三.薩摩キリコ
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません※※
クロエはラボ中二階のロフトで仮眠を取っていた。
紅緒とボディーガードの男性の脳内デバイス設定は朝9時までかかった。彼らのデータが読み込まれ、身体機能と同期するまで6時間以上はかかるだろうと思い、ベッドに入った。
「おーい」
下階から誰かの呼ぶ声を聞いてクロエは飛び起き、白のタンクトップとショッキングピンクのショートパンツ姿に鳥の羽を模したモコモコのスリッパをひっかけ、急いで階段を下りた。
「はーい、いま行くわ~」
クロエがロフトの階段からラボを見下ろすと、クイーンサイズベッドほどの大きさの作業台の上に紅緒とボディーガードの男性が上体を起こして座っていた。
紅緒は胡坐をかきながら、不思議そうな顔でガウンを半分脱ぎ、上半身を露にしていた。あられもない姿になっている紅緒を前に、ボディーガードの男性は両目を丸くさせながら手で口元を覆っていた。
酸素マスクを自分で外した紅緒は、美しく整った顔と濡れたように潤んだ瞳でクロエを見つめながら、
「おいはないも覚えちょらんぞ。一体ここはどこじゃ。」
「ないでおなごみてな身体になっちょっど?」
と、大きな声ではきはきと言葉を発した。
(ああ!薩摩隼人だわ!)
クロエは心臓がどきどきした。
愛脳テックHDが脳死した、または植物状態の人間の脳を修復つまり別人に生まれ変わらせ、グループ傘下の愛脳警護に雇用する裏ビジネスを可能とさせている最大の理由は、同社が諜報活動において数々の功績を挙げていたからに他ならなかった。
この会社には、非常に優秀で士気の高い諜報員を育成するための「秘策」があった。
それは、日本の歴史上に存在する数々の有能な武将や策士、カリスマと呼ばれる者たちの膨大な情報をシステムに学習させ、「リーダーシップと協調性に秀で、勇猛果敢な精神を持つ」人格を意図的に造り上げ、脳機能の修復を受ける者たちへ付与することだった。
脳機能修復により第二の人格を与えられた者たちは常に冷静でリーダーの資質があり、厚い忠誠心と折れない心を持っていた。その者達が率先してチームを率いることで全体のモチベーションが上がり、高いパフォーマンスを発揮することが出来た。
ただし人格生成においては相性が存在した。一度に何人ものキャラクターを混ぜ合わせると齟齬が生じ精神崩壊を起こすため、まず軸となるモデルを決め、そこにエッセンスとして様々なカリスマ的人物の要素を少しずつ足していくことで、精神の統一を図ることが可能となっていた。
その絶妙な匙加減で人格を配合する作業は、技術責任者であるクロエに一任されていた。
クロエは幼少期より薩摩隼人と呼ばれる薩摩(鹿児島県周辺)の武士たちに憧れていた。結婚するなら薩摩弁を話す人がいい、とも思っていた。今回、紅緒とボディーガードの脳機能修復が今までと違って実験的に見えたため、クロエは薩摩隼人の人格を多めに配分したとっておきのデータを男のほうに使用してみた。
それにより銀座の名店「クラブ セイリーン」の元ナンバーワン・ホステスの紅緒には、意図してか、はたまた何かの手違いで男性の、それも薩摩隼人の人格が入れ込まれてしまったのだった。
「あんた、見た目はちょっとだけかわいい女なんだけど、中に男の人格が入っちゃってるのよ。だから早くおっぱい隠しなさい、犯罪になるわよ。」
クロエは紅緒に告げた。紅緒はそうなんか、とうなずくと、ガウンの胸元を直した。
「そして、そっちのあんたには、見た目は男の子だけど、中に女の…乙女みたいな人格が入っちゃってるのよ。」
クロエは紅緒の隣で足を重ね人魚のように横座りをしているボディーガードの男性を指さして言った。
元ボディーガードの男性は、「ええ?」と驚き、自分が着ているガウンの胸元を開け、膨らみがないことを確認した。
「悪く思わないでね、あたしは指示書通りにやっただけなんだから。」クロエは肩をすぼめた。
「うん。おはんがおいの命、助けてくれたんじゃっど。感謝もしゃぐい。」
紅緒はそういうと、膝頭を離すタイプの正座に座り直し、頭を下げた。
(やだ、かっこいい!)
クロエは目を輝かせて紅緒の凛々しい姿を見つめた。
続けて紅緒はクロエに向かって「おはん、名前はなんちゅう?おいは…」とまで言葉を発すると、言い淀んだ。
「あんたたちの名前、まだ付けてなかったのよ。だから今つけるわね。」
クロエはそう言うと、元ボディーガードの男性を指さして「あんたは薩摩ハヤト。それ以外ないから。」と早口で言い放った。
元ボディーガードの男性改め薩摩ハヤトはうなずくと、だんだんとこの状況に慣れてきたのか、笑顔になった。
「あんたは…」
クロエは手のひらを上にひっくり返し人差し指で紅緒を指した。
「あんたたちはきょうだいってことで、薩摩…おごじょ、だと言いづらいのよねー。薩摩…焼酎?芋?うーん、なにがいいかしら。」
そういってラボを見回した。そして実験用品の棚に、焼酎とガラス細工のグラスが収納されているのを見ると「薩摩…切子か。いいじゃない。」とつぶやき、紅緒のほうに向き直った。
「あんたの名前は、薩摩キリコね。」
クロエに告げられると、元紅緒は「わかりもした」と笑顔で答えた。
「私の名前は天城クロエよ。クロエって呼んでね。」
「クロエはんか。綺麗な名前じゃなあ。よろしゅうたのみあげもす。」
紅緒改め薩摩キリコは、改めて深々と頭を下げた。
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