言って立ち上がると、「健さん、ご礼にここはあたいが驕りもす!なぁーんでも好きなものを頼んでたもし!」と得意げな顔をして健の肩をたたいた。
健は自分の席のサラダランチ(=550円)をちらりと見たあと、「…ありがとう。」とキリコに言った。
エージェント試験は半年に一度、希望者がいる場合のみ開催されていた。合格基準は①スペシャリストとして専門スキルを習得していること、②格闘実技試験で最低一勝すること、③面接に合格すること、の三点となっていた。
格闘実技試験とはエージェントクラスから無作為に選出された者と三本勝負を行うことだった。合否は試合の「内容」を見て判断されるため受験者は三勝する必要はなかったが、三敗するとその時点で失格となった。
また三本の試合は徒手格闘を必須とするほか、一本は受験者が、一本はエージェントが異なる格闘スタイル(柔道や剣術、ボクシングなど)を指定することになっていた。
スペシャリストとしての専門スキル習得においては、それぞれの講師から合格認定を受ければクリア出来た。キリコの場合、専門スキルは「色」となっているのですずらんの承認があれば良かった。
ハヤトはこれから専攻を決めなければならなかったが、クロエから「爆発物処理」の専門スキルはどうかと提案があった。ネイルなどが上達するように、手先の器用さをプログラミングしてあったから、とのことだった。ハヤトは特に希望もなかったので言われるがままに爆発物処理の専門スキル講習を受けることにした。
ハヤトにとって格闘技術はまだまだ素人に近く課題は山積していたが、稽古で個人的に健と会えると思うことが大きなモチベーションにつながっていった。
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