一.序幕
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません※※
銀座の名店「クラブ セイリーン」のナンバーワン・ホステスである紅緒は、その夜も太客の見送りをしていた。
黒髪を清楚にまとめ上げ、赤いカクテルドレスから艶のある肌をのぞかせている紅緒は170センチの身長にFカップの整ったバスト、加えて細いウエストに弾力のあるヒップと完成されたボディーラインを持っていた。その美しい顔立ちと抜群のスタイルに、すれ違う男性は必ずと言っていいほど振り返った。
また紅緒はナンバーワン・ホステスに相応しいほどのずば抜けた接遇力ともてなしの心を有しており、同業を含め彼女を知る誰もが「紅緒こそが『銀座の』ナンバーワンに違いない」と一目置いていた。
紅緒が見送っている太客は相当な地位を有しているのか、常にボディーガードを携えていた。彼らは店の前に横付けされた黒いベンツの前寄りと後ろ寄りで太客を間にして立ち、周辺を警戒していた。
太客はベンツ右側後方ドアの前に立ち、後ろから付いて来ていた紅緒と向き合うと「それじゃあ、また来週来るから。おやすみ」と別れの挨拶をした。
紅緒はきらきらと輝く大きな瞳で太客を見つめながら潤った唇に笑みを浮かべ「おやすみなさい、またお待ちしております」と答えた。
――――その時だった。
突然黒いセダンが二台、タイヤの擦り切れる音と共に現れ、太客が乗り込もうとしているベンツのすぐ前と後ろに入り込み停車した。
一瞬の出来事で、何が起こっているのかを誰も理解出来ていなかった。
ベンツの前方に停車したセダンの運転席から全身黒いスウェット姿の男が出て来ると、細長いノズルのついた拳銃のようなものを数発放った。音はほとんどしなかった。
ベンツの右側の路上はすぐに血の海となった。太客は頭に三発被弾し、うつ伏せに倒れて死んでいた。紅緒と、ベンツの前寄りにいたボディーガードの男は重なり合って倒れていた。二人とも、弾がこめかみを貫通し頭の反対側から抜ける際、脳の一部が飛び散っており即死だった。
襲撃したスウェットの男はすぐさま運転席へ乗り込み、ハイスピードで走り去った。
ベンツの後方で道をふさいでいた車も発車し、ベンツを追い抜こうとしたところにもう一人いたボディーガードが走りながらセダンへ近づき、運転席の真横から拳銃を何発も撃ち込んだ。
窓が割れ、セダンの運転手は血だらけの頭でハンドルにうなだれた。撃たれた運転手の体重で右側にハンドルが切られ、セダンはそのまま右回りに旋回すると、ビル前の電柱に正面から突っ込んだ。
車は減速することなく電柱を圧迫し続けた。やがてみしみしと音を立てて電柱は斜めに傾き、ビルの壁に衝突した。すると大きな火花が散り、送電線が焼き切れた。
足を止めて見ていた通行人はあぶない!あぶない!などと口々に叫んだ。
切断されたケーブルはぶらんと大振りに弧を描きながら宙を垂れ下がり、ベンツの隣に重なって倒れていた紅緒とボディーガードに接触した。
電線が死体に当たると、バチっと大きな音がして再び火花が散った。焦げ臭いにおいが周囲に漂った。野次馬は悲鳴を上げてその場から離れた。遠くのほうから救急車とパトカーがけたたましいサイレン音を鳴らして近づいて来ていた。
道路は逃げ惑う者と集まろうとする野次馬でごった返した。
混乱の中、紅緒に覆いかぶさるように仰向けで倒れているボディーガードの、背中の下から伸びていた紅緒の細い指先がぴくっと痙攣した。
―
港区海岸にある日出ふ頭のとある貸倉庫では、薄暗い豆電球を一つ灯して男が作業をしていた。高齢に見えるその男は、О字に湾曲した足の片方をアスファルトにずるずると引き摺りながら歩いていた。
倉庫の真ん中にはストレッチャーが二台並んで置いてあり、その上には黒い遺体収納袋が載っていた。
男が一方の収納袋のチャックを半分下げると、中から胸元が大きく開いた赤いドレスを着る紅緒の、端正な顔が出てきた。
「大したべっぴんだなぁ…こんな美しい女、見たことねぇ…」
男は震える手で紅緒の胸の谷間に指を入れると、ドレスの胸元をそのままゆっくりと下げた。そこには電極パットが貼ってあり、接続された携帯式ペースメーカーから電流を受け心臓マッサージを行っていた。
男はもう片方の手で酸素投与マスクを紅緒の口元に充てた。酸素ボンベがストレッチャーの下に設置されていた。
コツコツコツ、というハイヒールの音が近づいてきた。
やがてガタン、と開閉ボタンが押される音と共に、シャッターがキィキィと軋む音を発しながらゆっくりと上がっていった。
「うわっ!ホコリ臭っ!こんなとこ長居してたら臭いうつっちゃうわー」
ハイヒールの主はそう言うと、鼻をつまみながら倉庫の中に入ってきた。その姿は身長180センチ、(ヒールを含めると188センチ)筋肉質で細身の体型に医療用の白衣を羽織っていた。
「あんたよくこんなところにずっと居られるわねぇ、信じらんない。」
高齢の男は黙って頷き、クリップファイルを差し出した。ハイヒールの主はそれを受け取ると、ファイリングされた書類に目を通した。
「…男と女、二人ね。」
「おんなのほうは、有名人みたいだけどね…」高齢の男がようやく口を開いた。
「うちに来る人間はシャバになんて行かないからいいのよ。汚れ仕事やりすぎて外界に出られなくなるんだから。」ハイヒールの主はぶっきらぼうに言い返した。
「あと、ふたりとも、脳みそが欠けてるよ…」
ハイヒールの主は書類にサインをし、上から大雑把に高齢の男へファイルを突っ返すと
「実際、脳みそなんていらないくらいだから大丈夫よ。」
とつんとした態度で言い放ち、外で待機していた部下たちに手招きした。
そして彼らと入れ替わりにまたコツコツコツとハイヒールを鳴らしながら出て行った。
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