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Replica  作者: 根岸重玄
記憶喪失編
2/215

記憶喪失

2036年5月29日午前3時11分


 その少年が目を覚ましたのは夜中であった。

 胸に疼痛(とうつう)を覚えたが,もちろんそこに穴が開いているということはない。

 心臓も無事(ぶじ)に動いている。

 なぜそんなことを考えたのか不思議に思ったのだが,そんなことよりも1つ重大な問題があった。

 いや,本質的には1つなのだが,細かく見れば問題は1つではなかった。


 まず1つ目,なぜかこの部屋の窓が大きく()れていた。

 破片(はへん)が内側に入ってきていることから外から内側に衝撃(しょうげき)が加わって()れたものと思われる。


 次に2つ目,窓が()れたときの音で目を覚まさなかったのかという大きな疑問。

 それとも窓が()れていることを承知(しょうち)で眠っていたのか。


 そして3つ目,このベッドの足元で眠る赤い和服の10歳くらいの金髪少女は何者かということ。


 最後に根本的な問題として,()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ。


 しかし,しばらくの混乱の後,ここはどこか,という疑問はおよその見当がついた。

 自分の格好が病衣(びょうい)であること,部屋には生活(しゅう)がするものが存在しないことなどから,ここは病院の個室ではないかという結論に(いた)った。

 ただ,そのほかの疑問には答えが出ない。そもそも,仮に病院だとしたら窓が()れるような音がしたのなら誰かが様子を見に来るのではないかとも思ったが,そのようなこともない。

 少年がこのままもう一度眠ってしまうかという緊張感に欠けた誘惑(ゆうわく)に取りつかれそうになったとき,足元の少女の赤色の目が開き,こちらを観察していることに気が付いた。



「お,はよう?」



 少年はとりあえず通じるかわからないが日本語で挨拶することにした。

 そして,自分の声がひどく()れていることに気付いた。

 まるでしばらく会話をしていなかったかのようである。


「おはよう?

 おはよう,のう。

 そなた,今がそのような挨拶(あいさつ)をする時間に見えるのか?」


 予想に反し,見た目とはずいぶんギャップがある話し方だった(しかも流暢(りゅうちょう)だった)が,少年はとりあえず言葉が通じることに安堵(あんど)した。


「えっと,なんか寝てたみたいだから」

「そうか。

 今日は散々だったからのぅ。何度死んだかわからん。

 何が,『こういうものは侵入の方が難しくて脱出はゆるいものだよ』,じゃ。

 脱出も難しかったではないか」


 少女は(うら)みがましい目をこちらに向けてくるが当然心当たりなどない。


(何度も死んだ?

 ゲームとかの話か?

 いや,まずは状況の把握からだろう。)


「その……実は記憶が全くなくって。

 困ってたんだけど,何かわかることがあったら教えてくれないかな?」

「記憶がない,か。

 想定されていたことではあるが,面倒じゃな。

 その辺はわっちの管轄外(かんかつがい)じゃて。

 医者の世話にでもなるがよいわ。

 とにかく,わっちはわっちの用事を済ませる」


 少女はそういうとベッドに上がり蠱惑的(こわくてき)な表情で足元から少年ににじり寄っていく。


「えっと,何かな?

 嫌な予感しかしないけど」

「まずは失った魔力にくを補充する必要がある。

 眠っておるうちに済ませてもよかったのじゃが。

 それでは途中に起きたときに説明が面倒じゃと思ってな。

 起きるのを待っておったのじゃよ。

 ――率直に言うとな,わっちは,空腹なのじゃよ」


 にじり寄る少女の(きば)が少年の首筋に突き立てられる。

 少女の(きば)はあっさりと少年の首筋に穴を穿(うが)つ。

 少年は大した抵抗(ていこう)もできないうちに血液と共に大量の『何か』を失っていく。

 少年を猛烈(もうれつ)虚脱感(きょだつかん)(おそ)う。


「――――――――――」


 何かを(さけ)んだ気がしたがその音は(のど)を通り過ぎると消えていく。


(そうか,窓が()れた音がしなかった理由は,きっとこれだ。)


 少年の冷静な部分が状況を俯瞰(ふかん)し,思考している。

 少年は純粋にそのことが気持ち悪いと感じた。

 だが,思考は止まらない。


(だが,音が消える仕組みは?

 この振動(しんどう)か?)

()()()()()()()

 問題はこのまま少女に殺されるのか否かだ。)

(見た目より腕力がある。

 虚脱感も相俟(あいま)って(すで)に力づくでどかすという選択肢(せんたくし)はない。)

(少女は起きるのを待っていたと言った。)

(ならば,食事の他にも用事があるのだ。)

(食事だけが目的ならばそれこそ眠っている間に食せばよい。)

(起きて誤解されると困るから起きるのを待っていたとも言った。)

(本当に?

 だとすれば説明不足ではないか?)

(いや,ここは楽観的に空腹だったという言葉を信じよう。)

(こちらの事情を斟酌(しんしゃく)できないほどに彼女は空腹だったのだ。)

(彼女に他の目的があるとすればそれは何だ。)

(想定不能。状況が特殊すぎる。)

(そもそも彼女は何をしている。)

吸血鬼(きゅうけつき)――思い浮かぶのはこれしかない。)

(実在するのか。そのようなものが。)

(実在すると仮定しよう。伝承(でんしょう)はどの程度当てはまる?)

(太陽に弱いのか。聖水を,十字架(じゅうじか)を恐れるのか。)

吸血鬼(きゅうけつき)は招かれない家には入れないのではなかったか?)

(そもそも,吸血鬼(きゅうけつき)に音を消すという伝承(でんしょう)はあったか?)

(わからない。そこまで詳しいわけではないが,記憶にはない。)

(いや,そもそも記憶がない。どうなっている。)

(思考がまとまらない。血を失いすぎたか。)


 少年が意識を失いかけたころ,少女はようやく吸血(きゅうけつ)行為をやめる。

 少年の首筋に残った歯型はまるで映像を逆再生するかのように(ふさ)がって消えていく。


「おっと,忘れんうちにこっちもな」


 少女が()れた窓に指を向けると床に散らばった破片が宙に浮かび,こちらも映像を逆再生するように窓を(ふさ)いでいく。


「いや,すまん。

 興が乗ってつい()いすぎたようじゃ。

 まだ意識はあるかの?」


 少女が気づかわしげに指でツンツンと少年の(ほお)をつつく。


「か,かろうじて」

 

 思考の海から解放された少年は何とか意識を現実に切り替える。


「そうか,それは重畳(ちょうじょう)

 まだ,そなたにはやってもらうことがあるのじゃ」


 そういって少女は和服の(そで)よりリボンを取り出す。


「これでわっちの髪を結うのじゃ。

 どんな形でも構わん」


 少年にリボンを渡し,少女は心なしか上機嫌に少年に背を向けて少年の太股(ふともも)付近の上に座り直す。

 少年はリボンを手に倦怠感(けんたいかん)と共に途方(とほう)に暮れていたが,いざ手を動かしてみると初めからそうすることが決まっていたかのように手が動く。

 そして,少女の髪は()()()に結い直される。

 すると,毛先から根元にかけて金色の光が失われていき,漆黒の闇のような黒髪が現れる。

 振り返った少女の顔は典型的(てんけいてき)な東洋人風の顔となっていた。

 その人工的に整えられたかのような見た目は,和装も相俟って,表現するのであれば,まるで人形のようなという形容がつくであろうか。

 少年はもはや驚愕(きょうがく)することに疲れたのか,失血の虚脱感(きょだつかん)から思考することを放棄したのか,彼女はそういうモノだということで無理やり納得することにした。


「ほう,()()()は無事済んだようじゃの。

 さて,わっちの用件は終わりじゃ。

 いや,厳密にはもう一つあるのじゃが,それは後日としよう。

 質問があるなら答えるが,そなたがもう持つまい。

 ちと,もらいすぎたからの」


 ほとんど無表情だが雰囲気だけは楽しそうにそういう少女に向かって,少年はこう尋ねるのが精一杯だった。


「誰……なんだ?」

「この姿のときには,英莉(えり)と名乗っておる。

 名字(ファミリーネーム)は状況に応じて天乃(あまの)だったり,夜歩(よるふ)だったり,百目鬼(どうめき)を名乗ったこともある。

 まぁ,さまざまじゃな。決まったものはない。

 それとも,誰,とはそなたのことか?

 そうであれば,そなたは天乃(あまの)(しん)相違(そうい)あるまい」

天乃(あまの)(しん)


 それだけ聞いた少年――天乃(あまの)(しん)は,糸が切れた人形のように崩れ落ち,眠りに落ちた。


「そうじゃとも,そなたが天乃(あまの)(しん)に相違ない。

 これで世は全て事もなし,何一つ欠けてない盤面の出来上がりじゃとも」


 表情の変わらない人形のような少女はそう呟くと,


「さて,どうやってこの病院を脱出したものか?」

 

 病院からの脱出方法に頭を悩ませるのだった。

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