水無月兄妹
2036年6月7日午後3時52分
「おかしいでしょ!? なんだってどこもかしこも通行止めなのよ!」
タクシー内でそう叫んだのは水無月風華である。
「嬢ちゃん、申し訳ないが、こればかりはウチとしてもどうしようもない」
「わかってるわよ。ここまででいいわ」
「へい、まいど」
学生証に備わる決済機能による清算を終え、タクシーを降りた水無月は苛立ちを隠そうともしていなかった。
水無月は、14学区にある紫水総合研究所を目指していたのであるが、まず、14学区行きの公共交通機関はどれも運休となっていた。事情を確認しても回答できないとの一点張りであり、仕方なくタクシーを利用したわけであるが、どのルートも通行止めであり、14学区に入ることすらままならなかったのである。
「きな臭いわね。この通行止め、どこがやってるのかしら」
水無月は自身が保有する魔導書『虚空の旋律』による防御機構により、他人よりも暗示にかかりにくい。学生寮から誰も気づかなかった落雷が見えたのも、人払いの効果が水無月には及んでいなかったからである。
ただ、実際に14学区に向かおうとすると、物理的な障害が立ち塞がっているではないか。
これは、おそらく理事クラスの誰かの仕業と考えるの自然である。
そう考えると、14学区で何かが起こっているのはほぼ確実といえる。
(こうなったら警備が手薄なところを突っ切るしか……ん?)
水無月がそう考えていたとき、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「だから、ここを通せと言っている。この先に用事があるのだ。問題ない。ちょっと行って帰ってくるだけだ」
「雹霞、もういいじゃないか。この人だって仕事をしているだけなんだから」
「そうはいうがな。今日はこんなところで工事の予定などない。事前に調べたのだ。間違いない」
(なにやってんのよ、あの2人)
水無月が見つけたのは白髪の美女――義姉の水無月雹霞と赤髪の青年――義兄の水無月烈火であった。
本日の雹霞は普段とは違って私服姿である。この季節に上下ともに肌の露出が一切ない白を基調としたパンツ姿であり、サングラスに帽子を被っている、これは雹霞の肌が紫外線に弱いからである。一方で烈火は季節相応に半袖の上着とジーンズを履いている。手には買い物袋を大量に持っているが、おそらく雹霞の買い物なのであろう。
「雹霞、もういい大人なんだから、他人に迷惑をかけるはやめよう」
「むぅ、烈火が言うなら仕方ない。ん? あそこにいるのは――」
「やばっ、見つかった」
「風華じゃないか」
そういうと烈火は雹霞を引き連れて風華に近寄ってきた。
「こんなところで奇遇だね」
「そ、そうだね、久しぶり、烈火兄ぃ」
「風華、まさかとは思うが――」
(まさか目的がバレてるッ!?)
「――寂しくて私らの後をつけてきたとか?」
(わけないか)
「そ、そんなわけないじゃん。
こっちにきたのは、所用があったからだよ、雹霞姉ぇ」
先を急ぐ風華としては、この2人との出会いはちょっとした事故だ。
というのも、この2人、末妹である風華のことを猫可愛がりしており、ちょっとやそっとで解放してくれるとは限らないのだ。
「じゃ、アタシは用事があるから、またね」
「待て、風華」
(もぉこの忙しいときにぃ)
案の定、風華は雹霞に呼び止められる。
「なにかな? 雹霞姉ぇ」
「14学区に行くなら、今日はやめとけ」
「はぇ?」
「そうだね、どうしてもというなら手はなくはないけど、やめといたほうがいいね」
「え? 何か方法があるの?」
そう風華が飛びついた瞬間、烈火と雹霞は顔を見合わせると、ニヤリと笑いあう。
「ひっかかったね」
「あぁ、だがそこが愛いところだ」
「あ……」
風華はしてやられたと思うが、もう後の祭りである。
「風華のことだ。どうせいらないことに首を突っ込みかけているのではないかと思ってな。今の14学区への立ち入り禁止はいかにも厄ネタっぽいしな」
「案の定だったね。だけど義兄としてはそういうやんちゃな義妹を止めるのも仕事のうちだろう」
まったく事前の打ち合わせなくこのような連携を見せてくるのがこの2人の質が悪いところである。
「……え、っと。あーっと、あぅ」
何か言わないといけないが、この2人に見つかった上で堂々と14学区へ立ち入る方法が浮かばない。
「あ、雷」
だからであろう。風華は見た光景をそのまま口に出していた。
ちょうどそのタイミングで14学区に雷が降り注いだのだ。
「見えたかい、雹霞?」
「確認した。確かに落雷があった。だが、烈火よ」
「あぁ、俺にはまた見えなかったよ」
「また?」
そういった瞬間、風華にはその言葉の意味が分かった。
そうこれは2回目の落雷である。
雹霞は肌が紫外線に弱いことから、外出しているときは常に魔力によるガードを展開している。結果的に風華と同様に外部からの魔術による干渉を受けにくい。
一方、烈火は規格外の義妹2人と比較するとほぼ一般人と遜色ない。
ほんの些細な魔術を使うだけで魔力切れを起こす程度の魔力しか持ち合わせてないのである。
そうなると、風華が学生寮から見た落雷も雹霞は目撃していたが、烈火は目撃できなかったということなのだろう。
「雹霞、流石にこのまま見て見ぬふりを続行するわけじゃないよね?」
「うっ、やっぱり行かないとダメか?」
「雹霞の見間違いならともかく、風華にも見えているならこれは単なる怪現象じゃない。魔術的事件だ。残念だけど、雹霞には仕事に戻ってもらう」
「嫌だ」
そういうと雹霞は嫌なことがあった時の子供のようにプイッとそっぽを向いてしまう。
仕事中の刺刺しい態度を示す彼女を見たことがある者らにとってはこのように甘えたような仕草をする雹霞を見ると別人かと錯覚するであろう。
だが、烈火や風華にとっては見慣れた光景であり、見た目に反して風華よりも子供っぽいと称されるほどだ。
「雹霞姉ぇさぁ」
「嫌なものは嫌だ」
「わかったわかった。また今度買い物に付き合ってあげるからさ」
「うぅぅ、ほんとだな」
雹霞は烈火から譲歩を引き出すと、不承不承といった感じに納得する。
「あっ、雹霞姉ぇばっかりずるい。
烈火兄ぃアタシのお願いも聞いて聞いて」
「内容によるかなぁ」
烈火はそういうが、風華はよほどの内容でなければ叶えてくれると知っている。そのために恥を忍んでわざと子供っぽく振舞ったのだ。効果がなくては困る。
「雹霞姉ぇが真面目にお仕事しているか見張らせて」
「おい、流石に仕事は真面目にするぞ」
「なるほどね。そうすれば自然に14学区に行けるってことか」
「おい、烈火」
「わかってるよ。もちろん」
烈火は雹霞に向かって頷きつつ、風華に向き直る。
「頼むよ、風華」
「おぉぉぉい、わかってない。わかってないぞ、烈火」
「ちゃんとわかってるさ。雹霞なら、適当な理屈をつけて風華を14学区に連れていけるだろ?」
「それは、事情を知る参考人ってことにして現場に同行願ったとかすればできるけどさぁ。でもなぁ」
「わかってるよ。危ないってんだろ?
実際、そうかもしれないけど、風華になら雹霞を任せられるし、雹霞になら風華を任せられるんだよ」
「――私一人では不足だとでも?」
やけに風華を同行させようとする烈火に雹霞は若干の不満を抱く。
「まさか、雹霞なら、仕事を完璧に熟した上で我らが可愛い義妹も守れると見込んでの判断だよ」
「まぁ、そういうことならいいだろう」
結局、雹霞は烈火に説得される形で風華の同行を不承不承といった感じに承諾する。
「やった」
「こら、風華。遊びに行くんじゃないんだぞ」
「わかってるよ。雹霞姉ぇ。早速だけど、情報提供だよ。
うちの高校で狗飼家の令嬢が行方不明になったの。
んで、それを捜索していた《荊の女王》とも連絡が取れなくなったんだけど、その直前に14学区の紫水総合研究所について触れていたの」
嘘は言っていない。
「確かに、狗飼の令嬢については捜索指令が来ているな。非番だから無視ししてたけど」
雹霞は仕事用の電子端末を取り出し、内容を確認している。
「じゃあ、早速14学区へ行くか」
「その恰好で?」
「おっと」
雹霞は自分の今の恰好を見回すと風華の指摘が真っ当であると思い直す。
「おい」
「へい」
烈火が道端にいた男に声をかけると、男は端末を取り出し、車を正面に回すよう指示を出す。
「というか、藤堂じゃん。烈火兄ぃの護衛? 変装上手ね」
「へい、ありがとうございやす。風華お嬢もお元気そうで。今日は雹霞お嬢がいらっしゃるのでアッシだけですが」
藤堂と呼ばれた男は風華らの実家が経営する会社の従業員である。現在は烈火の付き人として烈火の指示に従っていることが多い。
1分後、正面以外の窓ガラスをスモークフィルムで覆った黒い車が到着する。
「雹霞の仕事用の着替えは持ってきているから、この車の中で着替えて。
もちろん周囲からは見えないようにしてある」
「相変わらず用意周到だな、烈火は」
「これくらいしか取り柄がないからね」
「そう言うな、少なくとも私は助かっている」
「雹霞姉ぇ、イチャイチャしてないでさっさと着替えるッ!」
「わかったから押すな」
数分後、仕事着に着替えた雹霞が車から出てくる。
「では行くか、風華――『飛翔』は使えるな」
「もちろん」
ここでいう『飛翔』とは魔力の噴出を用いた移動法のことである。
「なら、もう面倒な通行止めは全部飛び越していく――着いてこい」
「わかった」
そういうと、雹霞は垂直に50mほど飛び上がり、一直線に14学区に向けて『飛翔』していく。それを風華も追って『飛翔』する。
2人がいなくなったところで烈火はそばにいた藤堂に話しかける。
「藤堂、浅木大学付属総合病院に向かうぞ」
「へい、若」




