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「カーヤマっ」

 弾んだ抑揚をつけて、千尋が美術教官室に入ってくる。まだ、教官室の片隅で膝を抱えていた志穂は、振り返って千尋の姿を見止めた。

「フジオカくん」

 名前を呼ぶが、続く言葉が出てこない。久しぶり? 朝にも昼にも会っている。何しにきたの? 今さら聴くようなことでもない。こんにちは? 一体全体なぜそんな他人行儀な言葉を友人に対して使わなければいけないのか。

 そうこう考え込んでいるうちに、千尋は志穂の隣に座った。美術教師が新たに並べていった絵を見て、千尋が問うてくる。

「これ、先輩達の絵?」

「そう、去年描いた分だって」

 すごいなぁ、と千尋は笑っていた。

「カヤマのは? この活動に入っての一枚目とか、ないのか?」

「な……い、よ?」

 どもった。当然その嘘は見抜かれ、千尋は意地悪い笑みを浮かべて志穂の顔を覗き込む。その視線から逃れるように、志穂は顔を逸らした。

「……」

「……」

「……」

「……」

 無言の意地の張り合い。このとき折れたのは、千尋だった。

「わーかったわかった。またあとで、せんせーに出してもらう」

「うわぁ、ずるい」

 その手を使うの、と呆れた志穂が笑うと、千尋も笑って志穂の腕を掴んだ。立ち上がり、志穂も一緒に引っ張りあげる。

「それより先に、あの絵の完成が見たいかな。俺は」

 そう言って、千尋は強引に志穂を美術室に連れて行く。特に理由もないため、志穂もそれに従った。何のためらいもなく触れてきた手が、気のせいか熱かった。夏が近い。

「文化祭に飛び入り参加。今から楽しみだな」

 その言葉に、志穂は千尋を見上げる。本当にやるの? と言いかけて、美術教師を思い出す。

 ……やるのだろうな、きっと。恐らく。

 美術教師に加えて、ほとんどノリと勢いで生きてそうな千尋までやる気になっている。きっともう誰にも止められない。誰が止めても、単独でさえやってしまうだろう。あの二人なら。

「でも、まぁ」

 積極的ではないにせよ、楽しみなのは志穂も一緒だ。




 しばらくして瑞希がやってきた。荷物を置いたあと画材などを取りに教官室に入った直後、言葉にならない悲鳴が聞こえ、志穂と千尋は顔を見合わせこっそり笑った。昔の自分の絵というのは、どれだけ上手くとも本人には目も当てられないらしい。

「そういえば、ミナセ先輩は?」

 千尋がおもむろに問いかけてくる。えーと、と声をあげたのは、教官室から戻ってきて、汚れ防止のエプロンを着ようとしている瑞希だ。けれど、そのまま言葉に詰まる。

「サク先輩は、毎週一日だけ不参加なの」

 手短に志穂は言った。朔は、毎週ダムに通っている。

「なんで? ダムって、何にもないよな。何しに?」

 さらに問いかけてくる千尋に、志穂と瑞希は言葉を濁した。


 一度だけ、志穂は写生に出かけた際に、ダムで朔と鉢合わせしたことがある。

「あれ、サク先輩?」

「カヤマさん。こんなところに、どした?」

「私は写生に」

 手に持っているスケッチブックを示して言う。

「先輩は?」

 志穂が問うと、朔は何かを含んだ笑みを浮かべた。

「友人を待ってる」

 なるほど、待ち合わせか。そう志穂が納得しかけた時、朔の言葉は続いた。

「けど、今日もこなかったな」

 言ったきり、朔は志穂に背を向けてその場を立ち去った。不思議な人だと思っていたけれど、その時はその不思議な雰囲気が顕著に現れていた。


 朔は、ダムで誰かを待っている。その誰かを、誰も知らない。朔も言わない。

 朔が語らない限り、誰にもわからない。

 千尋への返答に、言葉が詰まるのは仕方のないことだ。聞かれたこちらだって、きちんと把握していないのだから。





 文化祭が近くなり、志穂たちは飛び入り参加を、具体的にどうするか考えた。主に、美術教師と千尋が。

「並べるったって、一部とんでもない大きさの絵とかありますよ」

「そのとんでもない大きさが人目を引くんじゃないかな」

 朔の遠まわしな消極的意思は、あっけなくスルーされる。

 美術教師が目をつけたのは、迷路のようなこの校舎の、廊下と廊下が交わる広い空間だ。全部で何ヶ所かある。文化祭当日の早朝に準備をしようということだ。

「ばれたら?」

「お金取るわけじゃないし、盛況だったら生徒会も文句言えないだろう」

 自信たっぷりに言う美術教師に、本当に学校側の人間の言うことだろうかと、朔は額を押さえた。そもそも、彼は怒られたりしないのか。

「楽しみだなぁ」

 暢気にぼやく美術教師の姿に、心配するのもばかばかしくなる。


 文化祭当日。飛び入り参加のために準備していると、不意に背後で声がした。

「大人って、いい加減」

 ポツリと囁かれた言葉に、千尋は振り返る。呟いた本人である志穂自身も無意識だったのか、目を見開いて固まっていた。口元を押さえて、ちらりと千尋に視線をむけてくる。

「……なんでもないから」

 取り繕うようにつけ足された言葉に、千尋はどうしようかと首をかしげる。美術教師に対する態度から、志穂が何かしら大人に対して抵抗のようなものを抱いていることは察することができていたけれど。

 時刻は早朝。あくびをかみ殺しつつ、手を止めずに千尋は考える。

 朔と瑞希は既にセッティングに行っていた。千尋と志穂も、美術室で準備をしている。志穂が言ったのは、もちろんいまだ姿を現していない美術教師に対してだろう。

「せんせーがこなくても、段取りは全部俺が頭に入れてるから」

 そうフォローをすれば、突然志穂が顔を上げ、千尋を見上げてきた。まじまじと見てくるため、思わず身構える。

「私達がここで絵を描くのは、『描かずにはいられない』から」

「あぁ、知ってる」

 そういう人種であることは、関わり始めた頃から気付いていた。

「フジオカくんは、絵は描かない。ここにいる理由も、特にない」

 言われて、千尋は返答に困る。確かに言及されれば確かにそうだ。千尋は、この活動が亡くなっても痛くも痒くも無い。結局は同じ学校、会うことだけならいくらでもできる。

 二人が話している間に、瑞希が静かに戻ってきていた。話しこんでいる二人を一瞥し、瑞希は水気で作業を続けている。

 瑞希がいることに気付かずに、志穂は千尋に言った。

「なんで、ここまで私たちに付き合ってくれるの?」

 全く関係ないはずの、偶然見知っただけの活動。自分の絵を飾るわけでも無いのに、生徒のうちで文化祭飛び入り参加にもっとも積極的だったのは千尋だった。

 問いかけに、千尋は迷いなく手を伸ばす。志穂の手を軽く握り、笑って言った。

「惚れたからだよ」

 唐突な言葉に、志穂の体が強ばる。その反応に苦笑して、千尋は一度だけ目を閉じた。そのまま切りそうだった言葉を、続ける。

「カヤマの絵にさ」

 言って、傍らの絵を見た。

 志穂の絵。花が溢れる、志穂が描いたとは思えないような豪快な絵。

 志穂も釣られて、絵を眺めた。強ばりは抜けている。まだ、引きつった表情は変わらず、けれど、褒められた照れからか、頬に赤を散らして志穂はあちこちに視線を彷徨わせた。

「先輩達のと比べたら、全然……」

「ここで初めて見た絵がこれだった。俺は、一目で気に入った。まだ完成してなかったけど」

「……ありがとう」

 他意の全く含まれていない、純粋な喜びの笑顔に、千尋は頭上を仰いだ。一つため息を付き、志穂に首を傾げさせる。

「カヤマさーん」

「はーい!」

 廊下のほうから響いた朔の呼び声に、千尋に褒められたばかりの上機嫌な志穂が返事をする。自然に志穂の手は千尋の手から逃れ、志穂は千尋から離れていった。

「……」

 俯いて、再度ため息をつく。今度は遠慮なく声を出して。

 背後から、瑞希が肩に手を置いてきた。

「ええい、放せ」

 先輩に対する礼儀もへったくれもなく、肩を振り上げ、その労わるような手を振り解く。

 振り返れば、瑞希が何とも言えない表情で笑っていた。

「先輩」

 廊下のほうから、志穂が顔を出す。

「先生来ましたよ! 準備、さっさと終わらせちゃいましょ」

 わかった、と瑞希がうなずく。呼ばれなかった千尋は、志穂の絵の前で三たびため息をつく。


 残された一人、先ほどの志穂の言葉を思い返した。

『なんで、ここまで私たちに付き合ってくれるの?』

 わかんないかなぁ、と千尋は志穂に思う。

 絵にさほど興味があるわけでも、自分自身絵が描けるわけでもない。

 そもそも、以前から知っていた。という時点で、ことは酷く単純な話だった。

「わかんないんだなぁ」

 小さく笑って、独り言。それは、単に誰もいないからこそ。

 視線を絵に向ける。

 あとからあとから、わき水のように溢れるたくさんの花。


 その花の名を、はたして描いている本人は知っているのだろうか。



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