嗤う鉄扇
2036年6月7日 午後9時23分
窓の外で、夜風がカーテンを揺らしていた。
狗飼は、ベッドの上で胡坐をかき、頭の上に光の環を浮かべる。
「……天空ぅ、出ておいで~」
軽やかな声で詠唱ともつかない言葉が放たれると、そこにふわりと現れたのはメイド姿の女性であった。
しかしその表情には、どこか複雑なものがあった。
「お嬢様、この度の失態は、大変申し訳なく――」
「失態? 何のこと?」
「いえ、その、えっと?」
「あぁ、そっかぁ。天空、わたくしの鉄扇もってる?」
「はぁ、持っていますが」
「ほれほれ、渡して渡して」
急かす狗飼に天空は忍ばせていた鉄扇を渡す。
「ここをこうして――ほいっほいっと」
狗飼は鉄扇を閉じたり開いたりしながら鉄扇に刻まれた複雑な模様で魔法陣を作っては崩し、作っては崩しを繰り返す。
「……どう? 記憶、戻った?」
「――ええ、最悪の気分です。羞恥でどうにかなってしまいそうです」
「うんうん、そうでしょそうでしょ!
わたくしってば、立ち回り完璧だったもんね~♪」
天空は呆れたようにため息をつく。
「お嬢様……ほんとに、わかっててやったのですか?」
狗飼は首を傾げた。
「ん? うん。だってさ、あーくんとふぅちゃんが一緒に戦って、世界を救って、みんなハッピー! って、超尊くない? 超アリじゃない? わたくし、超幸せだしぃ!」
「……お嬢様、全部アウトです」
「えっ、うそ!? でも結果オーライだよ?
当初の計画と違って誰も死んでないし、最後にはちゃんと世界も守られたし!」
天空は頭を抱えるが、狗飼は悪びれる様子すらない。
「宗次郎さんが生きているって知ってからここまで来るの、本っ当に大変だったんだからぁ。
まず三年前の『辰上の亡霊』事件を徹底的に調査して関係者を洗い出したでしょ?
病院に行ってお医者様に宗次郎さんから『超越者』だけを取り出せるか、確認したでしょ?
その結果を一臣さんに持っていって『覚醒者』を使って宗次郎さんを救う方法を教えてあげたでしょ?
三俣先生の情報を一臣さんに渡したでしょ?
『覚醒者』の候補者としてあーくんのことを教えてあげたでしょ?
《契約》で一臣さんと三俣先生の口を塞いだでしょ?
嫌がる天空の記憶を消して天乃くんにわたくしを助けに来てもらうよう誘導係に任命したでしょ?
間森くんを勧誘して英莉ちゃんの足止めをお願いしたでしょ?
地下室の召喚魔法陣を作成したでしょ?
そして、攫われた被害者の名演技でしょ?」
「八面六臂の暗躍ぶりですね、お嬢様」
「皮肉ありがと~。
でもさ、わたくしはさ、ただ『みんなのためになること』をしたいだけなんだよ?
だってそれって、わたしの幸せにもなるし、結果、全員幸せじゃん?」
「……いえ、たまたまに過ぎません」
狗飼はふふっと笑う。
「うん、それ、よくわかる~。
確かに、ふぅちゃんが参加しちゃったのも、伏見先生があんなに出張ってきたのも予想外だったもんなぁ。
今回はあーくんを『覚醒者』にするだけの予定だったのにぃ。
まぁ、ふぅちゃんの参加は全然結果オーライ。むしろ良し!
でもでもぉ。もし英莉ちゃんがいなかったら伏見先生が『亡霊』退治しちゃうところだったよぉ。こっちは最悪ぅ」
「確かに、それは否めませんね。『覚醒者』の成立条件は資質の他にも唯一の対峙者であることも含みますから」
「そぉなの。やばかったの」
「あの、お嬢様。火遊びはこれくらいしませんか?
旦那様はともかく朱雀様にこれ以上隠し通すのは無理があります」
「でもね、わたし、まだちょっぉとだけやりたいことが残ってるの」
「まだやる気ですか……」
「うん。だってさ、ふぅちゃんがまだぜーんぜん報われてないんだもん。
次こそ、もっともっと尊いやつにしてあげるの!」
純真無垢な微笑み。
その奥にあるのは、善意と執念が紙一重になった、天然の“狂気”。
狗飼は窓の外を見ながら、ぽつりと呟いた。
「だって、わたくしの“推し”なんだもん。幸せにならなきゃダメでしょ?」
月の光が、彼女の笑顔を照らす。
その姿は――清らかで、恐ろしいほどに純粋だった。




