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Replica  作者: 根岸重玄
双子姉妹編
98/286

邂逅の銀青

 2035年5月3日 午後5時1分

 

 夕方の浅木第六学区。

 街灯もまばらな裏路地を、遊上ゆがみはひたすら走った。

 呼吸は荒れ、足元はふらつきながらも、ただ前へ。


(どうして――)


 走りながら、遊上ゆがみは混乱していた。

 あの黒髪の少年――。

 敵。

 本来なら、ここで自分の命を奪ってもおかしくなかった。

 けれど彼は、追ってこなかった。

 殺しも、しなかった。


(……助かったの?)


 違う。

 確かに命は取られなかった。

 けれど、――


(データも、端末も、奪われた。)


 すべて、失ったのだ。

 持ち出したデータも、証拠も、痕跡も。

 何もかも、あの場所に置いてきてしまった。


(失敗……した……)


 小さく、息が漏れる。

 任務は、完全な失敗。

 しかも、何一つ守れなかった。


(わたしじゃ……お姉ちゃんには……)


 胸の奥が軋んだ。

 このままじゃ、何も変えられない。

 この手で、緋澄(ひずみ)との距離を取り戻すことなんて、できない。

 

(でも――)


 遊上ゆがみは足を止め、荒い呼吸を整えた。

 ふらつきながら、それでも顔を上げる。


(まだ……終わってない。)


 悔しさも、無力感も、全部飲み込んで。

 それでも、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。


(絶対に、取り返す。)


 心にそう誓いながら、遊上ゆがみは闇の中へと消えていった。

 その胸に、あの夜、ただ一人、深く刻まれた少年――

 天乃(あまの)しんの存在を、忘れることなく。

 空気は湿り、遠くで雷鳴が鳴っていた。


 2035年5月4日 午後5時21分


 海を越え、本州へ。

 翌日、天乃あまのは、新たに命じられた任務のため、浅木特区を離れていた。

 殺伐とした都市の片隅。

 廃ビル群の間を歩きながら、天乃は何気なく、前方の人影に目を向ける。

 そして、見た。


(……また、あいつ?)


 昨日、浅木で出会った少女に、そっくりな後ろ姿。

 だが――

 天乃あまのの視界が、静かに色づく。

 魔眼、起動。

 世界が変わる。

 人々の体を流れる魔力の流れが、色と光を持って見える。

 目の前の少女は、

 鮮やかな銀青の魔力を帯びていた。

 昨日逃がした遊上真理のものとは、根本から異なる。

 魔力の流れ、量、質。

 すべてが別人だ。


(別の人間――間違いない。

 ……妙な縁だな。ん?)


 確信とともに、天乃あまのは魔眼を解除しようとした。

 しかし、その時気づいた。

 複数の魔術師が少女を包囲するかのように陣形を形成していることに。

 天乃あまのは物陰に隠れ、様子をうかがうことにする。 


 2035年5月4日 午後5時40分


 廃ビル群の間。

 夕暮れの薄闇の中、少女が一人、静かに立っていた。

 緋澄(ひずみ)眞琴まこと

 日本で唯一、戦略級魔術師と謳われる存在。

 彼女の周囲には、倒れ伏した複数の人影――

 懐古主義者ノスタルジアの過激派たちが転がっている。


「……もう、終わり?」


 緋澄(ひずみ)は呟くように言った。

 その手には、緩やかに蠢く漆黒の荊。

 彼女の足元にばらまかれた小さな種子が、

 瞬時に繁茂し、鋭い棘を持つ蔓へと変貌していた。

 淡い銀青の魔力が、地を這うように広がる。


(誰も、動かない。)


 一通り制圧を終えた緋澄(ひずみ)が、ふと警戒を解きかけた、そのとき。

 ――パン。

 小さな、乾いた銃声。

 視界の隅で、何かが閃いた。


(狙撃……!)


 反射的に魔力を展開し、全身を強化する。

 だが、銃弾は本来の狙いを外れ、彼女の脇を掠めて背後の鉄柱を穿った。

 緋澄(ひずみ)はすぐさま視線を巡らせる。

 そこだ――物陰。

 発射位置を正確に捕捉する。


(外した……? いや、誰かが介入した。)


 一瞬で状況を読み取った緋澄(ひずみ)は、

 地を蹴り、種子を投げつける。

 同時に、足元から荊が爆発的に成長し、

 物陰へと向かって鋭く伸びた。

 その鋭利な棘が、狙撃手を絡め取り、地面に叩きつける。

 呻き声。

 一人、排除完了。

 だが。

 ――もうひとつ、別の気配があった。

 私服姿の、黒髪の少年。

 シンプルな黒のジャケットに、灰色のパンツ。

 無駄のない動きと、静かな瞳。

 天乃(あまの)しん

 彼は、すぐに動くことなく、静かに緋澄(ひずみ)を見ていた。


(……誰?)


 警戒心が走る。

 緋澄(ひずみ)は、左手に巻きつけた蔓をさらに練り上げる。

 鋭い棘を持つ荊を、手の甲に纏い、グローブ状に変形させる。

 銀青の魔力が奔流し、彼女の腕に一層の力を宿した。

 ――次の瞬間。

 地を蹴り、拳を振り抜く。

 加速された魔力の一撃が、少年へと迫る。

 しかし。


(かわした――!?)


 少年は、その場で一歩も引かず、

 最小限の身体操作で、するりと緋澄(ひずみ)の打撃をかわした。

 続けて荊が伸びる。

 絡め取ろうとする棘の束をも、彼は魔眼で見切り、紙一重で避ける。

 攻撃は、当たらない。

 それどころか、少年は両手を広げ、明確に「戦意なし」の姿勢を示していた。


「……敵じゃない。」


 低い声。

 静かな瞳。

 その言葉に、緋澄(ひずみ)はわずかに動きを止める。


(……本気で抵抗してない。)


 本当に敵意があるなら、もっと激しくぶつかってくるはずだ。

 だけどこの少年は――防ぎ、避けるだけ。

 そして、攻撃を返そうとしない。

 緋澄(ひずみ)は、僅かに眉を寄せた。

 疑念は残る。

 けれど、明確な殺意は――ない。


「……なら、何者?」


 警戒を解かず、問う。

 少年――天乃(あまの)しんは、少しだけ口角を上げた。


「通りすがりだよ。」


 それだけを言って、

 彼は静かに背を向けた。

 緋澄(ひずみ)は、しばらく動けなかった。


(……何だったの、あれ。)


 圧倒的な力を持ちながら、戦わなかった少年。

 不器用なほどに、真正面から、敵意のない自分を示した少年。

 その後ろ姿を、

 銀青の魔力に満ちた世界の中で、緋澄(ひずみ)はただ見送るしかなかった。

 ――これが、緋澄(ひずみ)眞琴まこと天乃(あまの)しんの、最初の出会いだった。

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