十七話 古巣
――カランッ。と、俺が扉を開くと玄関先に掛けられたベルが鳴る。
「あら、いらっしゃい! お客さん一人?」
カウンター越しの女は俺を見るなり、何処か潤んだ目を向けて歓迎した。
……此処に来るのも、五十年振りか。懐かしい。
あの頃と店の雰囲気は何も変わっちゃいないが、客はカウンターに一人だけ。
この店も、随分と寂れちまったもんだ。
「よっこら。隣失礼するぜ」
「……どうも」
俺が腰掛けるなり、隣の紳士的な男は小さく会釈する。
……一目で解った。こいつは只者じゃねえ。
それを証拠に、カウンターの上には随分と分厚く古臭い本が置かれている。
魔導士と言ったところだろう。それも手練れだ。
「泡麦酒をくれよ」
だからと言って事を荒立てるつもりもない。
それこそ俺がバリバリの現役だった頃は冒険者や魔族ハンターと言った、屈強な男達がゴロゴロいたもんだ。年甲斐もなく血が騒いだんだろう。
「ハイハイ。お客さん何か変わってるねー? 街の外から来た人でしょ?」
とっくに定年を迎えたくらいの女は口元のシワを歪ませて微笑む。
俺の事が分からないのも当然か。
あの頃に比べ、身長も縮んだし、体も枯れちまった。
それに、この女以上に俺の顔はシワだらけさ。
「まあな、後これ」
俺は徐に街の花屋で買った華を一輪、その女性へと渡す。
「……あら。スキャビオーサじゃない? ひょっとして兄さんってば、前にも来た事あるのかしら? オホホ、ごめんなさいね。もうあたしも歳でさ」
酒場の美人名物看板娘と言われたエディアは、五十年前の……あの頃の面影を残したまま少し悲しそうに微笑むと、酒棚の小脇に置かれた小瓶へ華を挿す。
その際、小瓶の隣にスキャビオーサの花束が挿された花瓶と、その花瓶の元に随分とボロボロに色あせた腕輪が目に入った。
「随分と昔々の……お前の姉さんに惚れてた男の一人さ」
「ヤダッ! 兄さんそうだったの? 姉さんったらあたしに負けず美人だったからね!」
異世界の花。スキャビオーサ。紫色の小さい花弁がいくつもついた華。
これは、イディアが好きだった華だ。
「まったく。ほんと……羨ましい人」
すっかりシワの深くなった目尻を下げ、エディアはイディアの腕輪を眺める。
「ああ、ごめんなさい。あたしったらボーっとしちゃって」
そして気を取り直したかのようにエディアは笑顔を取り繕い、仰々しく泡麦酒を樽杯へと注ぐと俺の前に置いた。
「失礼。今日は身内の方の命日だったんですね」
ふと、一連のやり取りを見ていた男が、エディアに声を掛ける。
「ごめんなさいね。お客さん初めてなのに辛気臭くなっちゃって」
「気になさらず。こちらこそ突然押しかけてすみません」
隣の男は穏やかな口調で答えた後、席を立つ。
その声は、とても冷たく、恐ろしくも感じた。
「ごちそうさまでした」
「ありがとう! この辺りはゴロツキも多いから気を付けて帰るのよ」
――カラン。とその男は扉を開くと、玄関先に掛けられたベルの音と共に、夜の暗闇の中へ消えて行き、それを見計らった俺は泡麦酒を片手に顔を上げた。
「……今のお客さんは?」
俺はなるべく声を潜めてエディアへと尋ねる。どうも、気がかりだ。
「さぁ? フラっと入ってきてね。それこそ昔は色々な人がひっきりなしにこのお店へ来てたけど、今は顔見知りばかりだから、少し気を使って疲れちゃったよ」
突然フラっと……。俺は煙草の煙を吐き出し、泡麦酒を喉に流し込む。
「それに、どうやって調べたんだか……。安村無敵の事を根ほり葉ほり聞いてくるのよ、それも随分と昔の事をね。理由は分からないけどさぁ」
飲み干した俺の樽杯にエディアは何も言わずに泡麦酒を注ぐと、自身のグラスにも瓶に残った泡麦酒を注ぎ、一気に飲み干していく。
「ヤダ。あたしったら。ふふふ、ダメね。覚えて無いにしても、何だか兄さんと話していると不思議ね。気が緩んじゃう」
「気にするな。それに、安村無敵って言えば……あの?」
あの日……。エディアの姉であるイディアを救えなかった事に罪悪が有る俺は、なるべく自身の素性を明かさずに尋ねる。
「そーそ。姉さん連れて旅に出る前は、此処で用心棒やってたんだから。それこそ五十年も前の話で、知ってる人は殆どくたばってるか、生きてても飲みにも来れないヨボヨボだって言うのにね。珍しい事もあるもんだわ」
「……ああ、俺もこの歳だ。よーく知ってるさ」
「そうね。怖くて明日の心配もしていた時代だけど、良い時代だったよね」
素性を明かせないのはもどかしい。そのもどかしさを、俺は酒と共にぐっと飲み込む。
エディアも、行き所のない悲しさやもどかしさを酒に流しているんだろう。
「けど今時、珍しい眼をしてたお客さんだったね。まだ若いって言うのに」
「どうしてあの男を見てそう思う?」
するとエディアは大口を開けて笑い、泡麦酒をぐっと飲み込んでいく。
「何となくねっ! そういう男は沢山見てきたんだ。何より、しょーもない勇者って人をずっと身近に見てきたせいかもね」
◇
…………何かが、引っ掛かる。
そんな心の突っ掛かりを抱えたまま、インツは夜の裏通りを歩いていた。
「安村無敵を探っていて、あの店に辿り着いた……」
街の商人や外から来た行商人。そして元冒険者やハンターや退役軍人。
なるべく高齢の人間へ、人魔戦線を体験してきた人物達へ、聞き込みを続けている内に、あの店へとインツは辿り着いていた。
「それに、安村無敵と共に旅をした大聖者イディアの正式な命日。何かが……」
当然、インツは店主であるエディアの素性も分かりきった上で、あの店へと脚を運んでいたのだ。記録では大聖者イディアの命日は七日後、それも聞き込みを続けている内に今日が本当の命日だと、先程の店主と年寄り客の会話でインツは確信を得ていた。
「大聖者イディアの命日。安村無敵の駆け出しの店、店主は大聖者の妹……」
ボソボソと、インツは思考を張り巡らせ、独白しながら夜道を歩いていた。
「おい、あんちゃん。ボソボソ気持ち悪いな飲み過ぎたか?」
「そのナリは貴族だろ? いいよな。俺らは泥水啜ってる時にお前は高い酒か」
……もう一度、あの店に戻って素性を探るべきか。
そうインツは判断し、ゴロツキの声など気にも留めず、踵を返す。
「……退いて頂けませんか?」
「退いてもいいけどよ、通行料払ってもらおうか」
「その綺麗な顔だと殴られた事もねえだろ? 泥水の味をたっぷり教えてやる」
インツは小さく嘆息し、腰に携えた魔導書を開く。
「……これも王政が生んだ染みの一つか。ならば、染みは綺麗に消さなければ」




