『覚醒者』の末路
2036年6月7日午後5時50分
「天乃? どうしたの?」
「いや、たぶん、そろそろ来る」
「誰が?」
「……死神、かな」
「どういう意味?」
「どうもこうもない、知っとんたんか、少年」
水無月の疑問に声を出したのは魔導書『虚空の旋律』である。
「知ってた? 何を?」
「言うたやろ、嬢ちゃん。
『覚醒者』ってやつは『超越者』に対するカウンター装置のことや。
つまり、『超越者』を討伐した『覚醒者』は、『超越者』すら上回る人類の脅威ってわけや」
「なッ……!? 次は天乃が世界を滅ぼすっての?」
「そうは言うとらん。けどな、世界は直接『超越者』を消すことができんからそういうイレギュラーを消去するために『覚醒者』を生み出す。
で。仕事を終えた『覚醒者』はどうなると思う?」
「『覚醒者』は世界が生み出した存在だから、『超越者』と違って世界が処遇を決められる?」
「正解や、嬢ちゃん」
「待って、待ってよ。
――天乃、アンタ、死ぬの?」
「たぶん」
そう述べた天乃は水無月から視線を逸らす。
「諦めてる、わけじゃないわよね?」
天乃は、静かに目を閉じる。
そして、言葉では答えず、代わりに指先を――何もない空間に向けて、そっと掲げた。
「……オレが『覚醒者』として得た魔術は《境界書換》。
物事の境界を書き換えることができる魔術だ。
それがたとえ概念でも」
水無月は一瞬、息を呑んだ。
「まさか……それを使ってアンタを『覚醒者』でなくするつもり?」
「それは無理だ。《境界書換》は『覚醒者』として得た力だ。それを否定することは因果に矛盾を生じさせることになる」
「だったら、どうやって?」
「要は、『覚醒者』なのが問題なんじゃなくて『超越者』ほどの存在を討伐できる『覚醒者』が存在することが問題なんだ。
――つまり」
「少年、まさか、辰上を『超越者』でなくすつもりか!?」
「――そうだ。辰上が『超越者』でなかったとしたら?
オレはただのオレでいられる、はずだ」
天乃はそういうと指先を――辰上の消え去った空間に向けて、そっと掲げ、眼を凝らす。
辰上の残留した魔力反応から『超越者』としての要素を見つけ出す。
そして、その境界を書き換えるべく、指に力を籠める。
「――――《境界書換》」
辰上の『超越者』としてのステータスが境界を書き換えられたことで自然と霧散していく。
「――完了っと」
「これで大丈夫なのよね? ね?」
「たぶんな。辰上は『超越者』でなかったことになった」
「やるやん、少年」
「もともと、『覚醒者』の末路には当たりをつけていた。
これくらいのズルは見逃してもらいたいね」
そういうと天乃はふっと笑う。
それを見た水無月は若干紅潮した顔を伏せて隠していたが、気を取り戻したように宣言する。
「じゃ、アタシ、朱音の捜索に戻るから」
「待て、多分だが、オレに心当たりがある」
「え、どこよ?」
「――この区画のどこか」
「ふぇ?」
もちろん根拠はある。
辰上(相庭)は様々な魔術を術式再現していたが、二回以上使った魔術は非常に少ない。
つまり、術式再現の条件としては、回数制限があると考えるのが自然だ。
そして、その回数制限を無視できるとすれば、それは臣民と化した術者が《王の法》の範囲内にいることであると考えられる。その根拠は三俣が監禁されていた事実だ。いざというときに自在に転移できる《俯瞰地図》は回数無制限で確保しておきたい魔術だろう。
そして、辰上が天乃の前で二回以上使った魔術といえば天空の使った《氷天》と《天空召喚》だけだ。
つまり、狗飼は《王の法》の範囲内――紫水総合研究所の付近にいたことになる。
だが、三俣は狗飼の居場所について「――僕は、彼女を知っているが、居場所までは知らない」と回答している。
天乃は当初、これをこの建物にはいないということだと解釈したが、もう一つ、解釈の余地がある。それは、三俣が用いていた見取り図に記載されていない区画にいるという可能性だ。
この地下室は階段が隠すように配置されており、天乃の覚えている限り、三俣の見取り図に地下一階の存在はなかった。
すなわち、《王の法》の範囲内で三俣の見取り図の範囲外になるのは建物の囲繞地とこの地下だけになるのである。
天乃は以上を掻い摘んで話し、水無月の納得を得る。
「じゃあ、天乃はこの相庭さんだっけ? 見といて。
アタシは雹霞姉ぇを呼んでくるから」
「え? あの人来てるの」
天乃には殺されかけたトラウマしかない。
苦笑した水無月は、そのまま地下室から出て行った。




