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Replica  作者: 根岸重玄
登校騒乱編
77/286

狗飼の救出

 2036年6月7日午後6時35分


「……ここだ」


 天乃(あまの)が足を止めた先には、厚い鉄扉(てっぴ)があった。

 なお、雹霞(ひょうか)相庭(あいば)の見張りを行っており、ここにはいない。

 また、伏見ふしみとエリザベートが豪快(ごうかい)に暴れ散らかしていたが、それも今は事なきを得ている。

 水無月(みなづき)が手のひらをかざして魔力を流しながら力を()めると、()びついた錠前(じょうまえ)が音を立てて解錠(かいじょう)される。

 ギィィ……と(にぶ)く開いた扉の向こう。

 薄暗(うすぐら)く、わずかな照明に照らされた小さな部屋の中心に、一人の少女が横たわっていた。


「……朱音(あかね)っ!」


 水無月(みなづき)が駆け寄り、天乃(あまの)も続く。

 ぐったりとベッドに倒れていた狗飼(いぬかい)は、浅い呼吸(こきゅう)だけを繰り返し、意識は戻っていない。


「生きてる……けど、反応がない」

「長時間、拘束されてたんだ。魔力の流れも抑制されてる。

 これ……封印術式(ふういんじゅつしき)か」


 天乃(あまの)が指先で狗飼いぬかいの額に軽く触れ、《境界書換》で魔力の経路を少し開く。

 その瞬間、狗飼いぬかいのまぶたがぴくりと震えた。


「……ぅ……」

朱音(あかね)っ、大丈夫……!?」

「……ふぅ……ちゃん?」


 かすれた声が()れた。目を細め、周囲をゆっくりと見渡(みわた)す。


「ここ……どこぉ……?」

「大丈夫よ、もう安全だから」


 天乃(あまの)携帯(けいたい)端末(たんまつ)で外部と連絡を取る。

 十数分後、魔術対応の救護(きゅうご)班が駆けつけ、狗飼いぬかい担架(たんか)に載せられて運ばれていった。


 2036年6月7日午後7時30分


 天乃(あまの)水無月(みなづき)は、壮年(そうねん)の医師――(やぶ)とともに病室の前に立っていた。


「彼女は拘束(こうそく)魔術(まじゅつ)によって長時間意識を封じられていたみたいだよ。

 幸い、脳波にも異常はなく、魔力(まりょく)回路(かいろ)にも深刻な損傷はない。

 念のため一晩(ひとばん)検査(けんさ)入院(にゅういん)させるが、明日には退院可能だと思うよ」


 天乃(あまの)は頷いた。


「……何も覚えてないって、本当ですか?」


 (やぶ)が静かに答える。


「まぁね。本人の記憶は――発見される直前まで、一切ないと。

 目覚めた直後も、誰に何をされたのか、何もわからないと」


 水無月(みなづき)(くちびる)を噛む。


「利用されたのね……」

「……でも、無事だった。今はそれでいいさ」


 2036年6月7日午後8時15分


 狗飼いぬかいはベッドの上で静かに目を開けていた。窓の外、街の灯がぼんやりと揺れている。

 そっと開いた扉から、天乃(あまの)水無月(みなづき)が入ってくる。


「……寝てた?」

「……ううん、起きてた」


 狗飼いぬかいの声は、どこか怯えと不安をにじませていた。

 けれど、それでも懸命(けんめい)に二人の顔を見つめている。


「あのぉ、わたくし、何か……変なこと、しちゃった……?」


 水無月(みなづき)が駆け寄って、狗飼いぬかいの手を握る。


「大丈夫。何もしてない。何も、悪くないわ。全部……終わったから」


 狗飼いぬかいの目から、ぽろりと涙がこぼれた。


「……こわかったの。ずっと、暗かった。動けなくて……誰かに呼ばれる夢を、何度も、見て……」


 天乃(あまの)はその言葉を黙って聞いていた。

 彼は知っている。この少女が利用された理由を。

 天乃(あまの)をおびき出すための(えさ)だったことを。


「すまなかった」

「どうして(あやま)るんですか? えっと――ふぅちゃん、この人誰?」

「え? オレを知らない?」


 だとすれば、天空てんくうとの協定(きょうてい)とは一体何だったのか。


「その反応(はんのう)、もしかして有名人(ゆうめいじん)かなぁ? 

 あ、あれだ。手術の前日にやってきて『君のためにホームランを打つから頑張って手術を受けるんだよ』ってやつだよぉ、きっと」

「アンタは手術しないし野球少年でもないでしょ」


 天乃(あまの)はしばらく絶句(ぜっく)していた。

 だが、それは単純な戸惑(とまど)いだった。


(この……本当に心当たりがないのか?)

「……あの、狗飼いぬかいさん。オレ、天乃(あまの)(しん)って言って……」

「うんうん、あのね、名前は聞いた気がする気がするけど、顔は初対面(しょたいめん)

 よろしくね、天乃(あまの)くん!」


 あまりに屈託(くったく)のない笑顔に、天乃(あまの)の返答が(いっ)(ぱく)(おく)れる。


「……ああ、よろしく」


 その後ろで、水無月(みなづき)が肩を(すく)める。


「アンタ……本当にこの状況でそのテンションなの?」

「え、なんかダメ? あっ、でも病院って静かにしなきゃダメなやつだよね。

 ごめん、ふぅちゃん、ちょっとテンション(おさ)えるね?」

「そういう意味じゃないんだけど……ま、いっか」


 狗飼いぬかいは、ころころと笑いながらベッドに寝転(ねころ)がり直す。


「でも、なんだろう。誰かに会った気はするんだよね~。夢の中で。呼ばれて、導かれて。なんか、ふわ~っとした声で……」

「……夢の中、ね」


 天乃(あまの)はその言葉に、ほんのわずかに視線を細めた。


(記憶が封印されたわけじゃない。きっと、都合よく“夢”として整理されてるだけだ)


 だが、狗飼いぬかいの様子に悪意はない。

 ただ、まるで夢から醒めた子どものように、あまりにも無垢(むく)で、無防備(むぼうび)で。

 だからこそ、少し怖いくらいであった。


「ま、まぁ、元気そうで良かったよ。ホント」

「うんっ! あっ、そうだ。あとでアイス食べてもいい? 

 病院の売店(ばいてん)にあるやつ、好きなの!」

「……しっかり休んでからね」


 水無月(みなづき)はそういって、狗飼いぬかいの頭を軽く()でた。

 天乃(あまの)も小さく笑う。


「じゃあね。今日は無理しないで寝なさい」

「うん! またね~、ふぅちゃん! 天乃(あまの)くん!」


 二人が扉を閉める直前、狗飼いぬかいはぽつりと(つぶや)いた。


「……まだかなぁ。みんながもっとハッピーになれる日は」


 彼女は笑っていた。

 まるで、何も知らないまま、全部を知っているかのように。

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