『覚醒者』に至る資質
2036年6月7日午後5時6分
「さて、先程言いかけた『覚醒者』へと至る方法だが――」
三俣のいた部屋から少し離れ、下に向かう階段へと差し掛かったとき、《無貌》の男は天乃に対して先程の話の続きを始める。
「ハッ、至極――単純だ。
人の世を滅ぼす『超越者』に対峙可能な唯一の敵対者となればよい」
「対峙可能ってのはどういうことだ?」
「人の世を滅ぼす所業に干渉できる位置にいることだな。
敵対者であっても、その場にいなかったり、既に死亡していたりした場合には適格を得られない」
「それが、さっき言ってた“人為的に『覚醒者』へと至る方法”とやらか?」
「如何にも。
とはいえ、勿論、誰もが至れるわけではない。
いくつか重要なファクターがあってな」
「さっき言っていたオレの意志ってやつか?」
天乃の指摘は、伏見に襲撃を受ける直前の『貴様の自発的な意志は、ある一点を除いて必要がない』との発言を踏まえたものである。
「1つはそうだ。一点だけ、貴様の意志が不可欠な要素がある。
はっきり言って、究極的には逆にこの要素さえあれば、他の要素がなくとも、状況さえ整えば『覚醒者』へと至る可能性が生じ得るのやもしれんが、試す気にはなれんな」
「何だよ、そりゃ?」
「曰く、『勇者の素質』。
ハッ、俺から言わせてもらえれば、これはかなり美化した表現だと言わざるを得ん。
その実態は『不屈の亡者』に他ならんのだからな」
「『不屈の亡者』?」
「そうとも。
強大な敵や障害を前にして、どう見積もっても『敵わない』『及ばない』『勝機が見出せない』。
そんな絶体絶命の状況でさえ、『だからどうした』『まだだ』と唱えて前を見据え、逆境を乗り越えんと奮起する精神性。
窮地から逃げ出そうなどとは思わないし、頭を過ることすらありはしない。
これこそが『勇者の素質』だという話だ」
「……オレに備わってるとは思えんが」
《無貌》の男の言葉に、天乃は首を捻る。
自分にはそのような大層な志があるようには思えなかったからである。
「謙遜をするな。
その都度“直観”による簡易的な未来予知でか細い勝機を手繰り寄せているとはいえ、その点に関しては貴様だって十分に壊れているだろう。
――まさか、本当に自覚がないとは言うまいな?」
「え? いや、まぁ、自覚はないっていうか……」
天乃の言葉に《無貌》の男はすぐに反応を返そうとしない。
表情は相変わらずしっかりとは認識できないが、呆れているのが雰囲気だけで伝わってくるようだった。
「……ならば問うが、貴様、何故俺の元に来た?」
「なぜって――」
「――ちなみに、これは貴様がここに来た直接の理由ではなく、自ら出向くこととした判断そのものに対する問いだ。今の貴様は魔術も満足に扱えず、俺を打倒する手段も皆無であろうに」
その質問を受け、なぜだろうか、と天乃は考える。
もちろん、ここまで自分で直接来たことには、英莉の件を含め、それなりの理由がある。
だが、なぜそれを別の人に任せるという選択肢がほとんど検討されていないのだろうか、と天乃は今更ながらに思い至る。
もちろん、天乃は、《無貌》の男が天空にしたような物理的手段に訴えてきた際に、対抗手段がほとんどないことも当然ながらに自覚している。
では、尚更いったいなぜなのだ。
そこで答えに詰まってしまったので、これまでの軌跡を順に思い返してみることにする。
初めは、アーサー・リードの襲撃。
そうだ。初めは及び腰だったはずだ。
水無月の手(声?)を借りて逃げ回っていたはずだ。
だが、途中で逃げきれないと悟ったとき、水無月は天乃だけでも逃がそうとしていたのではなかったか。
その提案の言葉を遮ってまで、抗戦を選んだ理由は何だったのか?
――アーサー・リードには『敵わない』という考えが過ったはずなのに。
次は、『虚空の旋律』との邂逅。
意気込んで挑んではみたものの、文字通り手も足も出なかった。
そして結局、遊び感覚で殺されかけた。
それでも、終ぞ逃げ出そうなどと思うことすらなかったはずだ。
――『虚空の旋律』には『及ばない』と確信すらしていたのに。
そして、『殺し屋』の介入。
そのときは天乃自身、既に満身創痍であった。
銃弾に貫かれ、身体を引き摺りつつも、何とか立ち上がっていたのを覚えている。
もっとも、万全だったとして、何かが変わったとも思えないが。
その際は、御堂と刹那を逃がそうとして見事に断られてしまったわけだが、不思議と天乃自身が逃げるという選択肢はなかったように思う。
――『殺し屋』の底は見通せず、『勝機が見出せない』と思っていたのに。
思えばいずれの状況でも天乃は絶望に呑まれず、敵に立ち向かっていた。
勝てないから戦えないなど、そんな発想は端からなかったのである。
そして同時に、天乃はそれが数分前の自身の思考とも完全に合致してしまっていることにも思い至る。天乃はまさしく《無貌》の男と対峙するに際し、『勝てなくても、せめて戦うことはできるはずだ』と息巻いていたのではなかったか。
確かに、これらは一見勇ましく、『勇者の素質』などと称賛めいた呼称が与えられることにも理解が及ぶ。勝機があることと戦意があることは別物なのだから、天乃が考えたように、勝てなくても戦うことはできるだろうと言われてしまえば、反論の余地などありはしない。例え小動1つ起こせずとも、挑むことだけであれば可能なのだから。
だからこそ、天乃が改めて考え直しても、振り掛かってきた火の粉は払うしかなかったと思ってしまうし、実際に先程までそう考えて行動していたわけだが、果たしてこれは常人の思考なのだろうか。
否、そんなわけがあるまい。
仮に戦いに巻き込まれたとしたら、逃走経路の検討と彼我の戦力差の分析は、必須であり急務であろう。
常人からすれば、争いはできれば避けたいし、勝機の見えない戦いに身を投じたいなど思うはずもないのだから。
目の前に危険から逃れられる道が広がっているのに、敢えて武器を持つ相手に対して丸腰で飛び掛かるなど、正気を疑われても仕方がない。
だからこそ、天乃がしたように、勝機が一切見出せていないにもかかわらず、正面突破を敢行しようとするのは、単なる破滅願望の発露――自殺志願の一種に他ならない。ましてや、実際にそれでどうにかできてしまうのは常軌を逸していると評するしかない。
常人であれば、勝てないのであれば、通常まず戦わない。いつかは対峙することになるとしても、まずは機を見出す。そのためにこそ、いつかの打倒を志し、準備を進めて、期を待つのだ。
それこそが正攻法であり、これも立派な戦いである。
これをもって弱者の戦法だなどと謗られる謂れがあるはずもない。
そういった意味で、『勇者の素質』にいう『勇者』とは、『勇気ある者』との称賛ではなく、『蛮勇を振るう者』との蔑称なのだろう。
要は、『覚醒者』とは、その手の後退のための螺子が外れた破綻者だけが辿り着ける境地に他ならないのだ。
例え勝機がなくても敵や障害に挑み、それでも不断の努力と不屈の覚悟と無限の根性で、打倒するに足るだけの力を実践において目覚めるかように獲得する。これこそ『勇者』の本質であり、それを持つ者をこそ『覚醒者』などと呼んでいるに違いない。
傍から見れば理解不能な破滅への直行便に乗りながら、当人だけは『自分ならできるはずだ』『やれるとも』『今はできない? だからどうした』『すぐにできるようになってみせるさ』『まだだ、終わっていないぞ』『これしきのこと、できないはずがないのだから』などと、輝く未来の希望を妄信し、逆境すらも糧に変え、爆発的な推進力をもって諦めることなく邁進する。そして、結局本当に不可能すらも叶えてしまう――理不尽の体現。
なるほど、《無貌》の男が『不屈の亡者』と表現したことにも得心がいく。
だが、それが記憶を失う前からの天乃慎の本質だとすると、とある情報に矛盾が生じる。
つまり、これは単にそれだけというわけではなく――
「――いッ……」
そこまで考えた天乃の思考に露骨なノイズが走る。
――まだ気づくべきではない。
という“直観”に基づく危機回避のための判断が、ノイズという形で現れたのである。
だからこそ、天乃はそれに従って、浮かんだ疑問を即座に放り投げる。
必要なときには、それがわかると信じているから。
そして、皮肉なことに、そのようにしてあっさりと“直観”を信じて思考を放り投げることができてしまった天乃は、その瞬間に、確かに自分の中に息衝く『勇者の素質』を自覚するに至った。
「――なるほどな。なんとなく、わかったよ。
オレに素養がありそうだという話も含めてな」
「それは重畳。手間が省けて助かるな」
そう述べる《無貌》の男の声は、どこか皮肉気である。
彼から見れば、天乃が相当歪なことは一目瞭然だったのだろう。
「けど、いくつかってことは、それだけじゃないんだろ?
『諦めなければ夢は叶う』なんて単純な話なのだとしたら、きっと誰もが諦めきれなくなっちまう」
「自覚はしているようだが、そう断言できる時点で、やはり貴様は相当あれだぞ。
賭けてもいいが、その保証があったところで諦める者は一定数確実に現れる。
ハッ、だがそうだな。人の世が希望狂いで溢れていないということは、他にも要素があると考えるのは自然なことだ」
「随分ともったいぶるんだな?」
「そんなつもりはない。
ただ、俺にも予定や段取りというものがあるというだけだ」
そういうと、《無貌》の男はいつの間にかたどり着いていた地下にある倉庫の扉を開いた。
「簡単な話だ。誰もがそんな向こう見ずに強くはなれないのだとすれば、最後に必要なのは“下地”に他ならない。最初からそうするようにできているならば、できない理由を見つける方が難しかろう?
つまり、世界の命運をかけた絶対的窮地の折、不屈の意志と勇者の素質と希望狂いの下地が噛み合えば、あっという間に『覚醒者』が出来上がる」
倉庫の床にあったのは非常に精緻で複雑な魔法陣である。
それを見た瞬間、天乃にとある考えが浮かび上がる。
この魔法陣の作成者についてだ。
おそらく、《無貌》の男でも三俣でもない。
彼らは両者ともに固有魔導の使い手であり、これまで見た限り、魔術の発動に際して魔法陣による補助を必要としない。
では、この非常に高度な技術で作成された魔法陣は誰によるものか。
これまで説明できなかった矛盾と違和感が一つの仮説に収束していく。
それと同時に、『覚醒者』の詳細についても当たりがついた。
『覚醒者』が人の世界を滅ぼす『超越者』に対抗するための対終末装置専用兵器だというのであれば、『超越者』を排除した後の歴代の『覚醒者』はどうなったのか。
「さて、実証の時間だ。俺たちの『超越者』滅殺計画のな。
悪いが、付き合ってもらうぞ」
《無貌》の男は不敵な笑みを浮かべると、魔法陣の中央に踏み込んでいった。




