魔力競技、規格外すら凌駕する異質
2036年6月7日午前10時50分
終業のチャイムが、静まり返った校舎に鳴り響く。
現在はちょうど二時間目が終わった休憩時間である。
「ふむ、では、今日はここまでとする。これから実習の時間だ。各自準備をして所定の位置に移動しろ」
第三高一年一組の魔術の座学を担当する伏見)鋼一は、それだけ述べると足早に教室を去っていった。
教官がいなくなった教室には、一様に弛緩した空気が流れ始める。
実習とは、実際に魔術を行使したり、魔力操作の訓練を行ったりする時間のことだ。魔力の暴走を起こす懸念がなくなった者たちにとっては、体育と同様に「学校が公式に認めている息抜き」と捉える生徒も少なくない。もっとも、学習要領に照らせば、体育も実習も決して娯楽が目的ではないのは周知の事実であるが。
そんな中、他の生徒と同じく実習を単なる暇つぶしと考えている、見た目小学生ほどの少女――水無月風華は、自分の席で退屈そうに欠伸をしていた。
水無月の装いは他の生徒と同じく第三高校の制服だが、彼女だけはなぜかこの季節に冬服の上着を羽織っている。
実は、この上着は水無月が保有する魔導書――『虚空の旋律』が外見を変化させたものだ。
『虚空の旋律』はいわゆる禁書の部類に入る封印推奨の魔導書であり、水無月は当然、学校にその保有を申告していない。それどころか、魔導書を所持するための正当な手続きも一切踏んでおらず、その存在自体が完全に違法状態であった。
そんな危うい私物を纏ったまま、水無月は実習用の体操服に着替えようと、更衣室へ向かう準備を始める。
「うへぇ、疲れたぁ。ふぅちゃぁん、助けてぇ。さっきの授業、先生がなに言ってるかわかんなかったよぉ」
準備中の水無月に、涙目で抱き着いてきたのは狗飼朱音である。
黒髪ショートカットの彼女は、その年齢に似つかわしくない豊満な肉体で水無月を押しつぶす。そのままぬいぐるみのようにぎゅうぎゅうと抱きしめられた水無月は、友人の無遠慮な振る舞いに苛立ちを覚えつつも、律儀に返答した。
「……あのね、魔方陣は一応アンタの専門分野でしょうが」
「だってね、だってね、わたくし、そんな難しいこと考えてるわけじゃないもの。あんなの適当にやったら上手くいくじゃない?」
「……こぉの、天才がぁ!」
「えぇぇぇ、なんで怒るのぉぉぉ。ふぅちゃん絶対カルシウム足りてないよぉぉ。だからちっちゃいまんまなんだよ?」
狗飼の腕の中で圧迫されていた水無月が、怒気を含んだ声を上げる。
対する狗飼は、なぜ水無月が怒るのか理解できない様子で、天然のまま的確に「小柄な容姿」という地雷を踏み抜き、さらに煽りを重ねる。本人に悪意がなく、ただ思ったことを口にしているだけという点が、なおさら性質が悪い。
「こいつッッ、やはりここで殺しておくべきかッ!」
「はいはい、そこまで。水無月も、落ち着いて? ここで狗飼を殺すと、今までのあんたの積み上げてきた我慢という名の努力が水泡に帰すよ?」
殺伐とした空気を切り裂いて仲裁に入ったのは、緋澄眞琴である。
茶髪のハーフアップという髪型の彼女は、今にも物理的に噛みつきそうな勢いの水無月に自制を呼びかける。
「……眞琴、積み上げる作業って不毛よね。崩れるときは一瞬なのに、どうして皆頑張れるのかしら。アタシには理解できない」
水無月は既に激昂する気力すら削がれたのか、愛玩動物を愛でるように抱きしめてくる狗飼に為すがままにされ、髪をぐしゃぐしゃにされながら遠い目をしていた。
「それはきっと高みに辿り着きたいからだね。高いところからしか見えない景色があんのよ。っていうか、そんな形而上の話をしてるわけじゃないんだって。ほら、狗飼も。さっきのはちょっと云い過ぎ。謝んなさい」
「えぇぇぇ、なんでぇぇ。わたくし、悪くないもん」
「こいつッッ!!」
再びキレそうになる水無月の言葉を遮ったのは、どこからともなく現れた一人のメイド服姿の女性であった。
「お嬢様。世の中、悪いと思っているから謝るものではありませんよ? 謝ることによって物事が円滑に進むとわかっているから、心にもない謝罪をするのです。今お嬢様は岐路に立たされています。この天空は、ここで謝っておくのがよろしいかと愚考しますが」
メイドに「お嬢様」と呼ばれた狗飼は、その言葉を吟味するように黙考する。
「……なるほど? つまり、ここでわたくしが大人の対応をすることで、物事が円滑に進むのね?」
「はい、万事滞りなく」
教室にメイドがいるという不自然さは、この際もはや論じるに値しない。会話の内容は周囲にも丸聞こえであったが、狗飼は気にする様子もなく、慈愛の表情を湛えて水無月に向き直った。
「ふぅちゃん、ごめんね?」
「素晴らしい」
手放しで主を称賛するメイドを無視し、水無月は「納得できるか!」と叫びたい衝動を抑え込む。主である狗飼を立てるためにすべての泥を被る苦労人――そのメイドに同情せざるを得なかったからだ。もっとも、このメイドはそれすら計算に入れて、周囲に聞こえるように話したのだろうが。
「…………わかった。今回はこれで手打ちよ」
結局いつものパターンか、と内心で息を吐きながら、水無月は矛を収める。
「わぁい。さすが天空ね」
「いえ、この天空はお嬢様の決断と水無月様の賢明なる判断こそがこの状況を生み出したものと愚考いたします」
「謙遜することないのにぃ。でも、勝手に出てきちゃだめだよ? わたくしが怒られるんだからね?」
「いえいえ、表に出るときはきちんと選んでおりますので」
天空と呼ばれたメイド服の女性は、しれっとそんなことを宣う。
「相変わらず、自由な召喚体ね。主が命じていないのに出てくるとか」
緋澄が言う通り、この女性――天空は、狗飼が使役する召喚体である。
召喚体とは、擬似生命を呼び出す魔術の一種である『召喚』により顕現した存在の総称だ。
「いえ、緋澄様。このお嬢様の場合、出過ぎた真似というものが推奨されるのですよ。いや、本当に」
「?」
首を傾げる狗飼に「そういうところだぞ」というツッコミが喉元まで出かかった水無月と緋澄だったが、辛うじてそれを飲み込んだ。
「じゃあ、移動しよう。これから実習だからね」
「まこちゃんこういうとこ真面目よねぇ。わたくしは実習って苦手ぇぇぇ」
「そりゃ、あんたは普段天空を出すことしかしないから、ペースとか考えなくていいもんね」
緋澄、狗飼、水無月の三人が教室を出ていき、天空が影のように付き従う。
この三名(と一名)こそが、今年度の第三高校新入生の中でも、魔術部門において圧倒的な成績を収めている「怪物」たちであった。
魔術の成績は、使用可能な魔術、保有魔力量、操作の熟達度などを総合的に考慮して五段階で評価される。下から、レベル1(E級)~レベル5(A級)まで。
そして、浅木大学付属第三高等学校には、一芸に特化した魔術師ばかりが集められているというのが世間の認識であった。
あくまで傾向だが、各校の特色は次のように囁かれている。第一高は万能者、全てを満たす。第二高は優秀者、優れた成果を出す。第三高は特化者、一芸に特化する。第四高は劣等者、劣った結果を出す。第五高は欠陥者、何かが足りない。第六高は破綻者、どこかが壊れている。第七高は研究者、研鑽対象は自身ではない。
水無月、狗飼、緋澄の三人は、典型的な「特化者」であった。
彼女たちはそれぞれ、『王宮勅令』、『天空召喚』、『荊の女王』という一種類の魔術しか使えない。
それにもかかわらず、水無月と狗飼は既にレベル5――最上級魔術師に該当し、緋澄に至っては、世界に二十人といないレベル6――戦略級魔術師の一人である。
レベル6は、本来の基準における最上位(レベル5)を越えた、規格外の存在であることを意味する。
戦略級魔術師とは、たった一人で従来の常識を覆し、その存在自体が戦略として機能してしまうほどの異常者にのみ送られる称号だ。
緋澄は、そのイレギュラーの中でも最年少で選ばれた最新の戦略級魔術師である。それも戦時ではなく平時において認定されたという点で、その異常さは際立っていた。唯一「戦争を知らない戦略級」でもある彼女だったが――。
その世界レベルの化け物は、魔力操作の緻密さが鍵を握る競技――『送球』において、水無月と狗飼にダブルスコア以上の差をつけられ惨敗していた。
『送球』とは、魔力を込めて自在に操る『魔球』を筐体越しに操作し、特定のコースを走らせる競技だ。
得点は、ゴールまでの時間から、壁への接触回数や接着面積の減点を差し引いて算出される。
減点対象となるコース得点は高めに設定されており、わずか五回の接触、あるいは約5秒の接着で得点はゼロ以下になる。つまり、壁に触れず、かつ迅速にゴールへ届ける技量が求められる。
「また負けた」
「わたくしも、『送球』に関しては、ふぅちゃんには絶対勝てなぁい」
体操服姿の緋澄と狗飼が、不満そうに口を尖らせる。その視線の先では、ゴールさせた『魔球』を無理やり逆走させて遊んでいる水無月の姿があった。
本日の水無月の記録は、上限百点の競技において二百四十六点という驚異的なものだった。ちなみに狗飼は百九十二点、緋澄は九十四点である。
なぜ百点以上の点数が出るのか。それは、この水無月と狗飼が入学後の初回測定において、想定を大幅に上回るタイムを叩き出し続けたためだ。教職員たちは協議の末、全てのタイムを割合で得点化することにした。その結果、通常ではあり得ない百点超えのスコアが並ぶことになったのである。
当の水無月は、その異常な点数に感慨を抱くこともなく、既に『送球』への興味を失っていた。
「次、なんだっけ?」
「えぇっと、次はねぇ、『遠投』だよぉ」
「でも、その前に天空がまだ『送球』よ」
体操服姿の少女たちを余所に、メイド服のままの天空が筐体に手を触れる。
狗飼が召喚した天空は、召喚体の身でありながら魔術を扱えるという、あり得ない特性を持っていた。
狗飼の『天空召喚』は、自我を持ち、記憶を引き継ぐという特性を備えた「天空」を自在に顕現させる異質の魔術だ。学校側も、この特殊な召喚体に対しては特例で実習への参加を認めている。
その天空は、筐体に触れた手をすぐに離し、操作を終了させた。
「いえ、終わりましたので、次に向かいましょう」
天空の魔力を受けた『魔球』は、驚くべきことに独りでに正確な挙動を描き出した。速度こそ特筆すべきものではなかったが、それは一度だけ壁に接触したものの、目標タイムをわずかに過ぎてゴールする。
得点は七十二点。
この怪物たちの中では最低点だが、百点が上限であることを考えれば十分に高い。何より、継続して筐体に触れていないのに挙動を変えさせるなど、それだけで異質だ。周囲の生徒たちは、不気味な現象を目の当たりにしたかのようにギョッとした顔を浮かべていた。
「器用なもんね」
「いえいえ、この天空の実力では、とてもお嬢様方のような精緻で迅速な挙動などできませんので。ちょっと趣向を凝らしてみただけです」
水無月の言葉に天空が答える。もっとも、天空の過去最高記録は百五十五点なので、この言葉は多分に謙遜を含んでいた。
だが、水無月は足を止め、何かを考え込むように天空を見つめる。
「趣向を凝らしたって……皆ビビってんじゃん」
「おや? 『皆』とはどこの有象無象のことでしょうか? 少なくとも、向上心があれば、水無月様のように、この天空の用いた技術を特定しようとするでしょうに」
天空の辛辣な返しに緋澄が苦笑いしていると、水無月が再び筐体に向かって歩き出した。
「つまり、こうゆうこと?」
水無月は筐体を見ることすらなく、天空と視線を合わせたまま、筐体に手を翳してすぐにその場を離れた。
自走する球体が叩き出したスコアは百四十五点。
「お見事」
「っていうか、私、これにも負けてんじゃん」
自分と同じ手法を瞬時に上回る成果で再現した水無月を、天空は称賛した。一方、この分野における圧倒的な差に項垂れる緋澄と、「わたくしの勝ちぃぃ」と無邪気に喜ぶ狗飼。そんな二人を、水無月は冷めた目で見つめていた。
彼女は勝ち誇る狗飼に若干の苛立ちを覚えつつ、次なる競技『遠投』の筐体を目指す。
魔術実習には、魔力操作の訓練と、実戦的な向上訓練の二種類がある。
操作に難があると魔術の暴走を招くため、教育機関である浅木では前者に重点が置かれている。座学で原理を学ぶのも、すべては魔力を自在に操るためだ。
『送球』や『遠投』といった競技は、卒業までに一定の得点を取ることが目標とされている。水無月たちは入学時点で既にその目標を軽々と超えているが、義務として参加を強いられていた。
競技は全部で六種類。『送球』:緻密な操作。『遠投』:指向性と出力。『妨害』:暴走の抑止。『装甲』:魔力を身に纏う技術。『対戦』:対人形式の駆け引き。『飛翔』:全技量の高度な要求。
最難関の『飛翔』は卒業の必須要件ではなく、現在その参加資格を持つのはこの中で水無月と天空だけである。狗飼は『妨害』と『対戦』、緋澄は『妨害』のスコアが足りていなかった。
一行は続けて『遠投』の競技を開始する。
この日の『遠投』の記録は、圧倒的な出力を誇る狗飼が最高得点を叩き出していた。




