無音の残響
2035年5月4日午後11時52分
空気は、死んでいた。
建物を取り囲む無人監視ドローン、
赤外線センサー、レーザー検知網。
懐古主義者の拠点は、徹底した警戒態勢を敷いていた。
だが――
それらの存在を、天乃はあっさりと抜けた。
黒いジャケットに身を包んだ少年が、静かに掌を開き、微細な魔術式を起動させる。
「――《認識変換》」
無言の指令が空気を滑る。
次の瞬間。
ドローンの認識が歪む。
侵入者を捉えるべきセンサーは、空白を映し出し、警備用タレットは目の前の慎を「存在しないもの」と認識した。
天乃は、一歩、また一歩と、拠点内部へと踏み込んでいく。
その瞳は冷静だった。
この作戦の成功を、最初から確信している者のそれだった。
拠点内。
無人兵器群が、突如異常をきたした。
タレットが味方を標的とし、警備ロボットが拠点構成員へ銃口を向ける。
「なっ……!? こ、こいつら、どうした――ッ!」
悲鳴と怒号が飛び交う。
対応できる者など、いない。
無人兵器は、正確無比な機械の動きで、容赦なく構成員たちを排除していった。
その様子を、物陰に潜みながら天乃は静かに見つめる。
(あとは、人間だけだ)
自らの手で魔術を発動するまでもない。
天乃は、乗っ取った無人兵器の後を追う形で、静かに、敵指導層が潜む中枢区画へと進んだ。
廊下の先。
見張りの兵が、混乱の中でも必死に警戒を続けていた。
だが――
彼らが何かに気づいたときには、もう遅かった。
天乃は、懐から取り出した短刀を手に、一瞬の隙を突いて背後から踏み込み、無音のまま一撃で沈める。
血の匂いは、夜風にかき消された。
拠点中枢。
そこに、指導層が数名集まっていた。
「ば、ばかな……どうして無人兵器が裏切った!? 魔術師じゃない、機械だぞ!?」
「おかしい、何かが――」
その場にいた誰もが、状況を理解できていない。
だが。
「理解する必要はない」
低い声が響いた。
天乃慎。
黒い影のように現れた少年は、何の躊躇もなく、残った指導層に踏み込んだ。
数秒のうちに、すべては終わった。
銃撃を許す暇もなく、”直観”による未来予測と圧倒的な身体操作で、敵は次々に無力化された。
全拠点、制圧完了。
無人兵器たちは、最後の指令に従い、自己崩壊プログラムを起動する。
爆発はしない。
ただ静かに、制御系統が焼き切れ、機能停止していく。
やがて、夜は静寂を取り戻した。
拠点だった場所には、もはや誰一人、動く者はいない。
静まり返った廃ビル。
無人兵器はすべて自壊し、倒れた構成員たちも、もはや動く気配はない。
天乃は、焦げた電装と血の匂いが漂う中を、無言で歩いた。
目指すのは、拠点中枢――情報管理室。
無人兵器の制御端末が設置されていた小部屋。
その奥に、簡素な金庫があった。
「……こんなもんか」
鍵は既に壊されている。
中には、いくつかの書類と、データチップが収められていた。
天乃は無造作にそれらを取り出し、目を通す。
そのとき――
ある一枚の書類が、目に留まった。
「緋澄……眞琴?」
そこには、
――『標的:緋澄眞琴』
――『排除優先度:最優先』
と明記されていた。
付随するメモには、こうある。
『日本唯一の戦略級魔術師。現代魔術社会の象徴。これを葬ることで、メッセージを示す』
天乃は、静かに目を細めた。
(……昨日、偶然会った、あの少女)
銀青の魔力を纏い、無数の敵を退けた少女。
人を寄せ付けぬ気配を纏いながらも、
どこか、脆い光を宿していた少女。
(……狙われるのも、無理はないか)
それほどまでに、彼女は、存在そのものが際立っていた。
天乃は、しばし書類を眺めた後、小さくため息を吐いた。
「……面倒なことにならなきゃいいけどな」
データチップを懐に滑り込ませ、無造作に書類を破り捨てる。
証拠隠滅も、任務のうちだ。
最初から、誰もここにいなかったかのように。
天乃は、何事もなかったかのように、静かに、夜の闇へと消えていった。
ただ、胸の奥には――小さな、だが確かに引っかかる感覚が、ひっそりと残されていた。
この夜、――懐古主義者の一派、その拠点のひとつが、確かに消えた。
一人の少年の手によって。




