第五章 交錯 2
侑希と会わないようになって一週間が経った。時間は進んでいくが、それに似合った成果を全く出せない。裕貴は自分のそんな状態を情けなく感じていた。しかし、侑希が本当の無理難題を突きつけてきているのではないかとも考えていた。
侑希がどんな理由で裕貴と距離を置くことにしたのか。そんなことは想像を膨らませればいくらでも可能性が出てくるものである。裕貴がその中から正しい一つを選択できるはずがなかった。裕貴は侑希のことを全く理解できていない。そのことが露呈していたのである。
しかし、裕貴の考えや感情が変わることはなかった。裕貴は今でも侑希と会うことを目標にしている。そして何よりも、一週間が経った今でも侑希のことが好きなままでいた。侑希の顔を見ない時間が長くなると、それだけ侑希のことを考えてしまう。その循環に入って、裕貴の感情はより激しくなっていた。
とはいえ、裕貴が侑希に対する感情を昂ぶらせたところで、侑希が言っていたことを理解できるわけではなく、何かが進展するわけでもない。裕貴は新宿に通って侑希のことを探すほか、別の解決策を失った状態にあった。
その日の裕貴も、侑希の問題を考えながら人で溢れている電車に乗っていた。夏が近づいてきているため、電車の中の環境は悪くなっていく一方である。裕貴は考えがまとまらないことに腹立ちながら、学校の最寄り駅まで我慢した。ただ、裕貴の思考は堂々巡りしてしまっている。何か影響があるわけではなかった。
学校に着くと、裕貴は周囲の様子に目を向けることなく自分の座席に移動する。クラスの状況は裕貴の必要のない情報である。そんなことに頭を使っている暇はないと裕貴は考えていた。貧弱な裕貴の頭では、同時にいくつもの考え事をすることはできないのだ。
そのため、着席した裕貴に小森が話しかけてきたとき、裕貴は自分の思考を中断することになった。
「なんか最近、思い詰めた顔してるよな。何かあったのか?」
小森は最近の裕貴の変化を感じ取っていたようで、そんなことを裕貴に尋ねてくる。裕貴は特に何もないということを示すため、自然に振る舞った。
「別に何もないけど。……そんな顔してる?」
裕貴はわざとらしく質問する。小森が特に理由もなく言っているのであれば、すぐにこの話題を終わらせるはずである。しかし、小森はそんな裕貴に対してすぐに頷いてみせた。
「ああ、なんか周りのことには全く興味がないっていう感じ。別に大丈夫なんだったらそれでいいんだけど」
小森は、はっきりとした理由を持っていなかった。しかし、裕貴は小森が鋭い考えをしていると感じた。仮に小森がそんな状況にあったとしても、裕貴がそれに気がつくことはできない。
「……心配しないで良いよ。多分、バイトが最近忙しくて疲れているように見えただけだと思うから」
裕貴は適当な理由を作る。小森は裕貴に深く干渉するつもりはないようで、そんな裕貴の言葉を信用した。
「なら良いんだけど。じゃ、授業は寝るなよ」
小森は裕貴に対して持っていた疑問を解決することができたからか、忠告だけをして離れていこうとする。裕貴はそんな小森のことを見届けようとしたが、あることを考えて小森のことを呼び止めた。授業まではまだいくらかの時間がある。
「なあ、ちょっと良いか?」
裕貴が声をかけると、小森はすぐに振り返る。そして少し頬を緩ませながら近づいてきた。
「何だ?やっぱり相談したいことでもあったのか?」
小森は案の定といった様子で裕貴に言葉をかける。裕貴はそれに反応しなかったが、心の中で小森の人の心を読む力を賞賛した。
「別にそんなんじゃないんだけど……ちょっと見てほしいものがあるんだ」
裕貴はそう前置きして、自分の鞄を漁る。裕貴が取り出したのは、ファイルに綺麗に保管された侑希から受け取った紙だった。裕貴はファイルからそれを出すと小森に渡す。
「気をつけて扱ってくれ、大切なものなんだ」
小森は裕貴の注意を聞いて、ゆっくりとその紙に触れる。しっかりと持った後、小森はじっくりとその紙の観察を始めた。
「……これは何だ?」
「知り合いから貰ったものなんだけど、何なのかが全く分からないから聞いてみようと思って」
裕貴は小森に紙を見せた理由を告げる。小森は趣旨を理解した上で再度観察を行った。
「かなり繊維の粗い紙だ。一部千切れた繊維が飛び出してきてる。それに普通の紙みたいに白いんじゃなくて茶色をしているな」
小森は触った感覚とその見た目について感想と述べる。しかし、それは裕貴も把握していることであった。
「この絵は何だろう……升?」
「多分そうだと思う。何か液体のようなものが入ってるようだから酒升じゃないかなって思ってる」
裕貴は補足をする。小森はそれに頷いて、紙を裕貴に返した。紙を受け取った裕貴は自分でも眺めてみる。しかし、裕貴はこれが何を意味するのか分からなかった。
しかし、小森は少しの間考え込んだ後、とある可能性について示し始めた。
「よく分からないんだけど、もしかすると和紙かもしれない」
「和紙?」
裕貴は小森から出てきた単語をおうむ返しする。聞いたことはあったものの、それがどういうものなのか詳しく知らなかったのである。
「そうそう、今では紙を作るときに叩解とかサイジングとか機械で作ってるけど、昔は人が紙すきで作ってただろ。その昔のやつ」
小森は裕貴に簡単そうに説明する。しかし、裕貴は小森のその説明を半分以上理解できなかった。
「……そういう紙があるのか」
「俺だって別に紙の専門家ではないからはっきりしたことは言えないけどな。でも、今の紙でそんなにごわごわしているものなんてないだろ?だからきっとそういう類いのものだ」
小森は裕貴に可能性を示す。裕貴はそのヒントを得て、自分の携帯で和紙について調べた。それと同時に、クラスに授業開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「お、ありがとな」
裕貴は自分の席に戻っていく小森に礼を言う。そして、机の陰に携帯を隠しながら和紙について調べ続けた。
裕貴が調べたところ、侑希から渡されたこの紙は和紙と考えて間違いなさそうだった。
和紙の特徴として、繊維が長いことから強靱であることが挙げられていた。そして、産地によってその見た目が変わってくることも書かれていた。裕貴が持っている紙は茶色をしていることから、それも特徴の一つなのかもしれないと考える。
しかし、和紙の生産が比較的簡単になっている今、その色を変化させることは容易なことであるようだった。和紙は折り紙にも使われている。多種多様な色があったとしても不思議ではなかった。
ただ、その点に関して分からないことがあったとしても、裕貴は侑希が手渡してきたものがただの紙ではなく和紙だったという事実に興奮した。自分では気がつけそうになかったことを、小森が簡単に解決してくれた。それは複雑な気持ちになってしまう一方、喜ばないではいられないことであった。
侑希がこの紙を渡してきたのには理由がある。それをはっきりと確信した裕貴は、そのことを踏み台にしてさらに情報を得ようとする。崩れ始めた謎は、勢いで解いてしまうほうが良いと考えたのだ。
裕貴は授業中であることも気にしないで、今度は和紙の産地について調べ始めた。安易な考え方ではあるものの、その土地が関係している可能性は十分に考えられることだったのだ。
そして、さらに驚愕の事実を得ることになった。
裕貴が開いたサイトは、和紙の産地を紹介していた。そんな中に、見覚えのある土地を発見したのである。
桐生和紙。それは群馬県の桐生で作られている和紙だった。桐生川の水を使って作っているといい、裕貴はその文字に吸い込まれそうになる。そして、こんな偶然があって良いのかと思った。
しかし、裕貴が見つけたことは全て事実である。裕貴は興奮で思わず声を出してしまいそうになるのを必死に押さえて、続けて自分の頭を回転させた。
裕貴が侑希に桐生に行くともう一度会えるのかと聞いたとき、侑希はそれに反応しなかった。裕貴はその時のことを、自分が間違ったことを話していたから侑希が反応しなかったものだと考えていた。
しかし、それが的を射ていたために反応することができなかったのではないかと考えると、どうしてか辻褄が合うような気がしてならなかった。
裕貴はそんな自分の考えが正しいものであることを証明するために、最後の疑問である酒升について調べ始めた。これが桐生と一致する何かを示しているのであれば、侑希が裕貴に伝えようとしていた場所が桐生であると考えて間違いない。裕貴はそれを期待して検索を始める。
それから十分後、裕貴は溜め息とともに携帯をしまった。授業はすでに裕貴が理解できないところまで進んでしまっている。今更それを受ける気にはなれなかった。
酒升について、裕貴は桐生と繋がりがあるという明確な証拠を見つけることができなかった。酒升どころか、酒の生産地であるわけでもないようだったのである。
裕貴は期待していただけに残念に思ってしまう。ただ、侑希が待っている場所が桐生であると考えることは、冷静に考えると現実的ではなかった。
もし本当に侑希と桐生で再会できるのであれば、侑希が裕貴にこのような面倒なことをした理由がなかったのである。裕貴はすでに桐生という土地について知っていた。侑希の取った行動に整合性がなかった。
しかし、分からない以上変な結論を出すことはできない。裕貴は、もう少し色々なことを考えてから行動を決断することで納得した。そもそも侑希は、自分が抱えている問題について裕貴に理解して欲しいと告げていた。裕貴はそのことに関して、全く手を付けられていなかったのである。
結局、裕貴は決断することができなかった。何の考えもなしに桐生に向かうことは避けた方が良い。衝動的になりかけていた裕貴はそんな考えを最優先させることにした。
そうして時間は過ぎていった。




