前哨戦
2036年6月7日午前11時50分
終業のチャイムが鳴る。
現在はちょうど3時間目が終わった時間である。
「はい。それでは,次の時間は実習の見学の時間ですから,全員移動してください」
授業を終えた賀上は,1年10組の教室から出ていく。
他の生徒が移動の準備を始める中,天乃は,隣に腰かける英莉に声をかける。
「なんか,監視がなくなったな」
天乃を見張っていた遠隔の魔術が,今は跡形もなく消えさっていた。
英莉は,タブレットを操作しながら,目を離すことなく天乃に返事をする。
「そうじゃのぉ。飽きたのかのぉ」
「いや,授業に飽きたのはお前だろ?
もはや守護霊への擬態すらしてねぇじゃねぇか。
どこの世界にタブレットを弄って暇つぶしするAIがいるんだよ。
周りも疑いの目で見始めてるぞ,多分な」
「わっちには関係ないのじゃあ。
そこら辺の問題は百目鬼に丸投げするからのぉ」
「気の毒に」
英莉は,タブレットから目を外し,天乃を見やる。
「ところで,次は実習の見学とかいうとったか。
正直,わっちは参加せん方がよいと思うがの」
「どういうことだ?
いろんな魔術が見れるんだろう?」
「そうか。主殿が興味あるというなら止めはせんよ。
ただ,そうじゃな,酔わないように覚悟はしとくんじゃな」
「酔う?」
「そういう表現を用いとったのは主殿じゃ。
なんでも,その魔眼,大量の魔術を同時に見ると気分が悪くなるそうなのじゃ」
「なるほどな,そんな弊害があるのか」
「まぁの。そんなことはほとんど起こらんが,実習はこの学校におる1年生全員が参加するらしいからの。
1組が約30人として,9組で約270人か。
この学校の1年生だけでこれだけの魔術師がおる。
それらが一堂に会して魔術を使うわけじゃ。
無論,1室に集まるのではなく,それぞれ系統の似通った者同士で固まって別室でするらしいのじゃが」
「詳しいな」
「まぁの。これには少々興味があってな。
事前に聞いとったのじゃよ」
「興味?」
「あぁ。まぁ,期待外れじゃったがな。
ところで,そろそろ向かおうか。
人も疎らになってきたしの」
教室に残っていたのは,天乃と英莉を除けば間森と遊上だけである。
残っていた二人は帰り支度を始めている。
「え? 2人とも,帰るの?」
「当たり前だろ?
あんなもん見て何が楽しいんだか」
間森が極めてどうでもいいというように言い放つ。
「私もパース」
遊上も間森に続こうとしていたが,天乃の様子を見て考え直すかのように口を開く。
「っと思ったけど,その様子だと慎ちゃんは参加するのかぁ。
……うーん。この事情を口で説明するのは難しいわね。
やっぱり,私は参加するか」
「そうか。俺は,そうだな。
ちょっと相庭何某とやらに探りを入れてきてやるよ」
「例の遠隔視の警備隊員ね。
素直に答えるとは思えないけど」
「そこはほら,俺ってば一応警備隊にもパイプあるからさ」
間森はこう見えて浅木の治安を維持する組織『警備隊』においてアルバイトをしているのである。
警備隊は人不足の傾向があり,事務職員を学生のアルバイトで賄っているところもあるのだ。
「ま,期待せずに待ってろよ」
「じゃあ,私たちはいくわ」
そういって遊上は間森に別れを告げ,天乃の腕をとって一緒に教室を出ようとする。
そうしたところ,天乃の空いた逆側の手をガシッと英莉が掴む。
「待てい。
さらっとわっちを放置しようとするな」
「あれ,英莉ちーも来るの?」
「当たり前じゃろ。
わっちはこれでも主殿の守護霊ということになっておる。
なぜ,ついてこない前提なんじゃ」
「いや,興味ないのかと思って」
「異なことをいう。
主殿のことだぞ?
興味があるに決まっておろうが」
「そうなの?
英莉ちーって,前はそんなに慎ちゃんにべったりじゃなかったじゃない」
「あのな,さすがにわっちも記憶を失くして右往左往しとる主殿を放っとくような真似はせんぞ?」
「ふうん,そうなんだ。
まぁそれならそれでいいんだけど」
そういって,遊上は何やら含みを持たせたうえで言葉を切る。
英莉は口にはしなかったが,英莉が天乃に着いて回っているのは,天乃の存在強度が低下していることも関係がある。
簡単にいうと,現在の天乃には死に易いという土壌があるのである。
言葉を交わしながら静かに火花を散らす遊上と英莉の間で立ち尽くしている天乃に間森が声をかけてくる。
「なんか,両手に華だが,前途多難だな,慎」
「こっちはなんとか上手くやるよ」
「そうか。あと,真理がいるから大丈夫だと思うが,『荊』には気を付けろよ?」
「『いばら』?」
「じゃな」
言いたいことだけを言って間森が鞄をもって立ち去る。
どうやら本当に下校するらしい。
「あー,じゃあいくか?」
「そうね」
「うむ」
天乃の提案に,遊上が組んだままの天乃の腕を引き,英莉が逆側の手を強く握る。
「あの,歩きにくいんだけど」
「気にしないで」
「気にするな」
天乃の精一杯の言葉は,重なる声にかき消された。




