袋小路への誘い、終点の支配者
2036年6月3日 午後9時43分
「はぁ、はぁ、はぁ……」
最初は、ちょっとしたアルバイト感覚だった。
浅木にて研究職に就くその男は、とある機関から「手を貸してほしい」と打診された際、提示された報酬額に目がくらみ、軽い気持ちで応じてしまったのだ。
だが、気づけば知らない間に産業スパイの片棒を担がされていた。
些末なデータから、機密情報まで。目先の金欲しさに、彼は一線を越えて情報の漏洩を繰り返した。
そして今、そのツケを命で支払わされる瞬間が訪れている。
「はぁ、はぁ、はぁ!」
ここまで逃げ延びられたのは、事前の準備のおかげだった。
男はなおも背後に迫る警備隊の追撃を振り切り、逃走を続ける。
自分が、逃げ場の存在しない一か所へと追い込まれているとも知らずに。
「はぁ、はぁ……。あとは、ここを――」
「ご苦労サンなこった。わざわざこんなところまで来てくれて。だが安心しろ。ここが終点、行き止まりだ」
「――ッ!」
そこにいたのは、一人の青年であった。
肌の色が異常に白く、髪も白と黒とのコントラストが目立つ青年であった。
誰だ、などとは問わない。それが追手の一人だとわかっているから。
その代わりに取り出したのは、拳銃である。
問いかけの代わりに一発の銃弾が青年に向かって飛んでいく。
しかし、その銃弾は一気に減速し、青年の眉間の手前で止まる。
青年が何かした様子はない。
「あァー、あのよォ。こんなもんが効くと思ってる時点でお話になんねェんだよなァ。さっさと見せろよ。テメェの持ち出した機密――っつうか俺がわざわざ呼ばれた理由を」
青年は眉間の前で止まっていた銃弾を、右手の親指と人差し指で摘まむと、ピンと人差し指で弾いて地面に落とす。
「くっ……」
研究職の男は、アタッシュケースから一つの薬品の入った注射器を取り出す。そして、躊躇なく自分の左腕に薬を撃ち込んだ。
「――あ、あ、あぁ、あっぁぁぁああぁああああああああ!!」
男は意味不明な雄叫びを上げながら、色白の青年に向けて突進する。その速度は明らかに常人のそれではない。
そのまま青年を轢き殺すかのような勢いで突進する……が、その突進も青年の手前で大きく勢いを失い、青年に衝突する前にピタリと止まる。
男は前傾姿勢のままであり、口も開けっ放し、足も今にも動き出しそうではあるが、まったく動こうともしない。
「はァ? なんだこいつ。銃弾よりちょいと速い程度のタックルが止められねぇわけねェだろが。ちったァモノ考えて動け――よ」
色白の青年は、止まったままの研究職の男の鳩尾を蹴り飛ばす。
「がぁ、はぁあ。 ぐぁあああああああああ!!」
男はそのまま仰け反るように吹き飛ばされる。
「見たところ、持ち出した機密は御堂家の《加速》か……ったく、クッソどうでもいいな。さっさと帰りてェ。第二ラウンドだ。さァ、どうするよ?」
男は青年に敵わないと悟ったのか、そのまま引き返し、闇に紛れようと踵を返す。
「はい、不正ェ解。わりィな。正解なんてねェんだわ」
その声は研究職の男にはもう聞こえていなかった。薄暗い裏通りの突き当たり。冷たいコンクリートの壁面に囲まれたその空間に、無機質な足音が静かに響き渡る。
「《行き止まり》、探したぞ」
宅配業者の格好をし、帽子を目深にかぶった男が、《行き止まり》と呼ばれた色白の青年に声を掛ける。
《行き止まり》は、足元に転がる男を足蹴にし、男の方を振り向く。
「今日は千客万来だなァ。あんたは?」
「私は百目鬼理事の使いの者だ」
「次の仕事か?」
「ああ。三日後、午後4時44分、第六学区の路上で《流星》が使用される。我々は警備隊を動員し、現場周辺を十分前から封鎖する。君には《流星》観測の十分後に、現場に向かってもらう。その場に《流星》本人がいた場合、その確保及び第三高校理事長室までの連行を依頼したい」
「あぁん? なんだそりゃ? 何で十分後なんだ?」
「それは答えられない」
「へぇへぇ、いつものヤツかい。にしても、あの暴走小娘、またかよ。この前の件で懲りてると思ったんだがなァ」
「《流星》は貴重な検体だ。 わかっているとは思うが――」
「あぁん? 誰にモノ言ってんだ。 わかってるよ。 要は前回みたいにやり過ぎなきゃあいいんだろ?」
そう吐き捨てる《行き止まり》の足元の男は、二度と動かない屍となっていた。
「そうか。わかっているなら、それでいい」
「ところでよ、その三日後の情報はどっからのモンだ? 精度は?」
「答えられない。但し、精度は百パーセントだと伝えておく」
「そうかい。なら、いい」
そう云って《行き止まり》はその場の後始末を警備隊に任せてその場を去っていく。
2036年6月6日 午後4時52分
それは、血の臭いを求めてさまよっていた。
空腹なのは空腹だが、それは、グルメなのだ。
凡百の血を浴びるように啜るより、至高の一滴を求める。
だからこそ、辿り着いた。
その戦場に。
2036年6月6日 午後4時52分
緊迫した空気が残る路地裏の一角。交錯する視線の先で、今の英莉は、例の赤い着物の背中から漆黒の翼を生やしていた。
『殺し屋』のナイフは、英莉の右掌を貫通しているものの、そこで止まっている。
英莉の手が『殺し屋』のナイフを持った手をがっちりと掴んでいるからである。
当然、英莉の手からは大量の出血がみられるが、英莉が表情を苦痛に歪めることはなかった。
むしろ、少し『殺し屋』を小馬鹿にするような表情をとろうとして――失敗していた。
結局、ほとんど無表情なまま、ただし声だけは十分その感情が伝わるような声で、
「まったく、プレイヤーが駒如きにムキになりおって。少し大人気ないんじゃないかのぉ」
そう、天乃らにとって理解不能なことを云い放つ。
それを聞いた『殺し屋』は不快げに表情を変える。
「誰の駒だ、これは」
「わっちは駒じゃありゃせん。 強いて云うなら駒の駒じゃ。 しかしのぉ、久々の再会じゃというのにわっちを忘れたか?」
「なに、私は器物に興味はないのでな」
「ほぉ。 主殿よ、少し、髪を解いてくれんか? ……主殿?」
天乃は、静かに後退っていた。 喉から出そうになる悲鳴を懸命に堪えながら。
そもそも、天乃は、自宅にて、ジェーンが英莉を殺害した光景を目撃したから逃げ出したのではない。
この英莉をその魔眼で目撃したからこそ、恐怖で逃げ出したのだ。
英莉は人間の姿をしているが、明らかに人間ではない。
それが魔眼でわかってしまったから、天乃はその未知の存在に根源的な恐怖を抱き、そして、首を切断された後にも普通に活動している光景を目撃したことにより、耐えきれなくなり、臆面もなく逃げ出したのだ。
だから、警備隊に行くという選択肢が消えてしまったのである。
もっとも、後にジェーンが英莉を殺害したという光景を伝えれば問題なかったと気づいたが、そのときには御堂たちと出会っていたので、警備隊に駆け込む時間がなかったのである。
とはいえ、英莉からすれば、そのような事情など分かるはずもない。
なぜなら、天乃慎は、自分が人間ではないことを知って傍においていたからである。
だから、恐怖に引き攣る天乃の表情を見ても、自身に怯えているなどとは露ほども考えない。
「なんじゃ? どうした? 早う髪を解いてくれんか? この物覚えの悪い男にわっちを思い出させてやらねば」
「――……お前は、なんだ、英莉。その身体は、一体何でできている?」
「ん? おお」
ここに来てようやく英莉も、記憶喪失となった天乃慎との付き合い方に思い当たった。
確かに、厳密には初対面ではないが、彼の目で自分を見た際に自分がどのように映るかに、ようやく思い至ったのである。
「あぁあ、詳しい説明はあとじゃ。 じゃないと――」
グサッという音が鳴り、英莉の構えた左腕にナイフが刺さる。
『殺し屋』が掴まれた左手とは逆の右手に別のナイフを持ち、英莉を攻撃し始めたのである。
『殺し屋』は英莉の左腕を突き刺したナイフを引き抜こうとするが、ナイフは固定されてしまったかのように抜けない。
「――このとおり、こやつが止まらんのでな」
「人形風情が……あまり私を不快にさせないでくれるか?」
ここにきて、天乃は覚悟を決める。
どのみち、『殺し屋』相手には分が悪いのだ。
英莉がこちら寄りの言動をしている以上、その正体が何であれ、頼ることとする。
天乃は、《拒絶の場》に逆らい、一歩踏み出すと、英莉の髪を結んでいたリボンを解く。
そうすると、英莉の黒髪が根元から金色に変化していき、顔立ちは西洋風のものに変化していく。 見開かれた眼の色は金色である。
「貴様、エリザベート・ナイトウォーカーかッ!」
『殺し屋』は少し驚いたように声を上げ、英莉――エリザベートから飛び去るように離れようとする。
しかし、エリザベート・ナイトウォーカーは掴んだその手を離さない。
エリザベートは口が裂けそうになるほどの満面の笑みを浮かべて『殺し屋』を見やる。
「ようやく、思い出したか、戯けがっ!」
「グッ、貴様、よもや生きていようとはな」
「生憎、生き汚いのがわっちの特徴でな。 今はこのとおり、奴隷の身じゃが、何とか生きておるよ? むろん、うぬにされたことも覚えておる」
「ちぃ」
殺し屋は右手に新たなナイフを取り出して握り、大きく振りかぶってエリザベートの右腕を切断する。
そのまま、後ろに下がり、ジェーンを肩に抱えて回収する。
「ほぉ、逃げるか。 あのときとは逆じゃな」
「……今はまだ貴様を殺すときではない」
『殺し屋』はジェーンを抱えたまま、その場の|空間にナイフを突き立てる。
そのまま、空間を引き裂くようにナイフを振り下ろすと、空間の裂け目のようなものが現れた。
「そろそろ、取り決めの時間だ。 私はこれで引くとするよ。 少年――いや、天乃慎よ。 私は貴殿の参戦を歓迎する。 これをもって、貴殿の資格は十分だと判断する。 ふふふ、君は君の願いを叶えるといい」
そういうと、『殺し屋』は空間の裂け目に飲み込まれるようにして消えた。
――後には、静寂だけが残る。
「なんだったの? 今の?」
「さぁね。 わからないわ。 とりあえず、互いの無事を祝いましょうか」
御堂と刹那は目の前で起こったことを飲み込み切れずにいた。
それは天乃も同様である。
エリザベートは、地面に落ちている自分の右腕を拾い上げると、切断部を合わせる。
すると、次の瞬間には、腕は繋がっていた。
左腕に刺さっていたナイフは、自然と抜け落ち、地面に転がる。
「さて、と。 主殿。 いろいろと話さんとな。 まずは髪を結ってくれ」
エリザベートはリボンを持ったままの天乃に近づき、ぴょこぴょこと跳ねて髪を結ぶようにアピールする。
天乃は、云われるがまま、手が動くままにエリザベートの髪を元通りに結い上げる。
「ねぇ、その娘、なんなの? 腕が離れてくっついたように見えたんだけど? っていうか、さっきまで黒髪だったっけ? ん? 空飛んでなかった?」
御堂の英莉に対する疑問は尽きない。
次から次へと不自然な現象が起こったのを順々に思い出しているだけのようである。
「えぇっと、わっちは……その」
急にあたふたとする英莉に対し、刹那が御堂の肩をたたく。
「御堂さん。 他人の術式を詮索するものではないわ。 彼女は『そういうもの』。 それいいじゃない。 それより、問題があるわ」
「え? この娘の存在以上の問題なんてあるの?」
「真面目に聞きなさい。 誰もこないわ。 あれだけ騒いだのに。 誰一人、この場を見に来る人間がいないわ」
「そうね。《流星》まで使ったのに……」
その直後、静まり返ったアスファルトの路地に近づいてくる足音が聞こえてくる。
コツコツというその足音は、こちらにまっすぐ近づいてくる。
そして、一人の色白の青年がやってくる。
その青年は、穴だらけになりぐちゃぐちゃに散らかった路面と血を流す天乃を見て――英莉、刹那へと目線を動かし、最後に御堂を見やる。
「あー、なんか云いてェことはあるかァ? 《流星》ァ」
「……《行き止まり》」
「一応よォ、俺たちってそうホイホイと本気を出しちゃあいけねェ決まりになってんだ。 そこんとこわかってんよなァ?」
「……わかっています」
御堂は、細かく震えながら殊勝な態度で《行き止まり》の質問に答える。
「んでよォ、テメェが本気出すと、俺が呼ばれる仕組みになってるってのもわかってんだよなァ?」
「……はい」
「じゃあよォ、俺の貴重な時間を削った理由はこの小僧との諍いってことでいいのか?」
「ち、違います。 こいつは……いえ、この人は関係ありません」
「ん? じゃあ何があった?」
「あの……その……信じてもらえないかもしれないんですけど、さっきまでここに……化け物みたいなやつがいて、殺されかけていて、その、つい」
《行き止まり》は訝しげな視線を刹那に向ける。
刹那は、それに対し、神妙な顔つきで肯く。
「へェ。 まァ、いいぜ。 なるほどなァ、そのための十分間か。 観測不能領域の構築……ねェ。 これじゃあ、現場の判断で動くわけにゃあいかねェよなァ」
「あのっ、私はちゃんとついていきますので、この人に医者を呼んでください。 ナイフで刺されて、銃で撃たれたんです」
「ほォ、どれどれ」
《行き止まり》は、天乃に近づき、躊躇なく傷口を縛っている服を解く。
「ちょっと!」
「黙ってろ」
《行き止まり》は、抗議する御堂を黙らせつつ、天乃の傷口を確認し、肩の刺し傷と腹部の銃創に直接触れる。
「いっつ」
「これくれェ我慢しろ。 ほれ、とりあえず、応急処置として止血はした」
《行き止まり》が傷口から指を離すと、既に血が固まって傷口を塞いでいた。
「それはそうと、テメェ、どっかで俺と会ったことあるか?」
《行き止まり》は天乃の顔を覗きながら、質問する。
「さぁ、記憶にないですね。 初対面だと思いますよ」
「そうかい、なら、いい。 おい,《流星》。 テメェは俺について来い」
「……わかりました」
御堂は、《行き止まり》についていくらしい。
天乃は、立ち去ろうとする青年に対し、声をかける。
「あの、さっきの《流星》の使用でなにか処罰でもあるんですか?」
「さぁな、俺の仕事はこいつの連行だ。 暴れねェってんなら、俺はこいつに手を出したりしねェよ。 もっとも、連行先で処罰があるかどうかは知らねェがな。 そこらへんは理事会の判断だ」
「だったら――」
「変な考えは起こさないで」
御堂がピシャリとその言葉を止める。
「私はいい。 大丈夫よ。 それより、あんたはちゃんと病院に行って」
「だが」
「大丈夫。 今回も何とかなるわ」
「楽観的ね、御堂さん」
今まで黙っていた刹那が声を上げる。
「あなた、今回で二度目でしょう? それも、この短期間に。 ねぇ、《行き止まり》さん。 私も事情を説明するために同行していいかしら?」
「あァん? 知るかよ。 俺は《流星》の連行しか命令されちゃいねェ」
「ということは、私が同行しても、あなたが御堂さんを連行するのを邪魔しない限り、問題はない、ということですね?」
「さァな」
おそらく、邪魔をしなければ同行を許すということだろう。
「というわけです、天乃さん。 御堂さんには私がついていきますので、あなたは傷を癒してください」
「……わかった」
《行き止まり》が御堂たちを連れて行った直後、英莉が天乃に話しかける。
「のぉ、いつまでもここにおっても物事は進まん。 とりあえず、家に帰ろうぞ」
「いや、オレは病院に――」
「いや、その程度の傷ならわっちが治せる。 こうやって――な」
そういうと、英莉はその歯で天乃の肩口の傷を固まった血の上から抉るように噛みつく。 そしてそのまま吸血を開始する。
「うっ。 な、にを……」
「まぁまへ」
ぷはっ、という声を上げて、英莉が吸血をやめると、英莉の歯型にそって傷口が逆再生するかのように怪我のない状態に戻る。
天乃は、その光景は一度見たことがあるとはいえ、どうにも気持ち悪さを拭えない。
「どうじゃ? この要領で傷を治すのじゃ」
当の本人はそんな天乃の様子はお構いなしというように服をまくり上げ、腹部の銃創にも歯を突き立て、血を吸い始める。
「うぐっ」
「うまうま」
ふぅ、という声と共に、英莉は吸血をやめる。 傷口はすっかり治っていた。
「何なんだ、いったい……」
「まぁ、わっちの話は長くなるでな。 まずは家に帰ってから話そうぞ」




