環境に順応する怪物を見る複数の視線
2036年6月7日 午前9時41分
「わからん」
そう呟いたのは、天乃の隣で授業を聴講していた英莉であった。
今は一時間目が終わった後の休憩時間である。
「どうした? 英莉。まさか、今の授業の内容じゃないだろうな」
存在自体が魔術の深奥ともいえる英莉の言葉に、天乃は疑問を抱く。
先程の授業は魔術の初歩――魔術の発動・威力増幅・効果付与などを行う『魔装具』と呼ばれる補助道具の説明であった。
「まさに、それじゃ。わっちは魔術を使用するに際して魔装具どころか詠唱すらも使ったことがないからな。ニンゲンがそういったモノを使うのは知っておるが――その仕組みなど解説されたところで、それ要るか? と思ってしまう」
それに対する英莉の言葉は簡潔であった。曰く、使わないものの有難味はわからないということである。
「……なるほど、天才には凡人の工夫がわからないってことか」
「というより、わっちにとっては魔術の使用などニンゲンにとっての呼吸に等しい。呼吸器を付けたことがないが故に、呼吸器を付けなければ呼吸できない者らの気持ちに理解が及ばんのじゃよ」
「贅沢な悩みだ。というより、オレ的にはオマエが真面目に授業の内容を聴いていることに驚きを禁じ得ないわけだが」
「構わんじゃろ? やることもないわけじゃし。いや、このとおり、タブレットで株価とオークションサイトを眺めながらの聴講じゃから、そこまで真面目に聴いておったわけでもないがな」
「そっすか」
「よう、どうよ、慎。授業にはついていけそうか?」
英莉がひらひらとタブレットを振っていると、間森が声をかけてくる。
「まあ、なんとかなりそうだな。まだ6月というのがよかった。予習の範囲内で十分挽回可能だと思うよ」
「……マジかよ。ちなみに、予習ってどれくらいやったわけ?」
「とりあえず、この参考書にざっと目を通してみた」
そう言って天乃は英莉の持つタブレットを取り上げ、中に入っていた書籍のデータを表示する。
「『現代魔術重点講義』? ……これ、かなり本格的なやつだな。しかも、六百五十六頁もあるぜ? マジで全部読んだのかよ?」
「うえー。紙媒体なら人を殴り殺せそうな厚さね」
そう言って会話に入ってきたのは遊上である。
「読んだというか、目を通しただけだよ。まあ、今日は魔術関連の授業しかないわけだからな。一般教養は何とかできてもこっちは無理だろ? 常識ごと記憶を失ってるわけだし」
天乃の言に間森と遊上は目を見合わせる。
「相変わらず無茶苦茶だ。そういうところだぜ」
「え?」
間森はサングラス越しでもわかるくらい哀れなものをみるような表情で天乃を見やる。
「魔術オタク」
「えぇ?」
遊上はジト目で若干引いたような態度を見せる。
「本当に主殿は――限度を知らん。昨日、気絶させてでも眠らせてよかったわい」
「いや、オマエは何を便乗して自分の失点を取り返そうとしているんだ」
「ちっ、誤魔化せんかったか。ちゅうかマジでいつの間にそんなことしとったんじゃ」
『気絶?』と首を傾げる間森と遊上を放置し、天乃と英莉は会話を続けている。
「飯食った後?」
「真面目か。いや、よいのじゃよ? それ自体はな。ところで――気づいておるか? 主殿よ。わっちらを監視する者がおるぞ?」
英莉は天乃に小さな声でそういって、不自然にならないように何もない中空の二箇所を順に見遣る。
「さぁな、オレにわかるのは、魔力の線が纏わり付いてきているってことだけだな。数は三。それぞれ別の術式だ」
天乃は表情には出さず、小さくそういって英莉の頭を掴んで首の向きを変えさせる。
「ほぉ、あれはわっちも見逃しておったのぉ。さぁて、どうする? 主殿? このまま見られておるだけというのも、芸がないじゃろ?」
「今は、いい。目的がわかんないのは問題だが、――色は覚えた。術者を見れば特定可能だ」
天乃はそういって英莉の頭から手を放す。英莉は素早く目線を切り、天乃に向き直る。
「ヤダ、何こいつら怖い」
「……慎、そのうち一つには心当たりがある」
遊上は冗談めかして、間森は少し考えた後、それぞれそう述べた。
「心当たりってのは?」
天乃が間森に訊き返すと、間森は少々言いにくそうに口を開く。
「うん、あー、その、多分、警備隊だ」
「警備隊? そりゃ、また、なんで?」
「なるほどのぉ、昨日の今日じゃし、それは仕方ないか。主殿よ。いうておらなんだが、昨日の後処理は百目鬼の配下の下部組織の一つに任せたのじゃ。じゃから、警備隊からあらぬ疑いをかけられておるのかもしれぬ」
「昨日の後処理っていうと、案山子の件か?」
「そうじゃ」
「それがなんで警備隊に?」
その天乃の疑問に答えたのは、意外なことに横で携帯端末を弄っていた遊上であった。
「その下部組織っていうのが、警備隊とも繋がってるんでしょ。情報はそこから漏洩したのよ」
「なんだそりゃ」
「要は、売られたのよ。情報を」
そういって、遊上は携帯端末の操作を止め、画面を天乃に見せる。
「はいこれ。警備隊第一諜報部所属――相庭一臣。二十四歳。表向きは第四区の警備隊員ってことになってるわ。でも、実際はそこにはいないみたい。彼の本当の担当はこの第三区なの。そして、彼が、この地区担当の警備隊唯一の遠隔視魔術の使い手ね」
「おいおい、どうなってんだ? それって機密なんじゃあないのか?」
戸惑う天乃に遊上は笑いかける。
「そ。データベースをクラックして回収した情報を保存してんの。最近は便利でね。こんな小型端末でも中身をちょっと弄ればなんでもできちゃうのよ」
「……そういう情報ってスタンドアロンで管理されてんじゃねえの?」
「そうよ。でもね、最近までちょっと便利すぎる鍵があったのよ。それを使ってそういうスタンドアロンの情報も抜き放題だったの。とはいえ、それが使えなくなったから、この情報は今年の5月28日時点のものね」
遊上は何でもないことのように話すが、浅木の治安を一手に引き受ける警備隊の個人情報が一学生に把握されているというのは、相当にスキャンダルな話であろう。
「もしかして、オレの周りには変なヤツしかいないのか?」
「何をいまさらって感じね」
「お前がいうのか?」
「残念じゃったな。この中でも輪をかけて変なのは主殿じゃ」
嘆息する天乃に、呆れる遊上、疑問符を浮かべる間森、そして、致命的な一言を述べる英莉。
「……そっすね」
三人の総意である英莉の言葉を天乃は否定できなかった。
そうこうしている間に始業を告げるチャイムが鳴った。授業を始めますよーという賀上の声を聞き、間森と遊上は自分の席に戻っていく。
監視の目はまだ天乃を見ている。
その数は、この時点で四である。
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