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第2話「本当の意味で驚いた時、人は妙に冷静になる事もある」

 それから暫しの間、俺は息をする事すら忘れて眼前の少女から目を離せずにいたが、それまでは見覚えのある微笑みを浮かべていた少女がやがて目に見えて狼狽え始めると、それと反比例する様に幾分かの冷静さが戻って来る。


「若菜……なのか?」


 それによって漸く思い出した呼吸を一度挟み、目の前の少女に対してそう問い掛ける。無論、そんな筈は無いという事は理性では理解してはいたのだが、先の少女の言葉が呼び方も含めてかつての若菜のそれそのものであった為に、思わずその様に尋ねずにはいられなかった。


「……ええと、ごめんなさい。ちょっとした悪戯のつもりだったんですけど、そんなに驚かれるとは思わなくて」


 それから暫しの間を空け、少女が答える。それは文法的には俺の問いに対しては何の答えにもなっていなかったが、その言葉から少なくとも霊等の超常現象ではない事を理解すると、俺は思わずほっと安堵の息を吐いていた。無論、そんな筈も無いという事は理性では既に理解していたのだが、その様な可能性を何処かで考慮に入れてしまうという程には、眼前の少女の姿も声も記憶にある若菜のそれとあまりにも似通っていた。


「本当にごめんなさい! こんな悪戯、ちょっと趣味が悪過ぎますよね! でも、高見澤さんが今日戻って来るって聞いていたから、つい……」


 その溜め息を呆れによるものと思ったのか、眼前の少女は慌てた様子で更に謝罪を重ねると、続けてその言い訳を並べ立てる。正直に言えば、その少女と幼馴染のあまりの似方に未だ超常現象の可能性を捨て切れてないでいた位だったのだが、こうして若菜が俺に倒して決して使う事の無かった呼び名と丁寧な口調を耳にしていると、どうやら本当に本人ではない事が実感出来てくる。


「いや。今のは安堵の溜め息だから、そんなに気にしないで良いよ。それで、結局君は誰なんだい? 少なくとも、俺の事はよく知っている様だけど」


 その実感と共に更に冷静さを取り戻した結果、幼馴染と同じ顔をした少女にいつまでも申し訳無さそうな表情をさせている事にも気が引けた俺は、出来る限りそれを解消出来る様な優しい声を意識して言葉を返す。尤も、元来他者とのコミュニケーションを不得手としていると自負しており、かつその相手が概ね自身の半分以下の年齢であろう美少女であるとなれば、その目論見がどれ程に功を奏したかは甚だ疑問ではあるのだが。


「……私ったら質問にも答えずにぺらぺらと、本当にごめんなさい」


 だが、幸いにも一定の効果があったのか、俺の言葉を聞いた少女は申し訳無さそうな表情を一変させると、代わりにその顔を一気に真紅に染めながらそう答える。相変わらず俺の質問には答えて貰えてはいなかったが、その内容からも未だ続きがあると判断して黙ってそれを待つ事にする。


「……私は柴田春菜。柴田若菜の娘です。高見澤さんの事はお母さんから色々と聞いていて、今日戻られると聞いていたのでついこんな悪戯を……」


 そしてその予想通り、少女が俺の質問への答えを過不足なく返してくれるが、俺はその内容を直ぐには十分に理解する事が出来なかった。いや、無論厳密にはその言葉の意味自体は直ぐに理解出来ていたのだが、それが示す事実を俺の脳が受け入れるには、それから暫くの時間を要した。


「……えっ、娘!? あいつ、いやあの人、結婚してたの!?」


 そうして暫しの時を掛けて事実を理解した俺は、先程の様な配慮も忘れて思わずそう声を上げる。にもかかわらず、他人の妻をあいつ呼ばわりする事には謎の配慮を見せている事からも分かる通り、我ながらその事実には大層……それこそ、つい先程感じた人生最大のそれと遜色が無い程の驚きを覚えていた。


「……はい。この外見からも察して貰えるとは思いますが、私は間違いなく柴田若菜の娘です。でも、結婚してるかとかそういう話は私からは……。後でお母さんも挨拶に来ると思うので、その時に直接……って、ああ!」


 その俺の配慮の欠けた大声に身体をビクつかせた少女であったが、直ぐに気を取り直してそう答えると、何かに気付いたのか突如それまでよりも明らかに大きな声を上げる。無論、それは意趣返しという訳ではないのだろうが、その突然の声には俺も身体をビクつかせて反応せざるを得ず、その影響もありその言葉の内容もまた直ぐには十分に理解する事は出来なかった。


「ごめんなさい! そろそろお母さんが帰って来るので、その前に帰らなくちゃいけないので失礼します!」


 その驚きに再度言葉を失った俺を後目に、春菜と名乗った少女はそう捲し立てて走り出す。未だこれまでの驚きが尾を引いている俺にはその言葉の繋がりも理解出来ず、駆け出した少女を黙って見送る事しか出来なかったが、彼我の距離がある程度まで離れると少女は立ち止まり、此方を振り向いて叫ぶ様にこう言った。


「この制服、お母さんのものを勝手に借りて来た奴なので、帰って来る前に戻さなくちゃいけないんですよ! だからお話の続きはまた会った時にでもという事で、今日の所は失礼します!」


 その少女の律儀な説明と改めての挨拶に対し、黙って右手を上げる事のみで応えると、それを見た少女も頭を下げて振り返り、再び自宅へと向けて走り出す。その少女の明るい態度に対してその返答は流石に不愛想過ぎるとは自分でも思ったが、大声を出すとどうしても威圧的になってしまう事を自覚している俺としては、それ以上の対応をする事は難しいと言わざるを得なかった。

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