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Replica  作者: 根岸重玄
恋情加速偏

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蹂躙する怪異の王と不滅の不死鳥が羽搏く夜

 2036年8月8日 午後7時01分


「弟くんが戦闘を開始した。そちらもいつでも始めてくれ給え」


 《行き止まり(デッドエンド)》と『壊し屋』の激突を少し離れた高台から、暗視機能付きの双眼鏡で観察していた《生き留まり(ピリオド)》から、天乃(あまの)の端末に状況開始の報告が届く。レンズ越しに火花が散るような魔力の奔流を確認した上での、冷徹な合図だった。


「了解。以後、通信は封鎖する。緊急時は神野に繋いでくれ」


「あぁ、では、幸運を」


「そっちもな」


 短いやり取りを終え、天乃(あまの)は目の前にそびえる狗飼(いぬかい)邸に向き直った。かつての静謐な屋敷の面影はなく、そこは既に魑魅魍魎が跋扈する禍々しい魔境へと変貌を遂げている。


「あの陰みたいな獣の群れ……天乃(あまの)、アンタ、知ってたわね?」


 蠢く霊獣の姿を目の当たりにし、水無月(みなづき)が鋭い視線を向ける。それは否応なく、13区のアミューズメントパークで目撃したあの異様な光景を彼女に思い出させたようだ。裏切りにも似た不信の眼差しに、天乃(あまの)は苦笑を返すしかない。この件については自分から話すから黙っていてほしい、と狗飼(いぬかい)に頼まれていたのだ。

 律儀にそんな約束を守る義理もなかったかもしれないが、天乃(あまの)は結果として彼女の意志を尊重した。そのしわ寄せが今、水無月(みなづき)からの追及という形で跳ね返ってきているのは理不尽な気もしたが、今の彼にできるのは曖昧に笑うことだけだった。


「主殿! まずはわっちが可能な限り引っ掻き回す。『魔人の枷』を外すのじゃ!」


 傍らに控える英莉えりが、戦意を高揚させながら告げる。天乃(あまの)はその言葉に応じ、彼女の身を縛る『魔人の枷』を解き放った。


「――解放」


 瞬時に、少女の姿は霧散し、かつての怪異の王、黄金の大怪異――エリザベート・ナイトウォーカーが夜の闇に降臨する。


 エリザベートはその場で軽やかに一歩跳ねたかと思うと、次の瞬間には狗飼(いぬかい)邸の外壁に巨大な穴を穿っていた。彼女にとっては、単に挨拶代わりにそっと撫でた程度に過ぎない。だが、それで十分だった。所詮は人の造りし構造物。伝説の大怪異の膂力を持ってすれば、コンクリートも豆腐と大差ない。


 壁の崩壊とともに、邸内の敷地から堰を切ったように魑魅魍魎が溢れ出した。《充溢魔獣世界(じゅういつまじゅうせかい)》。狗飼(いぬかい)の内在世界に潜む無数の霊獣が、現実世界へと侵食を開始したのだ。同時に、ご丁寧にも『金融屋』が提供した財宝の一部である強力な結界装置が駆動する。先ほどの爆音も含め、内側の惨状が周囲の一般人に察知される懸念は皆無となった。


 エリザベートは、足元を埋め尽くす霊獣の群れに一顧だにせず、悠然と狗飼(いぬかい)邸の内部へと歩を進める。それを阻もうと無数の魔獣が殺到するが、王の肌に触れることすら許されない。鎧袖一触。凡百の霊獣では、怪異の王が放つ濃密な魔力に触れただけで霧散し、消滅していく。

 これはもはや戦闘ではなく、純粋な格の違いによる蹂躙だった。味方であるはずの水無月(みなづき)御堂(みどう)ですら、その圧倒的な暴力の奔流に瞠目する。エリザベートがその本領を遺憾なく発揮する姿を目の当たりにするのは、これが初めてだった。


 そして同時に、二人の脳裏には共通の戦慄が走る。このような「怪物」を枷で縛り、平然と飼い慣らしている天乃(あまの)という男の異常性だ。天乃(あまの)慎は、ただ優れた手札を持っているだけではない。勝負の前提を根底から覆し、世界の理をねじ伏せる異能をその身に宿している。狗飼(いぬかい)が彼を最大限に警戒するのも、至極当然の判断であった。


彩芽あやめ、来るぞ! 真上だ!」


 天乃(あまの)の声が鋭く響く。完璧な遮蔽とタイミングを狙った奇襲。だが、それは天乃(あまの)の魔眼と“直観”によっていとも容易く看破される。御堂(みどう)はその警告を脳で理解するより早く、反射的に真上へと手甲型のスリングショットを向けた。

 その照準の先、夜の色と同化した巨大な鳥獣が、羽ばたく音すら殺して急降下してくる。


「舐めんじゃないわよ!」


 御堂(みどう)が放った金属弾が空気を切り裂く。それは発射の瞬間に超常的な加速を加えられ、即座に音速を突破した。《加速砲撃》。彼女の本来の魔術――《流星(ミーティア)》の劣化版とはいえ、この程度の迎撃は造作もない。

 思わぬ反撃を受けた巨大な鳥獣は、回避行動を取る間もなく脳天を金属弾に撃ち抜かれた。衝撃とともに全身が激しく発火し、夜空に巨大な火柱が立つ。だが、炎が消えた後、そこには傷一つない姿で悠然と羽搏く鳥獣がいた。


「火の鳥――不死鳥か!」


 天乃(あまの)の驚愕の声に、水無月(みなづき)が即座に反応する。


朱雀(すざく)!」


 火の鳥は地上に舞い降りると、炎を纏いながらその姿を優美な人型へと変化させた。


「ようこそ、水無月(みなづき)様」


「まさか、アンタが朱音(あかね)に従ってるなんてね」


「えぇ、世の中、わからないものです」


 水無月(みなづき)にとって、朱雀(すざく)は親戚の姉のような、親しみのある霊獣だった。狗飼(いぬかい)の屋敷を訪ねるたび、いつも穏やかな微笑みで迎えてくれたのが彼女であった。


「知り合いか」


朱音(あかね)の父親の霊獣よ」


「今は、お嬢様の霊獣ですが」


 朱雀(すざく)の言葉に、水無月(みなづき)は焦燥を滲ませて食い下がる。


「そうみたいね。アンタ、どうして朱音(あかね)を止めないの? 朱音(あかね)がやろうとしてることくらいわかってるでしょ!?」


「お嬢様が何をなさろうとしているか。もちろん把握しておりますよ」


「――だったら!」


「ですが、それを叶えるのが我らの役目。諫めるのは直属たる天空てんくうの役目です」


「あの忠犬が朱音(あかね)を諫めるわけないでしょうが! 口では無茶苦茶言ってるけど、なんだかんだ朱音(あかね)にべったりなんだから!」


「そうですね。あれの悪いところです。己の主人を諫めることもできぬとは」


 朱雀(すざく)は嘆息し、微かな悲哀を滲ませた。狗飼(いぬかい)が《百獣覇群(ひゃくじゅうはぐん)》で従える霊獣たちは、決して意思を持たない自動人形ではない。個々に思うところはあっても、それを飲み込んで主に従う――そうインプットされているのだ。


 背後の狗飼(いぬかい)邸からは、エリザベートが暴虐の限りを尽くし、構造物を破壊し尽くす轟音が絶え間なく響いている。


水無月(みなづき)様のすべきことは、私を説得しようと試みることではないと思いますよ」


 朱雀(すざく)は静かに告げると、再び巨大な鳥獣へとその姿を変貌させた。


水無月(みなづき)先輩! 朱音(あかね)さんのところへ!」


 御堂(みどう)がスリングショットを構え直す。


「ここはオレ達が引き受けた」


 天乃(あまの)がその魔眼に最大限の魔力を宿す。


「わかった!」


 二人の背中に全幅の信頼を預け、水無月(みなづき)はエリザベートが道を切り拓いた狗飼(いぬかい)邸の内奥へと駆け出していった。


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