雹霞の視点
2036年6月7日午後4時38分
風華と雹霞は、足を確保するため現在第14学区にある警備隊の派出所まで来ていた。
もちろん、『飛翔』で現場に向かうのが手っ取り早くはあるのだが、着いた時点でガス欠でしたでは話にならないからだ。
「思ったより手間取ったな」
「あちこちに人払いの術式があったからね。仕方ないよ」
だが、思ったよりも妨害が多く、二人は思った以上に疲弊してしまっていた。
「とりあえず、ここにある自動車で現場に向かう。
流石に自動運転に人払いは通用しないだろう」
「了解でーす」
雹霞は早速ナビから目的地である紫水総合研究所を設定し、自動運転モードで車を発進させる。
目的地までは約10分である。
「さて、風華よ」
「何?」
風華は助手席で肩を落としながらも、いつものように端正な表情を保っていたが、雹霞の声に若干の警戒を滲ませる。
「天乃慎のことをどう思う?」
「……それ今、聞くの?」
「何、単なる雑談だ。昨日、一緒にいただろう?」
風華は視線を逸らし、車窓の向こうに流れる風景を見つめた。6月の陽光は傾きかけており、街のビル群に長い影を落としている。
「さぁね、偶然会っただけだし」
「それにしては親密そうだったが」
「気が合ったという意味ならそうね。
どこかで会ったことあるのかしら?」
「そんなはずなかろう。馬鹿なことを言うな」
「む、どうして雹霞姉ぇがそんなこと断言できるの?」
「あ、いや。浅木育ちのお前と今年来たばかりのあいつが顔見知りなわけないだろ?」
「それでいえば、雹霞姉ぇも彼とは知り合いだったみたいだよね?
どこで知り合ったの?」
「あーっと、間森だ。奴を通じて何度か会っただけだ」
「どうして? 用もないのにそんなことするタイプじゃないじゃん」
「――守秘義務を発動する。これ以上は話せん」
「なんで自分から振った話題で沈黙しちゃうのよ?」
雹霞はそれに答えず、代わりに、ナビの表示が目的地までの残り時間を「3分」と示していることを確認する。
「雹霞姉ぇ、そろそろ着きそうだよ」
「ん、まぁ、お姉ちゃんとしてはいつでもお前の心配をしているという話だ」
「え? そんな話だったっけ?
まぁ、ありがと」
二人を乗せた車は、紫水総合研究所の外縁へと静かに進入していく。
その瞬間、5階の窓ガラスが割れ、巨大な狼が車のボンネットにぶつかると、霧のように四散する。
「無事か、風華!?」
「うん、今の、たぶん天空だと思う」
「狗飼家の?」
「そう。“狂魔狼形態”見たことある。
どうやら思った以上に大事になってるみたいね」
「そして、ビンゴというわけか。
私はここから上に向かって例の大暴れの様子でも眺めながら狗飼の令嬢を探す。
風華は下層の建物内を探せ。
目的はあくまで狗飼家の令嬢の身の安全の確保だ」
「わかった。気を付けてね」
「誰に言ってる?」
「大好きな雹霞姉ぇに」
「――やめろ、急に恥ずかしくなった」
「――アタシも」
互いにダメージを負う二人が現実に戻るのは一瞬だった。
窓ガラスが次々割れ、狼が降り注いでくるからである。
「では、いってくる」
「あとでね」
そういって2人は紫水総合研究所に入っていき、上下に別れて狗飼の捜索を開始する。
2036年6月7日午後5時8分
(あれは、伏見と間森!? 何やってんだ、あいつら?)
上階に進んでいた雹霞が目撃したのは、伏見と間森の決闘模様だった。
間森が見えない壁を盾に伏見に銃弾を撃ち込んでいるが、伏見にそれが通じた様子はない。
(まぁ、いいか。どういう状況でこんなことになってるかは知らないが、伏見は殺しても死なないし、間森は死ぬまで付き合うようなタイプじゃない)
雹霞はどちらも死ぬことはあるまいと即断し、そのまま二人をスルーしてさらに上階へと進んでいく。
紫水総合研究所は8階建ての建物であり、雹霞は8階から順にすべての部屋を開け、狗飼を探すことにする。
そうやって再び5階に戻って来たとき、驚きの名乗りを聞いた。
「そうさな、改めて名乗ろうか。
夜を歩む者、吸血種の頂点、異界の大怪異――エリザベート=ナイトウォーカー、以後よろしくのぉ」
「――随分とまァ、大物の登場じゃねェか。
人類種の敵、『討伐令』対象者が、どういう了見でまだ生きてやがる!」
(エリザベート=ナイトウォーカー!?
天乃鵲が討伐したとされている大怪異か!)
雹霞の知る限り、エリザベート=ナイトウォーカーは天乃鵲という人物によって数年前に討伐されているはずだ。
天乃鵲は討伐者でありながら時計塔侵入事件を企てるなど掴みどころがない人物であり、時計塔事件以降、消息が不明となった人物である。
天乃姓であることから、天乃慎とは親子関係が疑われていたが、両社に血縁関係がないことはDNA鑑定の結果、判明している。
ただし、二人は一緒に行動していたと記録されていることが多い。
天乃鵲がエリザベート=ナイトウォーカーを討伐したのも北欧圏だったはずであり、天乃慎が同行していた記録が残されている。
雹霞が物思いに耽っているうちに、伏見とエリザベートの戦闘が開始されていた。
それは互いに不死身であるからの応酬であった。
拳を交えては互いに腕ごと吹き飛ばし、蹴りで胴を断ち切ったかと思えばカウンターで首を断ち切られる。
どちらからともなく哄笑が響き渡り、互いの肉体を削っていく。
どう考えても不合理な戦いであるが、互いにもうそんなことは一切考えていないであろう。
雹霞はこれもスルーすることとし、4階へと向かう。
狗飼はまだ見つからない。




