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第27話「全ての感情の中で唯一明確にそれだと認識出来るもの、それが怒りである」

 とはいえ、この世界には悲しい話ばかりしか無いという訳ではなく、有難いというか、俺にとって都合の良い話だってきちんと実在はしている。則ち、ふとした時にその様な事を考えてしまう事自体はある意味では防ぎ様が無い事ではあるのだが、その思考を続けている事で味わう事になる不安感、或いはそれに伴う肉体の状態が続くと不味いという事は俺の肉体も本能的に分かっているのか、少なくともこれまでの大体の場合に於いては、一度思考の内容を切り替えた後は暫くその類の思考が浮かんで来る事は無かった。


 尤も、この類の恐怖に苛まれるのは多くの場合眠りに就く時なのだから、本当に俺にとって都合が良いというのであれば思考を空にして眠らせて欲しい、というよりもそもそもその様な思考を勝手に脳内に浮かばせないで欲しい所なのだが、悲しい事に俺の肉体は結構な頻度で俺の事を裏切って来る様な相手なので、そんな事は期待するだけ無駄というものだろう。


 というのも、頻度としても度合いとしてもその裏切りの最たる例として、明らかに腹痛と便意を覚えてトイレに向かったにもかかわらず、結局数十分粘った挙句に出ないままで諦める羽目になるという事を、俺はこれまでに数えきれない程度には味わっていた。しかも、最悪それ自体は我慢出来るとしても、トイレを出た直後から再度それらの感覚を蘇らせて来るというのは、最早明確に俺に対しての悪意を持っているとしか思えなかった。


 などと、自身の肉体との過去の思い出を振り返っていると徐々に怒りが湧いて来るが、無論それを解放して相手にぶつける事には何のメリットも存在しない、というよりも寧ろ俺にとっては純然たる損にしかならない。それは現在の自身の目的、則ち仮眠を取るという事とその行動に伴う興奮が相反するものであるという事もそうだが、自らの肉体を傷付けるという事が損にならない事の方が珍しいだろう。


 しかし、その事を理解出来るだけの冷静さと思考力が未だ残っていた事は幸いではあったのだが、それ故に行き場を失ったその感情を処理する事は叶わず、その怒りが徐々に増して来た俺の精神状態は最早仮眠を取るどころではなくなっていた。


 つまり、もう無理して眠ろうとするよりも何かしらの作業、それこそ仕事である執筆でも始めてしまった方が賢明であるという事は明白なのだが、それでも俺は頑なに目を閉じたまま横になる事を止めなかった。


 というのも、実際の作品の出来がどうなっているかは作者本人である俺が判断すべき事ではないが、少なくとも執筆の最中の手応えというか調子に関して言えば、睡眠が不足している時にはそうでない時よりも明らかに悪化する割合が高いと感じられていた。


 尤も、そもそも最近は寝付きも悪く、漸く眠れても短時間で目覚めてしまう事も少なくない為に、その様な状態で執筆をするという事自体はそう珍しい事ではないのだが、今日からは、いや少なくとも今日だけは、可能な限り納得が出来る状態で作品を執筆したかった。この場所に帰って来た事が、間違いではなかったのだと思う為に。


 ともあれ、人体というものは摩訶不思議な物であり、丸一日以上も寝ておらず極端な眠気を催している

様な時を除けば、どういう条件やタイミングでそうなるのかはこの歳になっても未だ分からないままだが、こうして怒りを抱えたまま無意味な思考に没頭している内に、いつしか俺の意識は薄れていき、やがて闇の中へと溶けていった。

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