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シャンパーニ伯爵令嬢となってから二年が経過した。その間、ニヴィルは十歳になり、わたしも後を追うように十歳になった。ニヴィルの誕生日パーティーは盛大に執り行われたけれど、わたしは頑なに拒否し内輪だけの小規模な形でお祝いをしてもらったのはいい思い出だ。
どうして嫌かって? そんなの簡単。
たぶん、こんなことになるだろうと思ったから。
「それにしても庶子の子どもを預かるなんて、奥様もお辛いですわね」
「本当に。私なら決して敷居をまたがせるような真似、許可いたしませんのに」
今日はお茶会をシャンパーニ家の庭で開催していた。少しの間、シャンパーニ伯爵夫人のマリア様が席を立った途端にこれだ。わたしは二年の間に言われ慣れたセリフを適当に聞き流す。この態度が気に入らないのか、悪態は続く。
「大体、あなたもあなたよ。少しは礼儀というものを学びなさい。私たちと一緒の席でお茶を飲むなんて、失礼にもほどがあるわ!」
「私が引き取って欲しい、とお願いしたんですよ。そして、今回の主催者である私が招いたんです」
ふふ、と笑いながらマリア様は言う。
近づいてきていることに気付いていなかったのか、貴族夫人はふたりとも飛び上がった。まあ、わたしは気付いていましたけど。教えてあげたかったけれど、口を挟む隙間がなかったから仕方がない。
「我が家には男の子ばかりで、可愛い女の子を娘にできて嬉しいんです。それで、何か」
言いたいことがあるのなら言ってみろ、と言われても言えるはずがないだろう。おふたり共に子爵夫人という身分なのだから。
さらに、引き取られてから知ったことだけど、シャンパーニ家は優れた騎士を輩出する家として貴族社会でもある程度の地位を有していた。
このふたりが喧嘩を売れる相手ではない、ということだ。
「い、いえ……ほ、本当に可愛らしいお嬢様で……」
「ねぇ、私も羨ましいと思っていて……」
さっきと言っていることが違いますけど、ご婦人方。
「そうですか? そう言ってもらえて嬉しいですわ」
ふふ、と笑いながらふたりに対し、重圧をかけていく。
怖いので止めてください、と目で伝えるけれど彼女の怒りは沸点を超えているようで難しい。背中から黒いオーラが見えた。
ここまで怒ってもらえるのは嬉しい反面、マリアさまの社交界での評価が気になってしまう。庶子を引き取った、という点で評判は上がった。代わりに伯爵の評判は下がったから、どちらかといえばマイナスでしかない。
こうなることは目に見えていた。
だからこそ孤児院で良かったのに、ふたりは家族としてわたしを迎え入れてくれた。
ただ、距離は埋められなかった。
一方的にわたしが。
抱きしめられることが怖かった。母としてマリアさまは接しようとしただけなのに。でも、怖くて身を竦めるばかりのわたしに「いいのよ」と笑いかけて許してくれた。
その時は嬉しくて申し訳なくて泣きたくなった。
ただ、マリアさまは親としての役目を果たそうとしている、という意味では完璧だ。
褒める時は褒めるけれど、ニヴィルと一緒に悪戯をした時は同じように叱ってくれた。そんな彼女のことを心の中では母と慕っている。
「オレのお陰だな!」
叱られる原因を山のように作る自称兄であるニヴィルに、胸を張って言われても嬉しくないし、感謝する気持ちも……まあ、まったく起こらないわけではないけど、本人には言えていない。
「おーい! ルティ、どこにいるんだー?」
自称兄のニヴィルがわたしを探しに来た。新しい悪戯を思いついたのか声が弾んでいる。マリアさまがいるから、来ないほうがいいよと思うけれど、この場で無用な発言はしたくない。
「ニヴィル、バラ園にいるからいらっしゃい」
「……げっ」
この一言でニヴィルの足は止まったのだろう。声がぴたりと止んだ。
とはいえ、ここで回れ右したところで逃げたこともついでに叱られるのだから、素直に姿を現わしたほうがいいというものだ。
そして、シャンパーニ伯爵家三男の登場に今日、招待されたご婦人ふたりは黄色い声を上げ、出迎えた。
黒髪が太陽の光りを弾き、天使の輪が浮かぶ。漆喰の色はマリアさま譲りで美しい。その瞳の色はおふたりの色が混ざり合ったかのような若草で、活溌なニヴィルに良く似合っている。まあ、お世辞抜きにしても格好良いとは思う。
「まさか母上がお茶会を開催されているとは知らず、お騒がせしてしまい申し訳ございません。ニヴィル=シャンパーニと申します」
最低限の礼儀作法は身についているニヴィルは軽く頭を下げ挨拶をする。
「ほほ、この子ったら妹ができたことをそれは喜んでいて。二年経った今もルティを連れ回しているんですよ」
マリア様……。
一瞬、招待客ふたりの頬が薔薇色に染まっていたのが一瞬にして、不可能と呼ばれる青い薔薇のように変化した。
「……へぇ」
三男の明るかった瞳に影が差す。
そう二年の間にこんな目をするようになってしまったのだ。
綺麗な真綿に包まれて育っていたはずなのに何があった、と言いたいほどに。できればこんな顔はさせたくないわたしは、彼の腕を掴み首をお横にふる。
「ニヴィル、そういうのわたしは望んでいないよ」
「ルティは優しすぎるんだよ」
マリア様はこんなやり取りを見て嬉しそうに笑っている。
兄妹のやりとりに絆されているのかもしれないけれど、お客様を接待しなくていいのだろうか。まあ、彼女の目的がなんなのか知っているからいいのだろうけど。
「あ、あの……私たちはこれで……失礼させていただきます」
「シャンパーニ伯爵夫人には大変失礼を……その、また次もお呼びになってください」
ふたりは自分たちの発言がどれほどの失言なのか身を以てしったのだろう。そそくさと逃げて行ってしまった。
マリア様はそれでもお見送りを、ということで席を立つ。代わりにニヴィルが座り、残ったお菓子に手を伸ばした。仕方がないからわたしがお茶を入れてあげる。
「これでお茶会はお開きだろ? この後さ、森に探検に行こうぜ」
「また? 怒られるよ」
ニヴィルのいう森、というのは王都の西の外れにある『白亜の森』と呼ばれている常に白い霧に覆われた場所だ。
精霊や魔物が好んで住むため基本的に立ち入り禁止だけれど、剣をたしなむ者の格好の腕試しの場としても知られている。まあ、暗黙の了解で解放されている遊び場といったところだろう。
「平気だって。バレなきゃいいんだからさ」
ぐいっ、と入れ立ての紅茶を一気に飲む。お湯は冷めていたから火傷はしないだろうけど、マナーはどこにいったんだ。
「あの方たちは駄目ね。残念だけれど」
戻ってきたマリアさまは伏し目がちにそう告げ、気分を入れ直すように手ずから紅茶を注ぎ満面の笑顔を、クッキーを食べていたニヴィルに向けた。
「それで、ニヴィルは何をしに行くつもりなのかしらね?」
「ぐふっ!」
紅茶を飲んでいたところに話題を振られ焦ったのだろう。口に含んでいた紅茶が吹き出す。
「……ニヴィルは素直でとても良い子ね。でも、私を余り怒らせないでね?」
「わ、分かってるよ」
唇を突き出しているところを見れば納得していないのはバレバレだ。
二年という間に黒い一面を見せるようになったけれど、あまり変化がない。
かくいうわたしも同じことが言えるので、本人に言うとお互い成長しないな、と言われるのが落ちだけど。
「奥様、急ぎの手紙が」
シャンパーニ家に長年仕える執事がシルバーのトレーに手紙とペーパーナイフを乗せ、やってきた。普段から無表情を貫いているけれど、今日は無理矢理作っている印象がある。
どうしたのだろうと見つめていると、手紙を受けとったマリア様の眉をひそめた。
「……そう、もうこんな時期なのね」
封を切らずとも中に入っているものが分かるのか、彼女は美しい手の中で封筒を弄った。表面がマリア様に向けられた時、封蝋が目に入る。
それがどこかしこで見る、恐らくこの国で最も有名な双頭の鷲と天を貫く山を象った紋章。
オルグッシュ王室からの手紙。




