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恋愛小説は恥ずかしい

作者:編乃肌
「うわ」

 なんて邪魔な。
 周子しゅうこは思わず眉を顰めた。

 空が赤く染まり、もう図書室を閉める時刻。

 相変わらず来客の少ない静かな空間で、お気に入りの恋愛小説を読み終え一泣きし。
 あとは図書委員としての役を終えるため、利用者が室内に残っていないか見回っていた周子はふと、本棚の影に隠れるように、床に座り込む一人の男子生徒を見つけた。

 膝を抱えて俯いているため、顔は見えない。ただ上背があって、差し込む夕陽のせいで確かな色は分からないが、なかなかに派手な髪色をしている。
 そして何やら深く落ち込んでいる様子だ。

 出来ればそっとしてあげたい雰囲気だったが、このまま此処に居られては周子が困る。


 ――――仕方なく、周子は「ねぇ」と、その男子生徒に声を掛けた。



●●●



 図書室は周子の城だ。
 正確には、『第二図書室』は周子の根城である。


 生粋の本好き女子高生・朝霧あさぎり周子しゅうこの通う私立高校には、図書室が二つ存在する。

 一つは校舎が新築された際に出来た、新しい『第一図書室』。冷暖房完備、豊富な蔵書、綺麗で広い本の楽園だ。
 反して『第二図書室』。旧校舎の奥にあるそこは、色褪せた壁に軋む椅子と机、古式ゆかしい本棚、常にほの暗い過疎地帯である。

 理事長が愛着があるとかでいまだ残留するその場所で、周子は週5のシフトで放課後、孤独に図書委員をしている。

 他の委員がやりたがらず、周子が率先してやり続けた結果、第二図書室は周子の領域(テリトリー)と化した。第一図書室と司書が兼任であまり来ないのと、来客も少ないため、一人穏やかに本を読める貴重な場所だ。

 なんならフルタイムで、いっそ住み込み勤務でも構わない心構えで、周子は名誉図書委員という尊い任務に就いている。

 誰が呼んだか、そんな周子の一部でのあだ名は、『第二図書室の番人』である。


 ――――しかし、本日はそんな彼女の城に、予期せぬ侵入者が現れた。


「ねぇ、3組の朝霧さんだよね? 俺さ、なんでもいいから、面白い恋愛小説を読みたいんだよね。何かおススメない?」

 何故、お前がこんな場所を訪れる? 紫藤しどうあかね

 訝しさを隠そうともせず、周子は眼鏡越しに、カウンターにやってきた人物を見上げた。
 名は有名なので知っているが、こうして対面するのは初めてだ。そもそも住む次元が違う。

 スラリとした細身の体躯に、タレ目が特徴的な甘い相貌。
 ハニーブラウンに染めた髪はお洒落な跳ね具合にセットされ、カラフルなピンで留めてある。だらけたネクタイに腰パン。覗く耳には三連ピアス。
 伸びきったゴム紐並みに緩いこの学校の校風だと、誰にも咎められないとはいえ、自由が過ぎるのではないかと、真面目な周子は顔を顰めた。

 当校一番のイケメンチャラ男くんが、どう考えてもミスマッチな旧校舎の図書室に来て、恋愛小説を読みたいだなんて、一体どういう風の吹き回しだ。

 完全なる周子の偏見だが、茜のようなタイプの人間は、漫画はギリ読んでも、小説は一切開かないイメージだった。

「……気を悪くしたらごめんなさい。紫藤君が恋愛小説を読むのよね?」
「うん。やっぱ意外? 最近、とある小説を偶々紹介されて読んだら、これが意外と面白くて、恋愛小説にハマっちゃってねー。てか、茜でいいよ。朝霧さんも周子っていうんだ。周子ちゃんのオススメ小説、良かったら教えてくれない?」

 カウンターに置かれている、担当図書委員の名前の入ったプレートを見て、茜はサラッと周子を名前呼びする。

 おいやめろ。
 そのリア充特有の唐突な距離の詰め方をやめろ。

 仕方なく「……茜くんは」と言い直し、周子は好奇心で尋ねてみる。

「どんな小説を読んで、ハマったの?」
「んーとね、『水色のラブストーリー』ってやつ」
「水色のラブストーリー……!」

 周子は思わず、セミロングの混じり気の無い黒髪を揺らして、椅子から立ち上がりかけた。

 『水色のラブストーリー』は、その界隈では有名な純文学恋愛作家・伊東マルゲリータ先生の、知る人ぞ知る処女作である。
 ふざけたペンネームとは裏腹に、繊細な心理描写に定評があり、周子も大好きな作家だ。

 特に水ラブ(ファンの間での略称)は、高校生達の複雑な人間模様を切なく描いた感動作で、周子の推しの一作。もう何度も読み返している。先月もここで読んで、恥ずかしながら一人で泣いた。泣きたい時に読むやつだ。

 それを知る人間にはじめて出会った周子は、逸る心を落ち着けながらも、目の前のチャラ男に半信半疑で問いかける。

「茜くんは……あの小説の名シーンはどこだと思う?」
「やっぱヒロインのミユキが、ケンイチに図書室でキスされるシーンかなー。本棚ドンにトキメク、ミユキの心の動きが良かったね。文章であれだけ表現出来るんだーってマジ感心」
「……実はオリジナルドラマとして、一部限定放送で実写にもなったのだけど、そっちは見たかしら?」
「見たけどイマイチ。小説の名場面、カットし過ぎ。配役もビミョー。でもドラマ版の、ラストの繋げ方はわりとアリ」
「ミユキの兄・ミキトの、サブヒロイン・ナナミに関する感情は、ファンの間では賛否両論なのだけど、茜くんはどう?」
「ミキトのあれは、付き合っている相手が他にいるのにダメでしょー。俺、こう見えて一途男子だから、ミキトのあれは完全浮気でないわー。あの葛藤の描写は好きだけどね?」


 ――――コイツ、できる。


 周子の中で、今までは隣のクラスの派手なチャラ男だとしか認識していなかった、茜の評価が爆上げした瞬間である。

 茜に水ラブを紹介した人物に「いい仕事をした」と称賛を送りつつ、周子は背後に積んである本の山から、一冊を厳選して抜いた。
 はい、とそれを茜に差し出す。

「これ、マルゲリータ先生の新作。水ラブより明るい内容で、スラスラ読めると思う」
「おお! ありがとー」

 へらっと笑って礼を言う茜に、周子も満更ではない気分になる。
 本を受け取る彼の手も、ブレスレットや指輪がジャラジャラ煩いわりに、やわらかく丁寧だったのも好印象だ。

 ただその時に、妙な引っ掛かりを覚えつつも。

 周子はまぁいいかと流し、常だとあまり動かさない表情筋を僅かに緩めて、「返却日は一週間後です」と言った。




「周子ちゃん、こんにちはー。紹介してもらったこれ、良かったよ。周子ちゃんの言っていた通り、二章の展開がヤバいね。まさかああ来るとは。次巻あるー?」
「もう読み終わったのね、茜くん」

 周子はカウンターに肘を置き、読んでいた本から顔を上げる。
 あの初来訪より、茜は返却日を待たずに、この周子の居る第二図書室を直々訪れるようになった。本を周子に返す仕草も手慣れたものだ。

「シリーズものってのもいいね。次に読むものに困らないし」
「そうね。一冊読み切りは手に取りやすいけど、長く続くシリーズを追い掛けるのも楽しいわ。恋愛小説だと、ずっと登場人物達の恋を見守っている気分になるというか……」
「分かる。どんどん感情移入しちゃうよねー」

 「この本の主役二人の、両片思いの行く末が気になり過ぎてヤバイ」と、茜は長い指先で、周子の手の中にある本の表紙を突いた。
 周子もその茜の感想に、全面同意である。

 こうしてすっかり、茜と本の感想を言い合うのも習慣化した。
 最初は戸惑っていた周子も、推しの恋愛小説について語れるのは素直に嬉しく、また茜は目の付け所が非常に周子と似ているので、最近では密かに周子は、茜が来るこの時間を楽しみにしている。


 茜は本当に恋愛小説にハマっているようで、毎回おススメを訪ねて一冊ずつ借りていく。あくまで恋愛を主題とした小説オンリーだ。他は別に興味は湧かないらしい。
 意外に速読で、だけど内容はきちんと読み込んでいる。

 内容の好みも広く、恋愛小説ならドロドロ系でも、純愛系でも、切ない系でも。
 オフィスラブに夫婦もの、軽くファンタジーでもイケる。
 純文学からライトノベルも嗜む。

 ただ失恋系と死ネタは微妙らしく、基本ハッピーエンド主義。これまでの傾向から分析すると、茜のストライクは『水ラブ』のような青春系みたいなので、周子はそういうものをあえてチョイスしている。


「というか、茜くん。君は読むのが速いのだから、三冊くらい一度に借りて行けばいいのに。五冊までは借りれるのよ? それと、本の数なら第一図書室の方が多いわ。今度はあっちに行ってみたら?」
「えー? それは嫌だな。それじゃあ、意味ないし」
「意味……?」
「何でもないでーす。ほら周子ちゃん、次の本、次の本」

 急かす茜に、周子は用意しておいた本を渡した。幼馴染同士のもどかしい三角関係を、鮮やかに綴ったベストセラーの文庫版だ。

 受け取って事務手続きもした茜は、そのまま帰るかと思いきや、適当に近くの椅子を引いてきて、カウンターの傍に腰かける。

「ねぇ、周子ちゃん。周子ちゃんは兄妹いる? 俺は姉貴が一人。キャバクラで働いていて、それで皮膚呼吸できてんの? ってくらい、いつも厚化粧。性格もキツくてマジ怖い。周子ちゃんは? 一人っ子?」
「……また質問? 兄が一人、いるけど」

 これもいつものことだ。

 茜は本を借り終わったあと、こうして他愛の無い話を周子に振ってくる。
 「周子ちゃんのことを知りたいんだよー」と緩く言っていたが、暇なのだろうか。

 『図書室ではお静かに』が原則なので小声、かつ10分程度の雑談だ。煩わしいという程でもない。
 ……むしろ最近では、周子はこの茜とのやり取りも含めて、ちょっと楽しんでいる自分が居た。

 流石は人気者なチャラ男。
 茜は話すのも、人から話を自然と引き出すのも上手い。それに普段から口数が少なく、話しベタな周子の話でも、茜は嬉しそうに聞いてくれる。

「お兄さん? どんな人?」
「どんな……」

 周子は脳内に兄の姿を思い浮かべる。爪を熱心に磨きながら「やだ爪が汚いー。こんなの恥ずかしくて外を歩けないわ!」と嘆いていた姿を。
 周子の兄はオネェである。

「……女子力が高いわ。私より」
「何それ!」

 吹き出した茜が、声を噛み殺して笑う。蜂蜜色の髪が、光の弱い電灯の下でふわふわと揺れている。
 初対面時は派手だなそのうち禿るぞとしか思わなかった髪色も、今は明るい性格の茜に合っていて、綺麗だなと周子はぼんやり思った。

「じゃあじゃあ、周子ちゃんのタイプは?」
「タイプ……? ゲーム好きの友人からは、周子は草タイプかエスパータイプだよねって言われたことなら」
「周子ちゃん、ちょっと面白すぎるから勘弁ねー。異性のタイプだよ! どんな男が好み?」

 またもや小刻みに震え、笑いを耐えながら、茜は小首を傾げて聞いてくる。
 何となくあざとい。

「考えたこともないから分からないわ」
「んー、じゃあ、今まで読んだ小説の登場人物は? 男の中で、誰が一番好き?」
「それなら……水ラブのケンイチ」

 ケンイチは些か生真面目すぎるが、一途で実直。
 剣道部の主将で、描写によると黒髪短髪の男前。実写版でも誠実さが売りの俳優が演じていた。もちろん読者人気も高い。
 こう言ってはなんだが、茜とはまさに正反対のタイプである。

 周子はほぼ思いつきに近い感覚で言ったのだが、茜は「ケンイチかー。俺と真逆じゃん!」と何やら頭を抱えている。

「うーん、まぁいいや。そろそろバイト行かなきゃ。じゃあね、周子ちゃん」

 何やら自分の中で消化し終えたらしい茜は、本を片手に立ち上がった。ひらひらと手を振り去る後ろ姿を、いつもは無言で見送る周子だが、今日は自然と「またね」という一言が出た。

 それを聞いた茜は、タレ目がちな瞳を驚いたように開き、そして嬉しそうに同じ言葉を返した。




 あ、茜くんだ。

 廊下を歩いていた周子はふと、進行方向の人だかりの、その中心人物に視点を当てた。

 同じく派手な見目の男女に囲まれている茜を見ると、「世界が違う」と感じてしまう。最近では距離が近くて忘れていたが、クラスでも地味なグループに入る周子と、スクールカーストぶっちぎり一位の茜では、本来なら話す機会さえレアだ。

 親しげに茜の横に立つ女子が視界に入る。茶髪の巻き髪。顔立ちも華やかでスタイルも良い。男子達が『校内ミスコントップ』とか格付けして騒いでいた気もする。

 もしかしたら茜の彼女かもしれない。楽しげに笑い合う様子はとてもお似合いだ。


 茜君は、あの子みたいな子が『タイプ』なのかしら。


 なんとなくそう思ったら、周子は自分の容姿が急に気になってきた。兄には「しゅうちゃんはちゃんとしたらもっと美人よ! せめて、せめてそのダサい黒縁眼鏡はやめて!」と言われたことがある。
 お気に入りなのに。

 茜達と自分の周辺では、降り注ぐ蛍光灯の光の加減すら違う気がする。
 あっちがLEDならこっちは豆電球だ。

 ……恋愛小説という一つのキッカケで奇妙に繋がった縁があるだけで、自分と茜は『友人』ですら無い。

 それを寂しく思う自分に気付かないまま、周子は茜達の横を淡々と通り過ぎた。


「あ、周子ちゃん!」


 ――――しかし、まさかの茜が周子の背中を見つけ、人だかりから飛び出して追ってきた。

 立ち止まって振り返れば、「やった、ナイスタイミング!」と息を乱す茜が居る。チラッとそんな彼の背後を見れば、不思議そうにこちらを窺う茜の彼女さん(推定)たちの姿が見えて、周子は気まずけに眼鏡を押し上げた。

「周子ちゃんあのね、実はちょうど、アイツ等から良い物を貰って……」
「……ちょっと、茜くん。いいの? 彼女さんを放って、私の方に来て」
「ん? 彼女?」

 茜は心底疑問そうな表情を浮かべたあと、次いでハッとして、慌てたように周子の肩を掴んだ。

「違うからね! アイツらはみんな友達だから! 俺、先月に前の彼女と別れてからずっとフリーだし! てか俺って付き合ってもすぐフラれるし! 自分で言っていて情けないけど! でも信じて周子ちゃん!」
「いや、信じるも何も……あとちょっと痛いから、手を離して欲しい」
「うわぁ! ごめん!」

 大袈裟に飛び退く茜。細身でも茜もちゃんと男の子であり、力強く掴まれた箇所は地味に痛みを伴った。
 肩を押さえる周子を見て、落ち込んだように茜はその場に蹲る。

 その様子を見て、周子は「あれ?」と何やら既視感を覚えた。

 ――――なんか前にも、こんな光景を見たような?

「あー、もう、なんか俺カッコ悪い。思いっきり掴んで痛かったよね? ごめん、周子ちゃん。幻滅しないでー」
「そんなこれくらい……あと私、別に茜くんをカッコいいと思ったこと無いから大丈夫よ」
「それはそれで俺が傷つく!」

 フォローしたつもりがミスったようだ。

 さらに落ち込んだ茜に、今度は周子が顔に出さずに焦る。しかしすぐに気を取り直した茜は、立ち上がってポケットから二枚の紙を取り出した。

「これ! これ貰ったから、一緒に行こうよ、周子ちゃん!」
「これって……?」
「マルゲリータ先生のサイン会だよ! その整理券!」
「!?」

 周子は券に飛び付いた。
 まさかそんな。

「街の大型書店でやるらしいんだよ。凄くない?」
「す、凄いけどなんで、私こんなの知らない……!」
「先取り情報だからねー。あそこに居るアイツがその書店でバイトしていて、こっそり券を二枚、譲ってもらったの」

 自慢気に語る茜。
 これは交遊関係の広い茜だからこその入手経路だ。

 「行く?」と聞かれ、周子は一も二もなく頷いた。

「やった! じゃあ来週の日曜ねー。二人で行くんだよ! 二人きりだからね!」
「ええ。チケットは二枚だものね」
「……あ、ああ、うん。そうだね。いや俺的には、デートだねーみたいなニュアンスだったんだけど」
「デートは恋人同士が行くものだから、私達が二人で行ってもデートじゃないわ」
「ですよね! 凄く周子ちゃんらしい返答!」
「……でも楽しみね」
「!」

 券を握り「ありがとう、茜くん」と周子が微かに口元を緩めれば、茜は頬を赤くして、「細かい予定はまた連絡するね!」と、逃げるように集団の中に戻って行った。

 そのさまを、なんとなく大型犬っぽいなーと思いながら見送って、それから周子は気付いた。

「そういえば私、茜くんの連絡先を知らないわ」

 また図書室に来たら聞かなきゃと、周子は大事そうに券を手にして歩みを再開した。




 あっという間にやって来た日曜日。
 待ち合わせ場所である、書店の正面入り口前で茜と対面した周子は、小さく驚きの声を挙げた。

「ど、どうしたの? 茜くん。その髪……」
「い、いやいや、周子ちゃんこそどうしたの!? いや可愛いけど、めっちゃ可愛いけど!」

 今日の周子は眼鏡ではなくコンタクト。髪もふんわり巻いて、普段は着ない丈の短いフレアスカートに、丸襟ブラウス。ネイルから踵の高い靴まで、すべて兄のコーディネートだ。
 出掛ける格好に悩んでいたら、兄に「周ちゃんが本棚の前じゃなくて鏡の前にいる!?」と驚愕され、そこから事情を話すと嵐のように全身を整えられた。

 これで、茜の彼女(じゃなかった人)みたいに少しは成れたかなと、無意識に思った周子である。
 「可愛い! 超可愛い!」と連呼してくれる茜に、周子はお世辞だと分かっていても嬉しくなる。

「茜くんも、びっくりしたけど素敵よ。なんでも似合うのね」

 そして茜の方も。
 綺麗に染まっていたハニーブラウンの髪は、ピンなども外され、今は真っ黒になっていた。
 服装も予想していた派手なものではなく、シンプルなダンガリーシャツに黒デニムだ。

 元の容姿が良いため、これでも充分にキマっているが、大分印象は変わる。
 言うならあれだ。水ラブのケンイチっぽいと周子は思った。

 「いや、周子ちゃんの方が……」「茜くんの方が……」と互いに誉め合い、そろそろ気恥ずかしさが募ってきたところで、二人はようやくおずおずと書店内へ足を踏み入れたのだった。


 サイン会自体は恙無く終了した。マルゲリータ先生は物凄い美人で気さくな人だった。
 その後は街でご飯を食べ、有名な恋愛小説が原作の映画が公開日ということで、ノリで映画も見に行った。素晴らしい出来で二人で号泣だった。

「あれは脚本が良かったわ。原作の魅力を損なわず、だけど一本の映画に上手くてまとめてある。アカデミー賞はもらったわね」
「でもやっぱ、原作を読んでるからこその感動もあったよねー。小説だから細かく描かれている、登場人物たちの心情を思いながら、映画を見るのが最高というか……」
「その通りね。流石だわ、茜くん」

 ――――そして現在。
「家まで送るよ」という茜の一言で、二人は映画の感想を語りながら、並んで夕焼け色の街を歩いている。
 茜は今日一日、始終ニコニコと笑顔だった。周子も楽しかった。

 またこうして遊びに行きたいな、と周子は思う。
 だけどふと、茜の彼女(じゃなかった人)の顔がまた頭に浮かんだ。今は独り身らしいが、普通にモテる茜のことだ。またすぐに可愛い恋人が出来るだろう。

 そうしたらもう、友達くらいには今日で成れたかもしれない茜と、二人で遊ぶことは出来なくなる。
 周子がそれに、今度はハッキリと寂しさを感じていると、隣の茜が急に立ち止まった。

「? どうしたの? 茜くん」
「あー……いや、そろそろ勇気出して言おうかなって。今ならなんかイケそうな気がするし」
「何の話かしら?」
「でも、やっぱその前にネタバラしだよねー。……あのさ、周子ちゃん。先月なんだけど、俺が周子ちゃんに一方的に愚痴……ていうか、恋愛相談みたいなのをしたの、覚えてないよね?」
「恋愛相談……?」

 そんなのを受けた覚えは一切無い。
 疑問符を飛ばす周子に、珍しく茜は困った顔で話し始めた。



 ――――その日、茜は三ヶ月付き合っていた相手にフラれた。
 告白してきたのはあちらなのに、茜がこうしてフラれるのは珍しくない。理由は大体いつも同じだ。

『茜は付き合っても、友達の時と変わらない』
『茜は私に本気じゃなさそう』
『他の子と扱いがまったく一緒よね、茜は。私は茜の特別じゃないのね』

 皆が口々にそう言って、最後は『友達に戻りましょう』と茜に告げる。
 茜も下手に引き留められず、あっさりと次の日には『恋人』から『友達』になれた。

 だけど、茜には分からなかった。
 ちゃんと相手のことが好きだったし、他の子より優先していたし、大事にしていたつもりなのに。

 『茜は私に恋なんてしていないわよね』と、その日別れた彼女に、さよならと同時にほんの少し切なげに笑って言われ、いよいよ茜は本気で分からなくなった。そして悲しくなって少し怖くもなった。

 自分は――――もしかして一生、ちゃんとした恋など出来ないのではないか、と。

 なんとも青い悩みだと、あとから振り返れば思う。
 だけどその時の茜は、真剣にそのことに悩んでいた。悩んで悩んで、ちょっとだけ……疲れていた。

 女友達には相談し辛い。軽い感じで男友達に話したら、『モテる奴の贅沢な悩みだボケ』と簡単にあしらわれた。 
 ゆるーく、かるーく。
 常にそう振る舞う自分が、暗い顔をして落ち込むところなど、あまり友人達には見せたくない。茜も『だよねー』と笑って、失恋の件も笑い話に変えておいた。

 そんな己が嫌だと思ったことは無いし、特に無理をしていた覚えも無かったが、それでもやっぱり『疲れた』という想いは拭えず。

 なんとなく一人になりたくて、六限目の授業をサボって茜がフラフラと彷徨った先に着いたのが――――静謐な空気の漂う、『第二図書室』だった。



「――――あ」
「思い出した?」
「あの時の蹲って泣いていた……なかなか帰らなかった迷惑な男子生徒!」
「そんな認識!?」

 「あと別に泣いて無いからね!」と、茜は吠える。

 ずっと図書室でぼんやりしていたら、人が入って来たことは気付いていたが、いつの間にか放課後で。図書委員らしき女子に声を掛けられた茜は、誰でもいいから『真面目な』自分の話を聞いて欲しくて、ついその図書委員……周子にポツリポツリと、想いの丈を語ってしまったという。

 周子からすれば傍迷惑な話である。
 茜もそれは自覚しているようで、「あの時はスミマセンでした」と、黒くなった髪を揺らして小さく頭を下げた。

「でも周子ちゃんは、わりと付き合いがいいから。見知らぬ怪しい俺の話を、最後まで黙って聞いてくれたよねー」
「まぁ……本当に悩んでいたみたいだったから」
「それで、周子ちゃんが聞き終えて言ってくれたの。これも覚えていないかな。『別にそれは、お互いに貴方じゃなきゃダメっていう、相手ではなかったというだけでしょ? ピタリと当て嵌まる相手に、君がまだ出会っていないだけよ。何も気にすることないわ』って」

 そこで周子は完全に思い出した。
 確かその後に自分は、「大丈夫。本気の恋は知らぬ間に始まっているものだって、水ラブにも書いてあったし。恋に悩んでいるなら、恋愛小説を読めばいいわ。参考になるから」と言い、『水色のラブストーリー』をその男子生徒に薦めたのだ。

 ――――まさかあれが茜だったとは。

 気を使って、茜が図書室を出るまで周子は離れた場所に居たので、終ぞ顔は見なかったので分からなかった。声も俯いていて篭っていたし。
 何より「経験豊富そうな癖に、なんという純情ボーイ」と話を聞きながら思っていた少年が、校内一のイケメンチャラ男だとは思わないだろう。

「恋愛小説は読んだらフツーにハマったよ。水ラブはわざわざ買って読んだんだ。でもあれは、周子ちゃんが薦めてくれたからってのが大きいよ。俺はもう一度あの子と……周子ちゃんと話がしてみたくて、第二図書室に行ったの」
「……まったく気付かなかったわ」
「うん。だから初対面を装っちゃった。……周子ちゃんといっぱい会って話す内にね、俺は周子ちゃんのことがスッゴく好きになった。俺は周子ちゃんと恋がしてみたいって、いつからか思うようになったの。『ピタリと当て嵌まる相手』が、周子ちゃんならいいなって。だからさ、周子ちゃん」


 俺と、付き合ってくれない?


 そう言った茜の顔は、まさに茜色だった。
 知らぬ間に周囲に人気ひとけは減り、自分の煩く鳴る心臓の音を、周子は確かに聞いていた。

 胸がドキドキして、頭がぐるぐるして。茜の顔がまともに見れなくて。

 その果てに周子はやっと、茜の告白に「とりあえず保留で」と返事をした。


●●●


 家に帰って夕食を食べて風呂に入り、ベッドに転がってようやく、落ち着いて考える余裕の出来た周子は、そこで茜への己の感情を整理して自覚した。


 なんだ、私ってば、わりと前から茜くんに恋していたのか、と。


 あっさり認めた周子は、明日茜に会ったら、今度はちゃんと自分から告白しようと決めた。

 そして訪れた月曜日の放課後。
 本棚の整理をしていた周子の元に、いつも通りやって来た茜は「周子ちゃん! 俺、保留にされても諦めないからね! 周子ちゃんが俺を好きになってくれるまで喰らい付くから……!」と何やら熱く宣言を始めたので、周子は慌てて自分の自覚した気持ちを伝えた。

 そうしたら茜は、一瞬ハニワのような顔になり、次いでぶわっと顔を赤らめ、「マジで!?」と場を忘れて奇声を挙げ、周子を勢いよく抱き締めてきた。

「茜くん、図書館ではお静かに。……あと、保留なんて言って、焦らしてごめんなさい」
「いいよいいよ、そんなの! うわーめっちゃ嬉しい! 周子ちゃん、もう一回言って。俺のこと、どう思っているって?」
「……大好きよ、茜くん」

 よっしゃあ! と、周子を抱き締めながらも器用にガッツポーズする茜が、周子は何だか可愛く思えた。
 しかし、テンションが最高潮な茜の暴走はまだまだ続く。

「ね、ねぇねぇ周子ちゃん。両思いになった記念に、一つしたいことがあるのですが」
「なんですか、茜くん」
「ここでキスしていいですか」
「……図書室でキスなんて、水ラブの名シーンみたいね。というか、そういうのは許可を取ってするものなの?」

 本棚ドンからの不意打ちじゃないのか、と聞けば、茜は「本棚ドンなんてして、周子ちゃんの上に本が落ちて来たら危ないじゃん! 勝手にして嫌われるのも嫌だ!」と即座に返答がきた。
 変なとこで現実的である。

 周子は意を決して目を閉じた。
 コンタクトにして良かったと思う。暫しのタイムラグのあと、茜の黒髪のままの毛先がやんわり頬に触れる。
 何とか表面は冷静さを繕っていた周子の胸も、いよいよそこらが潮時だった。


 こんな心臓が爆発しそうな想いを、水ラブのミユキはしていたのか。
 何ということだ。尊敬する。恋愛小説は恥ずかしい。


 ――――しかしながら。


 重なった唇と綺麗な顔が離れて、緩み切った表情で「周子ちゃん。俺、今、超幸せ」と呟く茜に、顔を限界まで赤くしながら、周子はしみじみと思い直した。



 恋愛小説は恥ずかしい。
 だけど現実の恋愛は、もっともっと、恥ずかしい。



書いている作者も恥ずかしい。
お読み頂けありがとうございました!
(なお、この作品は、日向るな様主催のGMB企画参加作品です)

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