怪異が守護者として闊歩する学び舎
2036年6月7日 午前7時52分
「ちょっと待ってくれ。啓吾は何をどこまで知ってるんだ?」
「何を、どこまで、ね。質問がざっくりとしすぎてわかんねえぞ?」
天乃の問いに、間森はどこか真意をはぐらかすような曖昧な笑みを浮かべる。
「ただ、慎が死にやすくなっていることと、英莉ちゃんがちょっと普通じゃないことぐらいは知ってるさ」
さらりと言ってのけた間森は、その笑みをいっそう深いものにした。
「意外じゃな。うぬは主殿に忠告なんぞするタイプではなかったろうに」
情報の出所に戸惑う天乃に代わって、英莉が鋭い視線を間森へ向け、声をかける。
「そう苛めないでくれよ。さすがにこの状況で慎を放っておけるほど、俺は薄情じゃないつもりだぜ?」
「どうだかの。うぬの本音は見えづらいからの。その行動が私情から来るものか、使命から来るものかの判別はつかないわけじゃろ?」
「ははは、相変わらず手厳しいな」
「とはいえ、助力には感謝する。わっちの扱いに関して何かアイデアがあるのか?」
「まあな。割と合法的に慎を守れる立場につけてやるよ」
「ちょ、ちょっと待った。一体お前は何を言ってるんだ?」
天乃は、次第に不穏な雲行きを見せ始めた間森と英莉の会話に割り込む。
「ん? 要するに、合法的に英莉ちゃんを連れて登校する手段があるってことだよ」
「……なんか、オマエ楽しそうだな」
「まあな。じゃあ、早速行こうぜ」
「おー」
事態の推移を面白がっているのか、英莉が愉快そうに間森の掛け声に呼応する。
「頭痛くなってきた……」
振り回される側の天乃は、こめかみを押さえながら小さく吐き捨てた。
2036年6月7日 午前8時02分
「到着じゃな、うむ。ここが主殿の学び舎か」
「近っ!!」
「5分程で来たな」
結局、天乃は間森の勢いに押し切られる形で、英莉を伴って浅木大学付属第三高校へと到着した。
校門付近にはまばらに登校中の生徒がいたが、赤い和装という異彩を放つ格好の英莉に、否応なしに視線が集まっていく。もっとも、英莉本人はそのような好奇の視線には全く頓着していない様子であった。
「なあなあ、主殿よ。わっちは早く校舎に入ってみたいぞ。大体いつも置き去りじゃったからな。興味津々なのじゃ」
それどころか、見た目相応の幼子のように、声を弾ませてはしゃいでいる。この無邪気な様子を見て、誰がその正体を最強の暗殺人形に憑依した元怪異の王だと見抜けるだろうか。
「なあ、啓吾。マジで大丈夫なんだろうな、これ」
「問題ナッシングだぜ。とりあえず、職員室だ。事情の説明と――理事への取り次ぎをしてもらう」
「――理事、か」
天乃の脳裏に、昨夜目にしたノートパソコンのメッセージが蘇る。
『百目鬼亜澄に会え。』
この学園――正式名称「国立大学法人浅木大学付属第三高等学校」の理事を務めるのは、百目鬼亜澄という人物だ。彼女は天乃の血縁上の祖母にあたるらしく、現状で判明している唯一の肉親である。
記憶を失って以降、まだ一度も対面していない相手だが、その関係性は外部には秘匿されているとのことで、接触は困難だと思われていた。だが、思わぬ形で訪れた機会に、天乃は密かに安堵の吐息を漏らす。
「おお、いよいよ校舎に侵入するわけじゃな。なんだかワクワクするの」
「あんまりはしゃぐなよ? いや、この場合、はしゃいでいた方がいいのか? もうわからん」
「じゃあ、案内するからついてきてくれ」
間森の先導に従い、天乃と英莉は校舎内へと足を踏み入れる。
英莉が昇降口で少し離れた場所にある来客用のスリッパに履き替えていた、そのときだった。
スーツ姿の男性教員が、滑るような足取りで近寄ってくる。頬はこけ、病的なまでの痩身。だが、眼鏡の奥に宿る眼光は剃刀のように鋭い。
英莉は、その男が背後に立つその瞬間まで、一切の気配を察知することができなかった。男は無造作に英莉の肩へ手を置き、静かな声で問いかける。
「君は何者かね? 見たところ、人ではないようだが……」
「――ほぉ、わっちの正体をある程度見抜くか。こんなところで教員をやっておるのがもったいないほどじゃな。じゃが、安心せい。わっちは百目鬼の客じゃ。だから、その殺気を抑えてくれると、無用な争いが起こらんで助かる」
英莉は背後を振り返らず、あくまで自然体を装って答えた。そうしなければ、一瞬で「飲まれる」という強烈な予感があったのだ。
「殺気か。――曖昧な概念だな。私には、感じ取ることができないものだ」
「さようか。じゃが、殺気を放っておること自体は否定せんのじゃな」
「そうだな、否定できんよ。私には感じ取れないからといって、世界に存在しない理由にはなるまい? 魔術と同じだよ」
「魔術と同じ? うぬは魔術使いでもないと?」
「そうだ。多少特殊な訓練を積んだ経験はあるがな」
「俄かに信じがたいな。これほどの使い手が魔術に精通しておらんなど」
「そうはいってないだろう。私のこれは特殊な訓練の賜物だよ。――とはいえ、今の私はただの一般教養の教師に過ぎんがね」
男は淡々とした口調のまま、英莉の肩から手を離した。
「一応規則の話をしておると、部外者は許可証がいる。君はそのようなものを取得しているようには見えないがね」
「そうじゃな。ではどうする?」
「だが、理事の客を勝手に追い返すわけにもいくまい」
「おい、英莉、何してん……だ?」
遅れて上履きに履き替えた天乃と間森が、合流する。
「おはよう。……天乃か。今回は災難だったな」
「……えーっと、そうですね」
「城東先生、おはようございます」
「間森、天乃、これはお前たちの知り合いか?」
城東と呼ばれた男は、英莉を指さした。
「はい、そうっすね。英莉ちゃんです」
「では、あとは任せた。くれぐれも、問題は起こさんようにな」
城東はそれだけ言い残すと、天乃たちを振り返ることなくその場を立ち去った。
「今の誰だ?」
「俺達の担任の城東だよ」
「担任? あれがか。ちと厄介じゃな」
「厄介?」
「あれは相当の使い手じゃ。わっちの正体にも気づいたやもしれん」
「城東のことは気にすんな。あれは、基本的に触れなきゃ無害だよ。っていうか、俺たち城東に話があったんじゃん。何立ち去ってんだよ、あいつ」
「追いかけるか?」
「いや、先に予定通り職員室に行こう。城東より話が通じる人がいる」
2036年6月7日 午前8時12分
「それで? 今回はどんな問題を持ち込んだの? 大方その子のことでしょうけど」
職員室で対応したのは、いかにも面倒そうに渋面を浮かべる二十代の女性教員だった。ショートヘアに白衣、片手には使い古されたコーヒーカップ。
「問題って……まあ、問題なんすけど。この子に学校への滞在許可証と理事への面会を取り付けてほしいんすけど」
「あのねえ、間森君。それはどっちも私の権限でできることではないわよ」
「そこを何とか」
「何とかって。……もう、できる範囲で、ね」
「やったぜ、さすが、賀上先生は話が分かる」
賀上はコーヒーを飲み干すと、重い腰を上げて校長室へと入っていった。
「今のは?」
「賀上ちゃんだ。一応、俺達のクラスの副担任ということになっている」
「へー」
「なんじゃ? 主殿どうかしたか?」
「いや、何でもない」
わずかな待ち時間の後、賀上が校長室から戻ってくる。
「問題ないらしいわ。許可証は不要って話だし、百目鬼理事にはすぐ会えるそうよ。天乃君とそこの娘だけで理事長室に向かいなさい」
「そうか。じゃあ、俺は先に教室に向かってるぜ」
「わかった。また後でな」
2036年6月7日 午前8時15分
天乃は「理事長室」というプレートが掲げられた重厚な扉の前に立つ。一度深呼吸をしてからノックをし、中へと入った。
「ようこそ、天乃君」
デスクの奥に座っていたのは、赤い瞳の初老の女性だった。天乃はその顔立ちに妙な既視感を覚えたが、それがどこでの記憶なのかが判然としない。
品のあるスーツを纏った女性は、天乃に目で扉を閉めるよう促した。扉が閉まる音を合図にするように、英莉が一歩前へ出る。
「久しぶりじゃな、百目鬼よ」
「お久しぶりですね、ナイトウォーカー様。いえ、今は英莉様でしたか」
「く、かかっ、そう畏まってくれるな。気軽に英莉ちゃんとでも呼べばよかろう」
「ずいぶんと気さくになられたものです。居心地がよいのでしょうか? 天乃君の傍は」
「そうじゃな。余生を送る上では最高じゃとも。刺激が満載でな」
「そうですか。それは何よりです」
「それに、相変わらず周到ではないか。わっちのことを予め周知しておったのじゃな。おかげで、警備隊に止められることなくあっさりと校舎内に入れたぞ?」
「それが私の取り柄ですので」
柔和な笑みを浮かべて英莉と語り合う百目鬼。その様子を、天乃は強い疎外感と居心地の悪さを抱えながら見守っていた。天乃の落ち着かない様子を察したのか、百目鬼の視線が彼へと向く。
「さて、天乃君」
「はい」
「……やはり、私の知るあなたではないのですね」
「――残念ながら。オレはかつての天乃慎の記憶がありません」
「そうですか」
百目鬼は悲しげに言葉を切ると、射抜くような目線を天乃の瞳へと向けた。
「その眼、一応機能しているようですが、十全の機能は備わっていないようですね」
「え?」
「今はまだ時ではないということでしょう」
天乃が言葉の意味を追求しようとするよりも早く、百目鬼は次の話題へと移る。
「それより、今は英莉ちゃんの処遇について決めねばなりません」
「なあ、百目鬼よ。うぬは時々本気で言ってるのかわからんときがある」
「なんですか? 英莉ちゃん様。ああ、そういえば、お茶を出していませんでした」
「違うぞ? わっちはそんなこと気にしておらん」
「冗談です。事前に間森君から連絡を受けています。英莉ちゃんを天乃君の新たな守護霊にするというアイデアですが――」
「え?」
英莉の今後の立ち位置について、百目鬼は事もなげに重要な決定を下そうとしていた。
「ふむ。それはよいのではないか? もともと主殿の守護霊は守護霊としての機能なんぞなかったわけじゃしな。それに、わっちが守護霊となる方が何かと都合がよかろう。うぬとしても、な」
「ええ、英莉ちゃんさえよければ、採用する予定でした」
「――あの、オレの意見は?」
自分を置いてきぼりに進む話に、天乃はたまらず声を上げた。だが、返ってきたのは「却下です」「却下じゃ」という、情け容赦のない二重奏だった。
「そっすか」
肩を落とした天乃だったが、ふとした瞬間に、百目鬼の顔に見覚えがあった理由を思い出した。
「あっ、そうか。あのときだ」
「ん? どうかしたか、主殿?」
「どこかで見た顔だと思ったら、オレに施術をした中にいた一人だ。アナタだけ、何もせずに立ち去ったので、印象に残ってたんですよ」
「おやおや、今思い出しましたか。どうしても、一目会っておきたくてね。無理を言って紛れさせてもらったんですよ」
百目鬼は「ほほほ」と上品に笑うが、その行動は好奇心旺盛な子供のそれである。
「相変わらずじゃな、百目鬼よ。さて、それでは、わっちが主殿の守護を務めるということで話は終わりかの」
「そうですね。今、各教員には通達を出しましたので、貴女が自由に闊歩していても咎められることはないでしょう」
「さようか。それでは、わっちらは教室に向かうとしよう」
「城東先生には事情を伝えてありますので、少しくらい遅れても大丈夫ですよ」
「一つ、確認したいことがあります」
立ち去ろうとする足を止め、天乃は改めて百目鬼に向き直った。
「はい、なんですか?」
「アナタは、その、オレの祖母、ということでよろしいんでしょうか?」
「ええ、そうなりますね」
「ありがとうございます。それだけ、確認しておきたかった」
「ですが、そのことは内密に。対外的には私たちは赤の他人ということになっていますので」
「わかっています」
「では、いってらっしゃい」
「いってきます」




