殺意の博愛者への停止宣言
2036年8月9日 午前9時45分
《行き止まり》の渾身の膝蹴りによって、顎を真上へと打ち抜かれた『殺し屋』。その身体は空中で仰け反ったまま、物理法則を無視するようにゆっくりと上昇していく。足元を執拗に絡めとる減速領域が、衝撃を逃がさず、彼を吹き飛ばしきらないのだ。
「ふ、ふふふ、ふふふふはははッ……!」
その笑い声は、折れ曲がらんばかりに仰け反った状態の『殺し屋』の喉の奥から、せり上がるように溢れ出していた。
「いいぞ。これでこそ、殺し合いだ。あぁ……ようやく愉快になって来た……」
「だったらそのまま死んでやがれ」
膝蹴りから静かに着地した《行き止まり》が、感情を排した冷徹な瞳で、宙に浮く死神を睨みつける。
「いいや、せっかくの殺し合いだ。一方的では君もつまらないだろう?」
『殺し屋』は空中で無造作に出現させたナイフを一本振るった。それだけで、自身の自由を奪っていた減速領域という「事象」が殺しきられ、霧散する。解放された勢いのまま後方へ吹き飛んだ彼は、その場に華麗に着地してみせた。
「すまなかった。そろそろ私も、本腰を入れよう」
そう言った『殺し屋』の手には、一丁の自動拳銃が握られていた。
パン、という乾いた破裂音。
彼は狙いをつける予備動作すらなく、無造作に発砲した。
《行き止まり》は本能的な危機感から即座に停止領域を多層展開するが、放たれた魔弾はその絶対不可侵の守りごと「殺害」して貫通した。寸前で首を傾けた《行き止まり》の肩を、熱を帯びた弾道が浅く掠めていく。《行き止まり》の肩から鮮血が噴き出す。
「ふむ。こんなものか」
『殺し屋』はそう呟くと、まだ残弾のある自動拳銃を躊躇なく投げ捨てた。
「では、こういうのはどうかな?」
瞬時に、彼の両手には二丁の短機関銃が姿を現した。
銃口を《行き止まり》へと固定した『殺し屋』は、一切の躊躇なく引き金を引き絞る。
「ちッ……!」
《行き止まり》が鋭く舌打ちし、その場を全力で離脱する。
背後では、雨霰のように降り注ぐ銃弾がタイルを粉砕し、逃げ遅れた調度品を木端微塵に変えていく。跳弾の嵐に追い詰められた《行き止まり》は、足元から爆発的な魔力を噴出させることで、垂直に上空へと逃れた。
「では、次だ」
弾倉が空になった短機関銃を『殺し屋』は投げ捨てた。次の瞬間、その肩には、既に巨大な携帯型対戦車擲弾発射器が担がれていた。
「RPGだと!? 正気かよッ!?」
空中という遮蔽物のない空間で、《行き止まり》の目が驚愕に見開かれる。
放たれた擲弾は、噴射炎を撒き散らしながら正確に《行き止まり》の直下へと肉薄する。
《行き止まり》は空中で強引に減速領域を展開する。慣性を殺して擲弾を減速させると、それを素手で掴み取り、凄まじい旋回能力をもって『殺し屋』の元へと投げ返した。
それに対し、『殺し屋』の手から放たれた一本のナイフが、飛来する擲弾の信管をピンポイントで打ち抜く。激しい爆発が両者の中間で発生し、黒煙が視界を遮った。
「随分と本気じゃねェか、死神様よォ」
「いやはや、練度が低くて申し訳ない。殺し屋たるもの、銃火器を扱うからには必殺でありたいものなのだがな」
『殺し屋』は冗談めかして、殊勝な様子で肩を竦めてみせる。
だが、実際に狙われた《行き止まり》は痛いほどに理解していた。今の一連の攻撃は、いずれも必殺の一撃であったことを。ただ、標的が《行き止まり》であったからこそ、今まで生存できているに過ぎないのだということを。
「ふざけやがって。テメェの本気ってのは、そういうことかよ」
「いやいや。私は全ての『殺害方法』を愛している。このような泥臭い方法に頼らなくても、もっと避けがたい『死』を与えることもできるぞ? 例えば、そうだな。いっそのことNBC兵器でも使ってみようか?」
核(Nuclear)、生物(Biological)、化学(Chemical)。
その非人道的な総称を口にした瞬間、《行き止まり》の全身から、凍り付くような本気の殺意が立ち昇った。
(……こいつァ、ここで止めねェと駄目だ)
それは唯一の肉親を守るため、彼女を二度と孤独な停止に追い込まないための誓いであった。
「そう怖い顔をするな。冗談だよ。そんなことをしたら、私は大量殺戮によって、この大事な殺意をすべて失ってしまう」
だが、逆に言えば、殺意の枯渇という代償さえ支払えば、この男は平然と「絶滅」を選び取れるということだ。『金融屋』が狗飼に《契約》という呪いを残して去ったように、この『殺し屋』が周囲一帯ごと自分を心中させない保証などどこにもない。
「いいぜ。テメェは明確に、俺のリストの最上段に載った。……ここで、確実に停止させる」
「いい。それでこそだ。私に魅せてくれ、《行き止まり》」
戦場の中心で、終点が死神を狩ることを正式に宣言した。




