うそ
「ふむ」
四月一日――
うん、幾度確認しても今日ってば四月の一日。
エイプリル・フール。
あたしはぷっかりと宙に浮かんだまま足ををぷらぷらと動かし、耳からこぼれる髪をくるくると指にからめて、やがてにんまりと口元を緩めた。
「明日、話がある。悪いが、仕事あがりの時間にちょっと来てくれ」
なんて真面目な口調で言っていたけど、これってつまりアレよね。
「熊ってば馬鹿ね。どんな嘘をたくらんでいるのか知らないけど、バレバレ!」
エイプリル・フールに呼び出して嘘八百並べ立てた挙句「嘘だよーん」って、阿呆じゃないの?
脳みそ足らなすぎ。
も、本当にばーか。
「これは逆に嘘をついてギャフンとこらしめてやるべきよね!」
あたしは高らかな笑いと共にびしりとカレンダーの日付を弾いた。
***
熊こと、ロイズ・ロックがどんな嘘を用意しているのか知らないが、こちとら嫌がらせのエキスパート。そんな堅物の嘘なんぞにそうそう乗せられたり致しません。なおかつ、その嘘の上を行き、さーらーにロイズを騙してやる!
嘘を嘘でやり込め、華麗なる勝利を手にするのだ。
ま、嘘の勝利ってつまり、相手を驚かせたほうが勝ちってコトよね?
ロイズの嘘に上手に乗った挙句、更に相手をやり込める。
あたしが意気揚々とロイズの官舎に顔を出すと、ロイズは顔をしかめた。
「悪い。まだ少し書類整理が残ってるから――オレの家で待っててくれ」
魔女がどこでも出入り自由なのをいいことにそんな風に言うのだろうが、あたしはせっかく来てやったのに! と憤慨を一つ。
「いいじゃない。別に他にはだーれも居ないんだし」
「ここに人が居ないのは夜勤の連中が受付と外に出ているからであって、警備隊の仕事が完全停止している訳じゃ――」
ごちゃごちゃ言いながらも書類とやらを片付けているロイズにむっとしつつ、その手が書類をまとめあげ、椅子にかかっていた上着に手を掛けたところであたしは「終わった?」と一応確認した。
「ああ、結局また――」
待たせて悪い。
おそらく熊のことだから、そんな台詞を吐こうとでもしたのだろう。だが、あたしは多少むっとしていたし、ロイズを陥れてやろうという気持ちが勝っていたから――言葉の途中で「ほいっ」とロイズを転移させた。
「自宅まで送ってあげるなんて超親切!」
悪い魔女の風上にもおけないわっ。
あたしがケラケラと笑うと、ソファの上に投げ出された熊は、打ち所が悪かったのか額に手を当てながら「ブランっ」と声を荒げた。
いやーん。
そんなに楽しかった?
あたしはニマニマとしながら小首をかしげてみせたが、何をいったところで無駄だと判断したのか、ロイズは投げ出されたソファから立ち上がり、嘆息を一つしてから、あたしに片手を示した。
「座れ」
おっ。いよいよ、練りに練った嘘のご披露ですね?
あたしってばちゃーんと迎え撃つ用意はできていますのことよぉ。
なんて勿論おくびにも出さず、素直に示されたソファに悠々と腰を落とした。
あたしの前には突っ立ったロイズ・ロック。
「で、オハナシって何かしらぁ?」
へいカモーン!
あたしがにっこりと言うと、途端にロイズは緊張した様子で体を硬くした。
くははははっ、ばーかーめ!
そんな判りやすい反応しかできないとは!
今から人を騙そうとしていますよっ、て言っているようなものではありませんか。
本当にこいつってば嘘がつけない人間よねっ。
エイルとは大違い。
あいつ嘘だろうとなんだろうとシレって口にするわよ。ほんっとうにむかつくことにっ。
ロイズはごそごそと自分の上着のポケットに手を突っ込み、がばっと手を引き出し、今度は別のポケットに手を突っ込み、それから一つ息をついて引き出した。
膝を折って視線をあたしに合わせ、手をとるようにして――
「オレ、お前が好きだ。今じゃなくても、そのうち……結婚したい」
うわぁぁぁ、そうか。そうきたか!
お前なぁ、嘘ならもうちっと何か違う嘘にしようよ?
あたしは目を丸くして――いやいや、騙されやしないけどさ、こういう嘘ってある意味悪辣だと思わない?
していい嘘としてはいけない嘘があるとしたら、これはちょっとしちゃいけない部類の嘘だと思うのよ?
あたしは内心であきれ返りながら、どう切り返せば逆にこのボケ熊を騙せるかと思案した。
まったく。
男として駄目なやつ。
もうちょっと考えろよ、そもそも。
「ブラン……」
あたしの手に絡めるように指を乗せ、そっと反対の手で指輪を載せる。
不安そうに揺らされる瞳。
ってか、まあたそんな小道具までしっかり用意して――なんてひどいヤツ。
あたしは引きつりそうになるのを堪えて、できるだけにっこりと笑みを浮かべて見せた。
「うわー、嬉しい! ロイズってばあたしのことそんな風に思ってたの?」
許さん。
許されんぞ、これは。
「いやっ、勿論最初っからって訳じゃないんだが――いや、あの。嬉しい? 本当に嬉しいっておまえ、言ったか?」
ふふふふ。
騙されてるだろ、このボケがぁ。
更にどうしてやろうかと反撃を考えているあたしの手を強引に引き寄せ、ロイズはあたしの体をぐいっと抱き込んだ。
「じゃあ、いいんだな?」
「勿論よ」
「良かった。オレ、お前はてっきりエイルが好きなのかって」
「はぁ? なんでエイル?」
あたしはあからさまに顔をしかめつつ、やけにぎゅいぎゅいと強く抱きしめられる腕の中で眉を潜めた。
「いや。エイルのことはいいんだ――おまえとエイルが仲が良かろうと、どんな関係であっただろうとオレは気にしない。いや、勿論、気になるけど! 魔法のこととかオレには理解できない世界だから」
言いながらゆっくりと体の力が抜かれ、ほっと息をついた途端。
ロイズの視線があたしを見下ろし、そのままふっと顔を伏せた。
ふわりと一度触れた唇が、二度目は強く押し当てられ――あたしは焦って身じろぎした。
まて、まてっ、まてぇい!
「な、何でキスするのっ」
「何って……したかったから」
「したかったって」
いや、待てお前っ。
あたしはじたばたと暴れながら、嘘は言葉であって行動ではないだろう? と混乱をきたしていた。
「ちょっ、ちょっとロイズさん?」
「黙って」
いや、黙ってとかそんな問題じゃないだろ。
嘘は黙ってちゃつけないし。なんであんたってばあたしをソファに押し付けようとしているんだよ。
首、首の後ろに手を回すなって。
「ちょっと、ちょっとストップ!」
「おまえでも怖いことがあるのか?」
「いやっ、あのさ」
あたしはわたわたしながらぎゅぅっとロイズの胸を押した。
「このイベントはいつ終わるの?」
あたしが必死で言った台詞に、ロイズはびたりと動きをとめて「は?」と短く口にした。
「イベント?」
「嘘っていうのは、言葉での応酬であって決してキスまでしちゃいかんと思うのよ?
あんたはルールが判ってない!
ああ、もしかしてエイプリル・フール初体験? そうよね? あんたって人を騙そうっていう感覚がもともと無いでしょ? それが珍しく嘘をつこうなんてするから、こうやって逸脱しちゃったわけね?」
なんて、大迷惑!
「あのねえ、エイプリル・フールっていうのは、確かに人を騙していい日だけど、他愛も無い、悪意もない嘘をつく日なのよ? あんたちょっとやりすぎ!」
「ちょっと、まてブラン」
「は? なによ? まさかルールが無いとでも思ってたの?
まったくこれだから熊はっ」
「そうじゃなくて」
びしりと指を突きつけて熱演するあたしをさえぎり、ロイズは引きつった表情で言った。
「エイプリル・フールって――何だ?」
「嘘っ!」
え、ちょっとまって?
あれ?
あれ?
「それはともかく、日取りとか――いや、焦って決めなくてもいいけど」
何が嘘で、どれが真実?
「あの、え、う……へ?」
あれ?
ちょっ、は?
ロイズはあたしの話など無視するように、さっさとあたしの指に小さな銀色の指輪をはめ込んだ。
「……うそ?」