孤独の中の忠告
2036年6月23日 午後4時50分
(……このままじゃ、ダメね)
十河刹那は、思考の末に一つの結論を導き出していた。
御堂が何も言わないのなら、自分が動くしかない。
彼女がかろうじて心を開いている相手――天乃慎。その名が脳裏に浮かぶ。
その頃、天乃は英莉と共に下校していた。
「……主殿、また裏道か。道なき道を選ぶは、”直観”の証左かの」
「ただ静かな方を歩きたいだけだよ。今日は特に」
人気のない裏道を選び、天乃は一定の歩調で進む。
言葉を返しながらも、その視線は虚ろで、意識は外界と切り離されているようだった。
空は曇りがちで、風が強い。木々が揺れ、電線がかすかに唸る。
不穏とも取れる静音が、遠ざかる日常の感覚を強めていた。
そして、曲がり角を抜けた瞬間――
「……っ」
「――あっ」
不意に現れた人影に、天乃は足を止めた。
そこにいたのは御堂彩芽だった。
制服のまま、荷物も持たず、どこかから抜け出してきたかのような不自然な姿。
目の下には明確な疲労の痕があり、強がりの笑みだけが彼女の仮面だった。
「……なんで、あんたがここにいんのよ」
「こっちの台詞だよ。裏道歩いてたら偶然ってだけだ。……まさか会うとは思ってなかったけど」
「ふん、偶然ね。……変なとこで物好きなんだから」
軽く肩をすくめる仕草は演技じみていた。
余裕を装うその態度は、かえって不安定さを際立たせている。
「体調、大丈夫か? 顔色が、ちょっと……」
「やめて。そういうの、一番面倒」
天乃の問いは即座に断ち切られる。
その拒絶は鋭利で、情を排した刃のようだった。
「別に元気よ。授業も出たし、昼もちゃんと食べたし、健康そのもの」
言葉は早口で、根拠の羅列は自己暗示にも似ていた。
だが、その眼差しは虚無に近く、笑みは空気のように薄かった。
「……なら、いいけど」
「ほんとに、いいの。……ありがとね、気にしてくれて。じゃあね」
その一言を残し、御堂は天乃の隣を通り過ぎていく。
風が彼女の髪を撫で、制服の裾を軽く揺らした。
天乃は、その背中を無言で見送った。
振り返ることなく遠ざかっていく姿――それは、脆さを孕んだ硝子細工のようだった。
英莉が沈黙を破る。
「主殿。あれは、無理をしておる」
「……分かってる」
それでもなお、彼女は自らを律し続けている。
心配を断ち、弱さを排し、完璧であろうとする意志だけが彼女を支えていた。
限界が近いという事実を、誰よりも自分自身が認めようとしないままに――。
2036年6月23日 午後6時20分
静かに鳴るチャイムの音とともに、扉の向こうに現れたのは制服姿の十河刹那だった。
部屋の隅では英莉が黙って紅茶を啜っていた。
天乃が小さく頷く。それだけで、英莉は一言も発さず、その場から気配を消した。
十河は腰を下ろすなり、前置きなしに本題を切り出す。
「……御堂さんのことで、少し話したくて」
天乃は言葉を挟まず、黙って頷いた。
「最近の御堂さん、ちょっと様子がおかしいの。無理してるのが明らかで……でも、私には何も話してくれない」
言葉を選ぶように、十河は視線を落とす。
感情を制御しながらも、滲み出る焦りがその声音に表れていた。
「……あの日、天乃さんも見てたわよね。《流星》を使ったときのこと」
「……ああ。あれか。彩芽の魔術だよな」
記憶の断片が、天乃の脳裏に鮮明に浮かび上がる。
地を焼くような閃光、張り詰めた空気、そして、確かにそこに存在した“力”。
「すごい魔術だった。でも……あんなの、簡単に使えるもんじゃないってのは、なんとなくわかった」
「……それ、よくわかってると思う。実際……御堂さん、《流星》を使ったことで、ちょっと面倒なことに巻き込まれてるの」
眉間にわずかな皺を寄せながら、天乃が問う。
「面倒……って、どういう意味だ?」
「それは……ごめんなさい。詳しいことは、云えない。でも、御堂さんがあれを使ったのは“必要だった”と私は思ってる。でも、彼女自身は……たぶん、そう思えてない」
短い沈黙ののち、天乃は目を伏せる。
《流星》――それは、自分たちを守るための一撃だった。
だが、その直後から見え始めた、御堂の精神的変調。
あの笑みの裏に潜んでいた、破綻の兆候。
「彩芽は、自分で自分を罰してるのか……?」
十河は一瞬口を開きかけ、結局何も言わずに閉じた。
だが、言葉を必要としない静寂が、その問いに答えていた。
「……私には止められない。でも、天乃さんなら、彼女が何かを話し出したとき、ちゃんと受け止めてくれると思って」
「俺に……できるかどうかはわからないけど」
「それでも、お願い。彼女は、もう限界が近い。誰にも助けを求められないまま、崩れそうで……」
言葉の切れ間に、冷たい空気が流れる。
天乃は沈黙を保ったまま、記憶の奥にある光景を辿っていた。
――夜空を裂いた閃光、灼熱の余韻、そして聞こえた、彼女の呼吸。
《流星》の裏に、まだ見えぬ何かがある。
その”直観”だけが、胸の奥でじわりと熱を持っていた。
「……わかった。俺にできることがあるなら、力になる」
十河はようやく、その表情をほんのわずかに緩めると、椅子を引いて立ち上がる。
英莉は何も言わず、視線を送ることすらせずに、淡々と天乃に向けて言った。
「主殿……気がかりならば行動すべきじゃぞ?」
その言葉は、風の音より静かでありながら、真芯を貫く鋼のような響きを持っていた。
――御堂彩芽。
その名が意味する危機は、すでに目前に迫っていた。




