95 あれは曰く付きの鏡だぞ!
トイレから戻ってみると、鏡子さんが俺を待っていた。
掛けてあげたタオルケットを手に持って、ばつの悪そうな顔をしている。
一体どうしたんだろう?
「あの、これ……」
鏡子さんが遠慮がちにタオルケットを返してきた。
「鏡子さん、あんな机で寝てたら体が痛くなりませんかね? 俺のベッドで良かったら、そっちで寝てください」
流石に机で寝かせるのは可哀想なので、ベッドを使ってもらおう。
俺はソファーで寝ればいいんだし。
「あ、いえ……どうやら私は意識を失っていたみたいで……」
「意識を失っていた?」
「はい。活動時間の限界が来ると体が重くなって、まぶたが自然と閉じてしまうのです」
「……それ、睡眠ですよ。眠い時は無理しないで早く寝て下さいよ」
思わず呆れてしまった。
どうやら彼女は、思ったよりヒトに近い存在みたいだな。
食欲等もあるのだろうか。
色々と気になる事は多いが、睡眠欲は確認したので、彼女の寝具は早目に用意してあげよう。
「これが睡眠なのですか……。随分と効率が悪い行為なのですね」
「そうでもないですよ。寝ている間に頭の中を整理したり、体を休めたりする重要な行為です。それに夢を見たりとか……」
なんとなく聞きかじりの知識で説明するが、理解してくれるだろうか。
人間は眠い時は自然と眠るものだけど、いざそれを説明すると難しいや。
「眠る時に見る夢とはどの様な現象なのでしょうか? お借りした本にも、その様な記述がありまして……」
夢についてかぁ。どう説明しようかな。
「夢って、眠っている時に見る物語ですかね。演劇の様な物を見ていたり、自分が何かを体験していたり……」
説明するとめちゃくちゃ難しいな。自分のボキャブラリーの無さを痛感する。
「それならなんとなく分かります。私も意識を失って……眠っている時に見た記憶があります」
鏡子さんが両手をポンと叩いた。
良かった。あんな説明でも理解してくれたみたいだ。
「それで、どんな夢を見たんですか?」
「えっと、それはですね……」
急に鏡子さんが押し黙ってしまった。
心なしか頬が赤い。
「どうしたんですか?」
「……お借りした本の登場人物の二人の男性が、その……濃密に仲良くしていたと言うか……」
そう言って鏡子さんは俯いてしまった。
ああ、そっちか……。
刺激が強すぎて、夢にまで出てきてしまったみたいだ。悪い事したなぁ。
と思っていたら、鏡子さんが勢いよく顔を上げて詰め寄ってくる。
「あの! この様な書籍は他にありませんか? もっと読んでみたいのです!!」
……思わぬ形で布教してしまったのかもしれない。
「これ系の本はミっちゃんが沢山持っているから、今度借りるといいよ。喜んで貸してくれるから」
「分かりました。後程お部屋に伺う事にします」
これはもう俺の責任じゃないよね……。
そう思う事にしておく。
「それはそうと、俺はソファーでもうひと眠りするから、鏡子さんはベッドで寝てていいですからね」
昼寝用の毛布を引っ張り出して、ソファーで横になる。
「ありがとうございます。私もまだ体が重いので、お言葉に甘えて横にならせていただきますね」
鏡子さんは、パジャマっぽい服装に変化してからベッドに入った。
自分の使っていたベッドに女の子が入るのは、なんだかいけない気分になりますな。
そんな事を考えつつ、俺は二度寝を決め込んだ。
しばらくしてピアリに起こされた。
眠い目をこすってベッドの方を見ると、鏡子さんはまだ寝ている。
お疲れの様子だ。
彼女を起こさない様にして、そのまま食堂へ向かう。
食堂にロワりん達はまだ来ていないみたいだ。
ピアリと二人だけの食事って、なんだか久しぶりな気がするな。
「何をニヤニヤしているの?」
「ピアリと二人だけの食事なんて、久々で新鮮だなって」
「ふーん、そうなんだ?」
向かいに座っていたピアリが俺の隣に座り直した。
「なんだよ、わざわざ隣に来て……」
「こうしていると、恋人っぽくていいよね」
そう言いながら密着しようとする。
今は栗毛の髪のピアリなので男である。
不快感は無いけど、ここでそれはちょっと……。
「そういうのは、他人が見ていない所でお願いします」
「誰も見てなかったらいいんだ?」
上目遣いで俺の顔を覗きこんでくる。あざといぞ、こんちくしょう。
しかし、ピアリってこんなに小悪魔的だったかなぁ。
「──冗談はさておき、この前もらった魔狼の肉は評判が悪かったみたいだよ」
冗談なのかよ。
本気で心配した俺の心配を返せ。
それはそうと魔狼の肉か。
先日の魔狼討伐の報酬の一部として、依頼主の村から魔狼の燻製肉が送られてきたのだ。
だが、いい食べ方が分からなかったので、食堂のおばちゃん達に丸投げしてしまった。
「やっぱり、肉食獣の肉は美味しくないってのは、本当だったみたいだな」
普段食べている肉って、ほぼ草食動物の肉だし。
「それでも体育会系の生徒のお腹の中に納まったのだから、無駄にはならなくて良かったと思うよ?」
「それもそうだな。腹の中に入ってしまえば、なんでもいいって奴らだもんな!」
地味に失礼な事を言って盛り上がる俺達は、久しぶりに二人だけの朝食を満喫した。
だけど、それも束の間の事である。
「朝から二人して何を盛り上がってるのさー?」
突然後ろからロワりんに抱きつかれた。
「朝から人前でそういう事をするのは、やめてください」
実際、他の男共の視線が痛いのですよ。
そんなこんなで、みんなも食堂にやってきたので、挨拶しながらいつもの取り留めのない話をする。
さりげなく混じっているシーラが割と目立つみたいで、チラホラと食堂に集まり始めている生徒達からもチラ見されている。
ベルゲル先生の隠し子という雑な設定なんだよな。
後で面倒な事にならなければいいんだけど……。
当の本人は周囲の視線なんて気にせずに、モーニングセットに舌鼓を打っていた。
まったく、のん気な物だよ。
シーラの処遇はまだ正式に決まっていない。
あくまでも、現在は俺が仮の後見人みたいな事になっている。
その辺の事もメディア校長が上手くやってくれる方向みたいだが、仮に俺達から引き離される事になったら、シーラは怒るだろうなぁ。
こういうのを頭痛の種と言うのだろうな。
一人で悩んでいると、ミっちゃんが俺に手をヒラヒラと振っているのに気づく。
「何? ミっちゃん」
「キョウコさんはどうしてるんだ?」
ミっちゃんはトーストをかじりながら聞いてきた。
はしたないから、食べながら話すのはやめなさいよ。
「鏡子さんは普通に寝てるよ。割と人間ぽい部分もあるみたいだね」
俺は先程の顛末をみんなに話し、時間があったら彼女の話し相手になってくれとお願いしておく。
食事を終えて部屋に戻る者、そのまま図書館に行く者等と別れる。
俺はそのまま部屋に戻って休み明けのテスト対策をするつもりだ。
ピアリはロワりんの勉強を見てあげるらしい。
自室に戻るとベッドがもぬけの殻だったので、鏡子さんは鏡の部屋へ戻ったみたいだ。
俺は参考書を広げて自習を始める。
座学と言っても、冒険者としての一般常識やちょっとした数の計算、文章の読み書き等で、そこまで専門的な問題は出題されないはずだから大丈夫だと思う。
しばらく自習していると、ドアがノックされた。
「どちらさんですか?」
ドアを開けると、来訪者はベルゲル先生だった。
そういえば、泊まり掛けの会合に行っていたんだっけ。
帰って来て早々、なんの要件だろうな。
「リョウヤに王立魔導機関からの呼び出しがあってな。悪いんだけど、手伝ってやってくれないか?」
先生は申し訳なさそうに頭をかいている。
王立魔導機関か……。
確か、乗り物のテスト走行とか手伝うって話だったよな。
俺としては乗り物の開発が進むし、バイト代がもらえるので文句は無い。
だけど、流石に今はテスト前である。
「すみません。テスト前の追い込みなので、テスト明けからで構いませんか?」
「ああ、悪いな。トクリフの奴にもそう伝えておく……っておい! なんであの鏡がこの部屋にあるんだ!?」
先生が俺の部屋の姿見を見て目を剥いた。
心なしか物凄く顔色が悪い。
「先生、あの鏡の事を知っているのですか?」
「知ってるも何も、あれは曰く付きの鏡だぞ! 何故それがお前の部屋にあるんだよ!? 確か厳重に封印されていたはずだが……」
愕然とした表情で先生が立ち尽くしている。
あの鏡って、そんなにヤバい代物だったのか。確かに尋常じゃないお札の貼り方だったし。
どう説明したものだろうかと考えていると、鏡の中から鏡子さんが顔を出した。
「騒がしいですけど、何かありましたか?」
「あー、ちょっと説明するには複雑な話になりますかねぇ」
俺は口をパクパクして声にならない声を上げているベルゲル先生を見て、思わず溜息を吐いたのだった。




