筆跡
シャワーの水が腕の傷に染みた。ハッとして蛇口を捻り湯船に浸かる。真白い天井を見上げると、いつよりも天井が高く見えた。
「私は、どうしようもなく間違っていたんだな。お嬢を騙して、ザンディアを散々振り回して、自分の身も使い潰す。どこまで幼稚なんだか...」
肩に募りに募った倦怠感が湯船の中に溶けていく。気が抜けたような大きなため息をついてから頭のてっぺんまで湯船に浸かる。息の限界まで潜り水飛沫を上げながら顔を上げた。
「はは、アハハ」
故のわからない笑いが腹の底から込み上げてくる。
湯船から上がり浴室を見回す。壁や床にはカビの一つもない。
「こんなところにまで世話を焼かせてしまったのか。私は」
手早く服を着替えて脱衣所のドアを開くと、クーシャの鼻に心地の良い香りが舞い込んできた。誘われるように匂いに向かっていくと食事場の椅子に腰掛け居眠りをしているザンディアと綺麗に盛り付けられた食事が並んでいる。
「ザンディア、今までありがとな。それとごめ...」
「ああ?なんらって?」
寝ていたはずのザンディアがむくりと起き上がりクーシャは飛び退いた。
「おお、さっぱりしてきたか!さっきなんか言ってたけど普通に入れたみたいだな!」
「...もうその話はやめてくれ頼む」
クーシャの耳がまた赤くなった。顔をそらしてクーシャは椅子ろうとザンディアから離れる。一瞬隣の席に手をかけたがすぐにザンディアの正面の席に座る。
「どうしたんだよ。昔は隣で食べてただろ?」
「"昔は"な?大体横に並んだら...えっと、狭いだろ?」
ザンディアは先が見えないほどの長さの長机をみて、首を傾げた。
「まあ、好きにしろ?とりあえず食べようぜ。自信作だ!」
クーシャは湯気の上がるシチューにスプーンを滑り込ませる。薄い膜を破って中の大粒の具材たちが顔を覗かせた。掬い取って口に運ぶと何故か息が抜ける。
「そうでもなかったか?」
「いや...美味しいよ」
クーシャは穴が開くほどに見つめてくるザンディアから目を逸らした。頬を伝うものにザンディアは気づいたのだろうか、クーシャは深呼吸をして向き直る。
「ありがとう、ザンディア」
ザンディアが見た顔は初めて見る顔だった。薄暗い部屋の蝋燭がクーシャの目に煌めいて見える。固かった表情はくしゃっとした笑顔になり変わっていた。
「いいってことよ。なんでも言えよ」
ザンディアは2人では持て余す食事場が妙に居心地よく感じた。
◇◇◇
食器を片付けながらクーシャがつぶやく。
「一つ気になることがあるんだ」
「...ん?ああ、なんだ?」
洗い場で2人並ぶとなんだか夫婦みたいだなと密かに浮かれていたザンディアは少し遅れて返事した。
「お嬢のことなんだが、少し気掛かりがある」
「と言うと?」
「お嬢の呪いについて。掛けた本人が言うのも烏滸がましいが、あれは呪いだが契約に近いんだ。それをああも簡単に解けるものなんだろうか」
「誰がやったんだ?」
「クーデンだ。クーデン・ルード」
「ああ、昔の同僚だよな?なんでそいつが関係するかは置いといて俺もその不安には賛同できるな。契約は魔法の中でもより強固なものだ。双方の同意なしに簡単に解けるわけがねえ」
「クリスがそんな簡単に手を引くとも考えにくい」
「しっかしあいつ最近はほとんど顔を見せないな。こっちとしては好都合だが」
「...まあ、ここまで話してなんだが。私も考えを少し改めた。私の罪を知られた以上、私がお嬢にできることは終わってしまったのかもしれない」
「クーシャ...」
「お嬢の幸せが何より。私のエゴを押し付けるのはもうやめにする。この気掛かりも口に出したかっただけの話だ」
目線を下に落としたクーシャをザンディアが力強く抱きしめた。今にも折れてしまいそうなクーシャの痩せた体を筋肉質な太い腕が抱く。
「ザン、ディア?」
「あ!悪い!つい勢いで...!」
ザンディアは慌ててクーシャから離れた。クーシャの背中に濡れた手で触れた跡が残る。濡れた背中に指で触れ、クーシャは一般離れたザンディアに近いた。
「ザンディア、その...わ...」
言いかけた言葉を突然のノックが掻き消した。




