修正力
2036年6月6日午後21時43分
「世界とは,また話が大きくなったな」
案山子の話に眉唾だという反応を示す天乃に対し,案山子はへらへらした笑いを返す。
「いえいえー。この話はどこまでいっても矮小でちっぽけな僕の話ですよ。
先輩は,修正力についてどの程度知識がありますか?」
「修正力か。
魔術の存在を否定しようとする作用だったか」
「一般的にはそーもいわれてますねー。厳密には,少し違うのですが。
あれは否定ではなくあくまで修正です。
異常を正常に戻そーとする作用というべきですか。
何をもって異常というかは,世界のみぞ知るというところですが」
「それで? その修正力がなんなんだ?」
天乃の疑問に案山子は正面からは答えない。
「先輩は,存在強度の話は聞いていますか?」
「オレの存在強度が低下しているという話か。
次から次へと事件に巻き込まれるのはこの体質のせいだと聞いている」
「それも,修正力とは無関係ではないのですよー。
というより,先輩の存在強度が下がっているというのは,つまり,世界にとって異物だと先輩がみなされているというのと同義なんですよ」
「その異常を取り除こうとする作用が修正力だったか。
つまり,オレが何度も死ぬ目に合っているのは,なるほど,究極的には世界に殺されそうになっているといえるわけか」
「そのとーりです,先輩」
「つまり,オマエの存在強度が何らかの要因で下がったということか?」
「“何らかの要因”ですか?
まー,そーですね。心当たりは先輩くらいですが」
「オレと関わったからだと?
だが,オレはオマエの存在など一度たりとも認識したことはなかったぞ?
それに,だったら他の奴らはどうなる?」
「そーなんですよねー。僕の隠密は完璧でしたー。
先輩達にはもちろんのこと,あの『殺し屋』にも感づかれてはいません。
順番的に僕の番が来ることはないはずなんですー」
なんでなんでしょーね,と案山子は首を傾げる。
ちなみに,エリザベートは話に飽きたのか既にこの場にはいない。
天乃から『魔人の枷』を装着してもらうと,今は,屋上から階段の踊り場に転がしてきた中年の見張りについている。
天乃としては,護衛としての適性を疑わざるを得ないが,英莉《えり》曰く,この程度の距離では護衛に支障はでないとのことであった。
「あー,そーだ。1つだけ,先輩に確認したいことがあったんです」
「何だ?」
「なぜ,あのとき嘘を吐いたのですか?」
案山子の疑問に対して,天乃の表情は変わらない。
「あのとき?」
「惚けないでくださいよ。5つの質問について,ですよ。少なくとも,先輩は出身地と氏名については嘘を吐きましたね。
いえ,氏名についてはどうしてあれが嘘になったのかということも疑問ですね」
「――嘘を吐いた理由は,どこまでが嘘になるかを判断するためだった。
出身地については,単純に知らない。
だから,東京という答えは嘘になる。これは予想通りだった。
氏名についても同様だ」
「同様? どーいう意味でしょーか?」
「いや,なに,オレは記憶を失くして以降周りの人間から『お前は天乃慎だ』といわれてきたが,それ自体オレ自身の知識ではない。
つまり,オレ自身疑う余地が残っている部分だろう?
そういった曖昧な状態のものが嘘になるかを確かめたかったんだ」
「そんなものなんですかねー。
名前なんてのは,大体の人間が周りにそー呼ばれているから,それが氏名として定着しているものだと思いますがねー?
それこそ,自分で自分の名前を付けた者以外は,生まれてから大抵は親につけられた名前を自身の氏名として認識しているはずですがね。
そこに疑う余地などないと考えるのが通常の思考じゃないんですかねー?」
「そうだな。その点に関していえば,オレの考えが普通じゃないんだろうな。
ただ,現状のオレと話に聞く『天乃慎』との乖離が激しいから,オレ自身疑問を持っていたということだ」
「あー,なるほど,そーいうことなら理解できますねー。
確かに,そーいった意味なら別人ですよ。あなたと『天乃慎』は」
案山子が苦笑いする。
「さて,これで僕の話は終わりですかねー。
あっ,そーだ。最後に,僕の死体を見に行きましょーか。
もしかしたら,何らかの対策を思いつくかもしれませんしー?」
「まあ,いいか。
で? どこに隠したんだ?」
「えーっとですねー。
先輩の部屋がこっちだから,その方向ですね」
そういいながら,案山子は屋上の端のフェンスにむかって歩いていく。
「ちょうどこの真下くらいですかね?」
そういって案山子が振り向いた瞬間であった。
パンという小さな破裂音がしたかと思うと,案山子の顔面が吹き飛ぶ。
「なっ」
案山子の身体は大きく仰け反ながら崩れ落ち,そのままフェンスに寄りかかるかと思いきや,フェンスをすり抜けて屋上から落下していく。
次の瞬間,天乃は猛スピードで飛来してきたモノに地面に強引に押し倒されていた。
「ぐあっ,な,なんだ?」
「主殿,頭を上げるな!
遠隔攻撃かもしれん」
天乃を押し倒したのは英莉だった。
そのまま,英莉に庇われること数秒,英莉はゆっくりと立ち上がる。
「おい,大丈夫なのか?」
「それを確かめておる。主殿は起きるなよ。できるなら頭は隠しておけ」
英莉はそのまま案山子が消えたフェンスに近寄る。
そして,フェンスに触れようとした英莉の手は,そのままフェンスをすり抜ける。
そのフェンスは次の瞬間に泡のように消滅する。
英莉はそのままフェンスのあった場所から身を乗り出し,階下を見下ろす。
「おいおい。どうなってんだよ」
「やはり,か」
「何があった?」
「何もないのじゃ。
ここにはフェンスも案山子の死体も。
このフェンスは幻覚じゃった」
「どうなっている。
案山子はどこに行った?
――いや,なるほど,案山子が言ったことが本当なら隠されているんだな,
案山子の死体は。案山子によって」
案山子の話によると,案山子の死体の顔はぐしゃぐしゃであったとのことである。
「状況的には一致しているか。
あとは,過去に死体が遡ったギミックだが」
「主殿よ,時間逆行など,現代魔術の範疇外じゃ。
案山子の話を真面に信じん方がよい」
「なら,世界の修正力というやつはどうだ?」
「わからん。じゃが,死体を過去に送ることができたとして,なぜ,それが修正になるんじゃ?
時間という本来的に不可逆なものに手を加えておる以上,何らかの理由があるはずじゃ。
それと,勘違いせんでもらいたいのじゃが,世界の修正力というのは,あくまでその結果に向けて物理的なあるいは人為的な干渉が発生するということじゃ。
世界そのものから超常の力が生じるものではないぞ?」
「そうなのか。じゃあ,あとは,何が考えられる」
天乃は考えを整理するために英莉に話を振る。
「わからん。今日は作り話と幻覚だらけでいったい何が本当に起こった出来事なのかわからなくなってきたのじゃ。
わっちに至っては,記憶も弄られておるからな。
そういえば,主殿の記憶は大丈夫なのか?」
「それは問題ないはずだ。
オレの記憶にはいかなる方法によっても干渉できないらしいからな」
『虚空の旋律』の言うことが確かなら,記憶に干渉する術式は神の術式とやらに弾かれるはずだ。
「ならば,基本的に主殿の認識は間違っておらんじゃろう。
問題は,五感を操る魔術と記憶を弄り,対象を操作する魔術と魔術の使い手を入れ替える魔術の存在じゃ。
これらのせいでややこしくなっとる」
「オレが案山子なら――」
天乃がその場に座り込み,考えをまとめる。
「――自分が世界の修正力に巻き込まれることが事前にわかったとしたらどうする?」
「案山子か。
しかし,なんで《案山子》なんじゃろうな?
あとはなんじゃっけ? 《虚言の戒め》か。あれもなんじゃったんじゃろうな」
(《虚言の戒め》?
偽物の妹が使っていた術式か。
だが,あれは五感を操作する術式で説明できるはず。
――偽物?)
――そう。一口に偽物といってもさまざまな種類があるわ。
(偽者,贋作,複製,代替,合同,模造,幻影,虚像,双子,投影,擬態,予備,似非だったか)
天乃が思い出していたのは,天乃の妹を名乗る虚像が言い放った言葉である。
(あの台詞はなんだ。
アレをあの偽物に言わせたのは幻覚を使っていた案山子のはずだ。
何か意図があるのか? 偽物の種類――ニセモノ?)
「なあ,英莉。世界の修正力について確認したい。
修正力っていうのは,世界にとっての異物を消し去って正常な状態にする現象だと思っていいのか?」
「んあ? まぁ,そうじゃの。
わっちも詳しいわけではないが,そうじゃの。異物を消し去るというのは,まさにその通りじゃよ。
ただし,さっきも言うたが,超常現象による消滅ではなく,あくまで物理的な干渉により,ごく自然に異物が排除されるわけじゃがな」
「なら,例えばなんだが,異物の方から先に消えてしまった場合,修正力はどうなる?」
「どういう意味じゃ?」
「――世界は,異物を何をもって異物として認識しているんだ?」
「それはわからん」
「例えば,その対象を入れ替えることができるとしたら?
世界は何を異物として消滅させる?」
「……つまり,主殿は世界は騙せるものなのかを問うておるのか」
「そうだな,そういった認識でもいい。
要するに別の対象を異物だと世界に錯覚させることはできるものなのか?」
「世界の修正力自体,研究がそこまで進んでいる分野とはいえん。
じゃが,わっちがいえるのは,世界というのは案外大雑把なものじゃ。
それ自体に自我がない故に,な。
つまり,騙すのは容易い。
というより,魔術師は,世界を騙すことに長けた才能を持つ者ともいえる」
「どういうことだ?」
英莉は腕を組みしばらく考える素振りをした後,続きを口にする。
「うぅむ,つまりな。
魔術という物理法則に反する挙動を起こす現象を生じさせている時点で,魔術師は世界にとって異物を精製していることになるのじゃよ。
ならば,その現象や現象を生じさせている魔術師がなぜ修正力によって修正されないのか。
理由は単純じゃ。魔術やそれを行使する魔術師が世界にとって正常であるという情報を同時に世界に書き込んでいるからに他ならん。
こんなことをいちいち意識しとる魔術師はおらんがな。
魔術の行使に伴って魔術師は常にどこかで世界を騙しておる。
これは間違いないことじゃ。
つまり,逆をいえば大規模な魔術や世界の正常とされるところを大きく逸脱する魔術というのは,それだけ修正力が働きやすく,失敗しやすいということじゃな。
死者蘇生・時間逆行・可能性の潜脱・並行世界の運用・概念の物質化・常態の消滅などが分類的には原則的に不可能とされている分野じゃ」
「――なら,例えば,《案山子》という術式が何らかの原因で世界にとって異物であるという認定をされたとして,誰かに《案山子》を擦り付けることで術者が生き残ることはできるわけだな?」
「なんじゃと?
なるほど,術者を入れかえる術式か!
主殿,つまり,あの案山子は本物ではなかったということか?」
「あくまで可能性だ。これからそれを確かめる」
天乃の足は自然と屋上から階下に降りる階段に向かっていた。
階段の踊り場には,地面に縫い付けられ,口を塞がれた中年男が呻いている。
「な,なんだこれ?」
「おぉ,これか? 万が一にも逃げられんようにと床とこやつの皮膚を破壊して再生したのじゃ。
わっちの破壊したものを再生する能力は再生するとき,別のモノ同士を接合することもできるのでな。
口も同じ要領じゃな。上唇と下唇を傷つけて接合しておいた。
ちゅうか傷の治療を除けば,わっちの能力はむしろ,こっちの用途で使うことが多いぞ?」
「お,おう。なんか,すごいな。
とりあえず,話せるようにしてくれ」
ほーい,と言った英莉は爪で引っ掻くように中年男の口を一閃する。
話せるようになった男は唇から出血しながら,天乃に向かって話しかける。
「あんた,天乃慎か」
「そうだが?」
「俺は,……誰だったか?
クソッ,記憶が曖昧だ。
案山子!! あのサイコ野郎め!!」
「案山子を名乗ってたやつならさっき死んだぞ。
死体は消えちまったがな」
「なんだと?
クソッ,だめだ,あんたに言伝を伝えないとどうやら俺の記憶は戻らないように設定されているらしい。
癪だが,あんたに伝言だ」
その続きを言おうとした男の表情がスッと消える。
まるで人形のように無表情となった男は,口を開く。
「『あなたがこのメッセージを聞いているということは,自分は任務に失敗したということでしょう。
この男は懐古主義者に所属する暗殺者です。
五感を操作する術式を用いていたのは,この者です。
本当は,いろいろと伝えたいことがあったのですが,本題だけ伝えます。
自分の死亡により,本日まであなたを護衛してきた組織の実働部隊は全滅しました。
組織の後方支援要員も自分の知る限り,1人を除いて全滅しました。
事実上の壊滅でしょう。
名残惜しいですが,最後に,この男を始末することで,あなたへの恩返しとしたいと思います。
それでは,ご武運を。』
――なんだ? 俺はいったい?
なんなんだ? くひがかっへに」
男は大きく口を開き,舌を出したかと思うと,勢いよくその舌を噛み切った。
口を血まみれにした男は,血だまりの中,空気を求めて口を開閉する。
「な,なんだと!? 英莉,治療を!」
「――ダメじゃ,主殿。案山子の最後の仕事を無碍にすることはできん。
わっちの記憶が,今,元に戻った。
愚か者め! あやつ,わっちの記憶を操作して自分の存在を消しておった」
天乃の眼には,先程まで英莉に施されていた魔術の痕跡が消えているのが見えた。
「だがっ――」
「――悪いが,慣れてくれとしか言えん。
主殿の道は血で染まっておる。今更,じゃぞ?」
「っ!! ……懐古主義者,というのは?」
天乃は手を握り,目の前で事切れそうになっている男を意識的に無視しながら,英莉に尋ねる。
「魔術が世界に広まった当初に結成され,今なお残っとる組織じゃよ。
要は,反魔術団体のタカ派の極致じゃとでも思えばよい。
目的の達成には実力行使もやむなしと考えとるテロリスト集団じゃよ。
全くもっておかしな組織名なのじゃがな。
彼奴等が懐古する世界にも魔術は存在しとったというのに」
「待て,こいつは魔術師なんだろ?
どうして反魔術団体の実働部隊なんかやってるんだ!?」
「人にはそれぞれの事情があるが,大方の予想はできる。
こやつほどの術者となるとな,魔術世界にも居場所がないのじゃよ。
要は,こやつと出会った者は皆,本当に自分の認識は正しいのかと常に疑う必要が出る。
な,誰がこやつと接触したいと思うのじゃ?
完全にオーバースペックじゃよ。
出る杭は打たれる,というわけではないが,過ぎたるは及ばざるが如し,じゃ」
「でも,だって,そんなのは仕方ないだろう!?
こいつのせいじゃない。
たまたまそういった魔術に適性があったってだけで,管理不可能だから排斥するしかないってのはどうなんだよ!」
「わっちに言われてものぉ」
英莉は少々肩を竦めてため息を吐く。
「まあ,じゃがな,別にわっちはこやつを責めたいわけでもないし,ニンゲンの魔術社会の弁護をしとるつもりもないが,完全に中立の立場で言わせてもらえば,じゃ。
完全にこやつの努力不足じゃよ。
言うておくが,魔術社会は割と寛容な方じゃと思うぞ。
なにせ,わっちのような完全な人外にすら居場所を与えてくれたくらいじゃしな」
そう言って,英莉は自嘲気味に少し笑う。
「では,なぜこやつは摘まみ出されたか。
考えられるのは魔術の悪用じゃよ。
犯罪行為に魔術を利用した者は信用を得ることができない。
可塑性というのかの。
そういったものが見られない犯罪者は社会から放逐され,庇護を得ることができなくなっても仕方ないと思うがの。
んでもって,そんなどうしようもなくなった奴を拾うのがテロリスト集団じゃというわけじゃ」
「あくまで,可能性だろう?
コイツがそうだったとは限らない」
天乃は,窒息してピクリとも動かなくなった血だまりに沈む男を見ながら言う。
「じゃから,死ぬべきではなかったと?
では訊くがの,逆にエビデンスがあれば死んでもよかったのか?
しっかりとした裏付けがあり,こやつが人外のわっちからみても完全に人間の皮を被った化け物じゃという確固たる証拠があれば,死んでもよかったと?
イエスならそれは偽善者という誹りを免れんし,ノーなら,それは度し難い聖人かリスク管理のできぬ愚か者じゃ」
天乃は英莉の問いに答えられない。
「主殿の言うとることは,つまりあれじゃろ?
自分が納得したいだけじゃろ? こやつを見殺しにした理由がほしいだけなんじゃろ?」
天乃は英莉の問いに答えられない。
「まあ,今回は許そう。
わっちとしても,初回の人間にそこまで割り切って達観した考えを持てというのは酷じゃと思うとる。
じゃからな,主殿。お願いじゃから,慣れてくれ。
主殿の道は,いつだって血で塗装されておるのじゃから」
「……努力,します」
「うむ。それでよい」
英莉は満面の笑みを天乃に向けると,着物の袖から携帯電話を取り出す。
そして,そのまま,それを操作してどこかに電話をかける。
「あぁー。わっちじゃ。
主殿の居所で死人が出た。
数は2人。但し,1人は行方不明じゃ。
手配を頼む。目撃者はおらんはずじゃ。
ん? そうじゃな,念のために人払いを頼む。
わっちらはどうする?
……そうか,わかった。じゃあの」
通話を終えると,英莉は天乃の方を振り返る。
「さて,こんなことがあったあとじゃが,飯にしようかの」
「正直,食欲がない――ことはないな。今日はなんか,疲れた」
「まあ,それも仕方あるまい。
幸い,量は2人分用意してしまったからの。足りんことはないと思うが――」
「なら,提案なんだが,一緒に食わないか?
オマエも食べないだけで別に食べられないってわけじゃないんだろ?」
「それはそうじゃが……非効率じゃぞ?」
「だから?」
「なんか,らしくない,というか。
――正直不思議な気分じゃ。
主殿から食事に誘われたのは初めてなのでな」
「いいんだよ,今のオレはこんなオレなんだ。
オマエも頼むから慣れてくれ」
「くっ,かか,言いおるの。
わっちも努力しよう」
ちなみに,英莉の料理の腕は,かなりのものであったことから,正直,1人分を英莉に譲ったことを天乃は後悔することになるのだが,それは別の話である。




