止まった正義、流れ出す罪
2036年6月23日 深夜0時13分
浅木第六学区・境界区画、深夜。
空きビルの屋上を風が裂き、砂塵と魔術の残滓が交錯する。
御堂は、《行き止まり》と共に、指定外の暗部任務に従事していた。
対象は、封印された魔導具の不正取引に関与した複数の魔術師たち。
建物内の制圧は速やかに完了した。
残されたのは、逃走を図った一人の青年のみ。
御堂は、逃げる青年にスリングショットを向けた。
手甲型の装具に魔力が流れ、腕部に収束する。
固有魔導《加速砲撃》。
展開された加速レールは直進に限らず、対象の動きに追従し、軌道を折り曲げることすら可能な高性能魔術。
どれほど変則的な回避運動にも、最適な着弾を保証できる――本来であれば。
「止まりなさい……!」
警告の声は風にかき消えず、確かに届いた。
だが、青年は振り向かない。
怯えを露わに、ただ背を向け、逃げ続ける。
御堂の脳裏に、訓練で刷り込まれた制圧要領が浮かぶ。
――逃走者に対しては、一度の警告。その後も応じなければ、魔術による制圧を許可。
手順に迷いはないはずだった。
魔力閾値、超過――
後は撃つだけだった。
けれど。
(本当に――撃っていいの?)
一瞬、わずかに指先が迷った。
それだけだった。
だが、その一瞬が、全てを狂わせた。
レールは展開された。
対象を追従し、軌道は補正された。
弾体は正確に導かれた――はずだった。
しかし、魔術に走ったわずかなノイズ。
迷いの魔力が、命中軌道を微細に撹乱した。
そして――
「……しまっ……!」
弾道が、逸れた。
狙った足元ではない。
砲撃は、青年の背部――心臓付近をかすめた。
青年は呻き声を上げ、膝から崩れ落ちる。
アスファルトに、濃い赤が滲んだ。
「嘘……でしょ……? 私、そんなつもりじゃ……」
震える声が漏れる。
理屈ではわかっている。
魔術そのものは正常だった。
ただ、自分が、それを狂わせたのだ。
誰にも責任を転嫁できない。
この結果を引き起こしたのは、他ならぬ自分――御堂彩芽自身だった。
背後から、無言の圧が近づく。
《行き止まり》が、足音すら立てずに青年へと歩み寄った。
片手を掲げ、掌に魔力を収束。
「……動くな。今、止める」
短く、低い声。
空気が軋み、血流だけが正確に遮断された。
彼の魔術は、致命傷を回避するためだけに最適化されていた。
無駄も激情もない、合理の行使だった。
「止めを刺していないだけマシだ。……片付けるぞ」
感情を剥ぎ取ったような声音。
だが、その行動だけは、確かに命を救っていた。
青年の生命は、かろうじて保たれた。
しかし――
御堂の中で、何かが完全に崩れた。
「……分かってる、こんなの正義なんかじゃない。最初から、正義だなんて思ってない……」
声は、自嘲でも叫びでもなかった。
ただ、胸の奥から零れた事実だった。
「……だけど、これが……私の仕事だっていうの?」
風が吹き抜ける。
空気に溶けた声が、夜へと消えていく。
《行き止まり》は、振り返ることなく歩き去った。
沈黙こそが、唯一の応答だった。
御堂は、その背中を見つめ続けた。
足取りは脆く、踏み出すたびに地面が遠ざかる。
汚れを拭うこともできず。
戻る場所も、もうない。
ただ、胸の奥に、誰にも見えない傷だけが残った。




