脱落者が敷く新ルール
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そこは、現実の喧騒からも、魔術特区「浅木」の熱量からも切り離された、静謐な隔絶空間だった。
中央には巨大な石造りの円卓が鎮座し、そこから伸びる無機質な廊下の先には、各プレイヤーに割り当てられた個室が並んでいる。治療室や食糧庫といった、生存に最低限必要な機能だけが用意されたその場所に、外界へ通じる扉は存在しない。
その円卓から少し離れた廊下の隅で、場違いに暢気な声が響いた。
「やぁ、『殺し屋』。彼はどうだった?」
「『運び屋』か。ゲームをドロップしたはずの君が声をかけてくるなんてな」
瀕死の重傷を負い、意識を失っているジェーンを無造作に肩に抱えた『殺し屋』が、暗がりに向かって低く応える。
そこに立っていたのは、『運び屋』と呼ばれる男だった。
男は三十代後半、中肉中背というよりは少し小太りの体型で、お世辞にもこの閉鎖空間に集う「プレイヤー」としての威圧感はない。白のタンクトップに色褪せたジーパンという、どこにでもいる労働者のような格好だ。その両手には何も持たず、ただ所在なげにぶら下げている。
「まあね。僕はこのゲームから降りたけど、このとおり。権能は失っていないからね。暇つぶしがしたいのさ」
男がそう口にした次の瞬間、先ほどまで空を握っていたはずのその右手には、瑞々しい林檎が握られていた。『運び屋』は何事もなかったかのように、その赤い果実を齧る。シャリリ、と軽快な音が、密閉された通路に反響した。
「ふふふ、相変わらず便利そうな権能だ。手品にしか見えんのが、あれだが。さて、立ち話に付き合ってあげたいが、私はまずはこの娘を治療しなければ」
『殺し屋』は肩に預けたジェーンの重みを感じるように、わずかに身体を揺らして指し示す。彼女の呼吸は浅く、一刻を争う状態だった。
「あぁ、そうだったね。彼女も重傷だった。どうする? “運ぼう”か?」
「いいのかい? 私に肩入れするなんて。他のプレイヤーがなんというか」
「構わないよ。僕と同じくドロップした『復讐屋』なんかも自由にやってるだろ?」
「彼は、もともとこのゲームに参加する気がないようだから、君とは違うさ」
『殺し屋』は呆れたように肩を竦める。この閉ざされた庭園のような場所で、中立を気取ることの危うさを誰よりも理解しているがゆえの反応だった。
「それで? 彼女をどうする?」
「遠慮なく頼もう。彼女を“運んで”くれ」
「あいよ」
『運び屋』が短く応じた刹那、物理的な法則を無視して、『殺し屋』の肩からジェーンの身体が掻き消えた。重力から解放された衣服の裾が、一瞬だけ遅れて揺れる。
「彼女を治療室に“運んで”おいた。確認しに行くかい?」
「いや、信用しよう。それより、何か変わったことはないかな?」
「さあね。最近はどのプレイヤーも大詰めに入っていて、なかなか情報が入ってこないんだ」
「三代目『仲介屋』はどうかね?」
『殺し屋』の問いに、『運び屋』は齧りかけの林檎を弄びながら、個室が並ぶ廊下の奥へと視線を向けた。
「そちらはどうなのかな? 彼が一番難しい立場のはずだが、まったく動く気配がない。じっと座って眺めているよ。彼の駒と盤面を」
「ルールを理解していないわけではあるまい。彼なりに考えがあるということか」
「だと思うね。『仕切屋』も彼には期待しているらしいし」
「そうかね。私はどうするか」
それは『殺し屋』にとってはただの独り言であり、思考の整理に過ぎなかった。だが、『運び屋』は逃さずその言葉を拾い上げ、意外なほど饒舌に盤面を解説し始める。
「君にとっては、そうだね。『壊し屋』、『占い屋』、『金融屋』。そして、一応、『仲介屋』。このあたりが難敵という感じかな」
「ふふふ。君は本当によく盤面が見えている。なぜドロップしたんだい?」
「もともと、争いが好きじゃないのさ。それに、勝ちを目指す以外の道があると教えてもらったからね。『薬屋』とは違うさ」
「あぁ、彼女は本当に悲惨だったね。あの状態から再起可能な目はなかった。今はどうしているのかな。ゲームが続いている以上、彼女もいるのだろう?」
敗北し、尊厳すら失ったかつてのプレイヤーに思いを馳せ、『殺し屋』の瞳に冷ややかな光が宿る。
「そうだね。彼女はこちらには戻ってないよ。ここ最近の『仕切屋』の招集にも現れてなかっただろう?」
「そういえばそうだな。ちなみに、君は私に協力する気はあるかい?」
ほんの軽口、あるいは探り。しかし、『運び屋』は再び予想を裏切る真剣な声音で回答を示した。
「対価次第、だね。僕が納得する対価を支払うなら、なんでも、どこにでも、必ず“運ぶ”と誓おう」
「――君は……ふ、ふふふ、ふふふふ。面白いプレイヤーが現れたものだ。君も、まだまだドロップしていないじゃあないか」
「ドロップ宣言は撤回できないよ」
「なるほどな。それが君の強みか。だが、これでゲームは面白くなった」
「そういってくれると、君に声をかけた甲斐があったよ」
円卓を囲む静寂の中で、二人の視線が交錯する。欲望と冷徹さが渦巻くこの密閉空間において、この小太りの男は新たな異物として完成しつつあった。
「ちなみに、私以外にも声をかけているのだろう?」
「そうだね。まだドロップしていないプレイヤーには声をかけているところさ。さっきも言ったけど、やることがなくてね。暇なんだ」
『運び屋』は、悪戯が成功した子供のようにニヤリと口角を上げる。
「せっかくの権能――“運送”を腐らせるのもどうかと思うしね。とはいえ、君は浅木への干渉権は使い切っただろう? 次の標的は誰にするんだい?」
「ふふふ。その情報はこの場合、命よりも重い。残念だが、今後の方針は話せないよ」
「そう警戒しなくても、僕は『運び屋』であって『情報屋』じゃないからね。情報で商売する気はないさ」
「いずれにしろ、私の駒が復帰するまでは静観させてもらうよ」
「それもそうか。君を見ていると、そのあたりの原則を忘れそうになるよ」
「おいおい、こう見えても、私はルールの範囲内の行動しかとっていないぞ。“殺害”の権能が欠陥品でなければと常々思うよ」
自嘲気味に笑う『殺し屋』を背に、『運び屋』は別れの挨拶を口にしようとした。
「じゃあ、僕に用事ができたときは、是非呼んでくれたまえ」
「待て、『運び屋』。今後の参考のために聞いておこうか。例えば、『天乃慎』の心臓にナイフを“運ぶ”ための対価はなんだ?」
空気が凍りつく。それは文字通りの「必殺」の問いかけだった。だが、男は即座に首を振る。
「残念だが、そんな面白くない依頼は受けられないよ」
「それは安心した。君がその手の依頼を受けるようならば、この場で殺さなければならないところだった」
『殺し屋』から放たれた濃密な殺気が、無機質な壁に反響する。しかし、男は冷や汗を拭うような仕草をしながらも、その目は笑っていた。
「……は、はは、そんなに威圧しないで欲しいな。僕は、こう見えても中立さ。盤面には干渉するけど、ゲームの決め手にはならないようにバランスはとるつもりだよ?」
「では、そうだな。このナイフを『天乃慎』の居室の――そうだな。食卓の上に突き立てるように“運ぶ”ための対価は?」
今度は『運び屋』が顎に手を当て、真剣に検討を始めた。数秒の沈黙の後、彼は顔を上げる。
「うーん。そうだな。それはアリだ。そして、対価は1時間だね」
「1時間?」
「1時間――君の駒を貸してもらう。とはいっても別に何かをさせようってわけじゃない。『その間、君はゲームに参加できない』というペナルティを負ってもらうのさ」
「なるほど,な。君は新しい“ルール”になろうというのか」
「そうだね。ちなみに、『仕切屋』の許可はとったよ? 本来は不要なんだろうが、一応ね。裏ルール『運び屋』――存分に利用してくれ」
男の背後に見える巨大な組織、あるいはシステム。その一部を自らの色に染め変えたような不敵な宣言だった。
「また追加ルールかね。このゲームは本当に奥深い。だが、君にとってどんなメリットがあるんだい?」
「それは言えないよ。だって、言ったら面白くなくなるじゃあないか」
「それもそうだ。それを予想してこそ、ということだね」
「そうそう。僕はゲームをドロップしている。だが、だからといって景品を諦めたわけじゃあないってわけさ」
「だったら、中立など気取らず、素直に誰かにBETした方が見返りが大きそうなものだが」
「それじゃあだめなのさ。僕は――欲張りだからね」
小太りの身体に不釣り合いなほど巨大な野心。それを隠そうともしない男の姿に、『殺し屋』は愉快そうに喉を鳴らす。
「ほう、面白い。ドロップは正直どうかと思ったが。実にいいプレイヤーになったな、君は。『薬屋』にもこれくらいの不屈の精神を見せてほしいものだ」
「あはは、ある意味彼女が一番不屈なのかもしれないよ? だって、彼女――未だドロップしてないじゃあないか」
「……それもそうだな。なぜだ?」
「さあね。プレイヤーの権限は剝奪されたと聞いたんだけどね。ま、互いにベストを尽くそうよ」
核心を煙に巻くように、男は最後に一つ付け加えた。
「あぁ、ちなみに、ジェーンを“運んだ”対価は何かな?」
「あれは言ってみればお試し期間ってやつさ。ロハだよ」
「なるほど、只より高い物はない――ということかね?」
「さあ、どうかな。では、僕は行くよ。まだ、『壊し屋』に会えていないのでね」
「彼は君に協力を求めることなどなさそうだがな。彼の権能――“破壊”は型破りすぎる」
「そうかもね。でも、一応ね。声をかけておこうと思うわけさ」
『運び屋』はひらひらと手を振り、廊下の先にある自室の方角へと歩き出す。
「そうか。ではな、『運び屋』」
「ああ、またね、『殺し屋』」
残された『殺し屋』は、男が消えた暗闇をしばらく見つめていた。
新たなプレイヤー、新たなルール。
この密閉された「舞台」の上で、盤面はさらなる混沌へと突き進もうとしていた。




