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時計回りのエストレラ

童話みが足りない……。

「エストレラ!絵の具をひっくり返しちゃったから片付けてくれるか?」


「はい!」


「エストレラ!ムカデが出た!退治してくれ!」


「は、はい!」


「エストレラ!この人間大砲を試してみたいから入ってみてくれないか?」


「はい!……え?」


 エストレラはどんな事でも文句一つ言わずにこなしました。

 芸は絵の速描きを練習して、近い内にお披露目出来そうな所まで来ていました。


「ところで、ネリナナから出るのはいつ頃になるんでしょうか?」


 エストレラはたずねました。


「まだしばらく滞在するつもりだな、稼げるだけ稼がせてもらってからここを離れるぞ」


 と、セルゲイは答えました。


「そうですか……」


 エストレラは残念そうに言いました。


「ん?ネリナナから出たいのか?」


 ドラジェがたずねます。


「はい。最近ネリナナの様子がおかしいんです。悪霊は数を増してるし、シスターの言っていた奇行に走る人が目に見えて増えたように感じるんです」


「ああ、チケット売り場で謎のポエムを繰り返して粘ってた奴とかな」


 と、ドラジェがニヤニヤ笑いました。


「これからこれ以上の事が起きるかもしれないと思うと、正直、これ以上ネリナナで呑気に足踏みしてたい気分じゃないと言いますか……」


「気にしすぎだ。幽霊なんかに何が出来る?奇行に走る連中だって、人を切りつけたりしてくる訳じゃないだろう?」


 セルゲイがそう言って話は終わりましたが、エストレラの心配は現実になりつつありました。


 今度は空に向かって落ちていく人々が出始めたのです。

 天井に落ちて助かる人もいましたが、もう地に足を着ける事は難しくなってしまっていました。

 サーカス団員の一部もサーカステントの天井に引っかかって、テントを空へ連れて行ってしまいそうになっていました。


「最高だねこの町、面白い事が次々と起きる」


 カラカラ笑うドラジェに、エストレラは驚きました。


「自分が明日同じようになってるかもしれないとは考えないんですか?」


「そんな事考えてどうする?何の意味もないだろう?」


 ドラジェはまたカラカラ笑いました。


「そ、そうですか……」


 エストレラは戸惑いました。

 ドラジェの考えている事は、エストレラにはよく分かりませんでした。


「そんな事より、今日どんないたずらをするか考えた方が建設的だ!」


 ドラジェがそう言ってテントを飛び出すべく走り出しましたが、すぐに戻って来ました。


「……このテントの出口ってどっちだっけ?」


 ドラジェはぽつりと言いました。


「なってるじゃないですかあなたも!」


 叫びながら、エストレラは動揺していました。

 ドラジェだけは狂ったりしないと心のどこかで信頼していたのです。


「ほら、こっちですよ!」


 エストレラはドラジェを誘導しました。


「なあ、エストレラ……」


 ドラジェは言いました。


「なんですか?」


 と、エストレラが振り向くと同時に、ドラジェはエストレラのスカートをめくり上げました。


「……え?……えぇえええ!?」


 突然の出来事に困惑するエストレラでしたが、すぐに真っ赤になってスカートを押さえました。


「よし!今日は白い下着だな!」


 ドラジェは満足そうに言いました。


「ちょっと!何するんですか!?」


 エストレラが真っ赤になってスカートを押さえたまま抗議しましたが、ドラジェは気にせずエストレラが指し示した出口の方向に向かって走って行きました。


「もう!」


 エストレラは怒りながらドラジェを追いかけました。

 しかし、ドラジェはテントの出入り口で立ち止まりました。


「ドラジェさん?」


 エストレラも立ち止まります。


 ドラジェは言いました。


「お前だけは最後まで時計回りでいる。そうだろ?」


「え?」


「おまじないだよ。言葉にすればその通りになる。俺はそう信じてる。だから君はいつも通りはいって言え」


「は、はい!」


「じゃあ、手をつなごう」


「え?はい……」


 そして、ドラジェに手を引かれてテントを出ていったエストレラは、そこに広がるとんでもない光景を目にしました。


 テントの前に立ち並んでいた屋台がみんな天地逆さに建っているのです。

 しかし屋台の主は人っ子一人いませんでした。


「まさか、みんな空に……!?」


「多分ね」


 ドラジェがエストレラの手を震える手でぎゅっと握りしめました。


「た、建物の中に行きましょう、無事な人がいるかも……」


 そう言って、二人が向かったのはエストレラの家でした。


 エストレラのお父さんが出迎えました。

 お父さんは逆さにはなっていませんでした。

 しかし……。


「エストレラ!元気じゃなかったか?」


「え?」


「まあ、元気じゃないなら何よりだ。ところで、今月の家賃を払わないでくれるか?」


 お父さんは逆さにはなっていませんでしたが、こんなおかしな事を言うのです。


「お父さん?何言ってるの?」


「ん?家賃だよ。先月から払ってもらってないだろう?」


 エストレラはドラジェと目を合わせました。


「ちょっとあなた!私はずっとここにいましたよ!お金なんて払えます!」


 家の奥からエストレラのお母さんが出てきて言うと、お父さんは首を傾げました。


「何言ってるんだ?家賃を払ってくれる人なんて他にいるぞ?」


 すると、ドラジェがエストレラの手を引っ張りました。


「……行こう」


「え……でも……」


「ここにいちゃダメだ!」


 そして、二人は逃げ出しました。

 エストレラの家の裏手に回ると、家一軒は建てられそうな大きな木がありました。

 その木には、空へ落ちそうになっている人達が何人もしがみついていました。


「サーカスへ戻ろう」


 二人が足早にサーカステントへ戻ると、セルゲイが言いました。


「おお、二人とも無事だったか!」


 すると、周りの団員がどよめきました。


「団長が正気に戻った!」


「ありがとうドラジェ!お前の厄除け体質ホンモノだったんだな!」


 聞けば、先程までセルゲイは町に溢れる狂人と同じようにポエムのような意味のつながらない言葉をひたすら喋っていたそうなのです。

 セルゲイ自身もその事に戸惑っているようでした。


「この町ではもう商売どころじゃない……ネリナナを出るぞ!」


 セルゲイの一言で、団員達は荷物をまとめ始めました。

 そして、サーカス団はネリナナの町を後にしました。


 エストレラがネリナナを振り返ってみると、逆さになった建物や木々が空へ落ちて行くところでした。

 そして、その町の上空には……。

 巨大な黒い雲のような物が浮かんでいました。

 それは、町から上がる悲鳴や絶叫を吸い込んで大きくなっていくように見えました。


「ドラジェさん、拳銃を貸して下さい」


 エストレラが言いました。


「何に使うんだ?」


「あの黒い雲が町の異変の原因です。違いますか?」


 それは、ドラジェのおまじないと同じ言いようでした。


「!……いや、その通りだ。あの雲がネリナナの異変の原因だ」


「そして、あの雲はここから拳銃で散らす事が出来る、そうですね?」


「ああ、その通りだ。あの雲はここから拳銃を撃てば散らす事が出来る」


 ドラジェはエストレラに拳銃を渡しました。


 エストレラは黒い雲に向けて三発ほど撃ちました。


 乾いた銃声が三回鳴り響きます。


 すると……。


 グォオオオオー!


 黒い雲から怒号のような音が発せられました。


 そして、黒い雲は瞬く間にサーカス団の頭上へやってくると、もう一度怒号のような音を発しました。


「きゃあ!」


 すると団員達の足が地面から離れ、人も荷物も何もかもが黒い雲へ向けて落ちていくではありませんか。

 その場の全員が次々と黒い雲へ向かって落ちていき、ドラジェもふわりと浮き上がった時、エストレラは慌ててその手を取りました。


「おまじないが負けた!あの雲の方が強かったんだ!」


 ドラジェは泣きそうな顔で叫びました。


「まだです!私は逆さになってません!時計回りではいられるみたいです!ドラジェさん!あなたは今からでも時計回りになれる!そうですね!」


「そ、そうだ!俺は今から時計回りになる!」


 ドラジェは恐怖に涙を流しながら答えました。


 すると、空に向かってぶらさがっていたドラジェは地面にばたんと落ちました。


「た、助かった……」


 そして、黒い雲は、再び怒号のような音を発しながら、小さくなって消えていきました。


 あとに残ったのは、ドラジェとエストレラの二人だけでした。


 それから他の町を転々としながら、二人は旅芸人をして過ごしました。


 しかし、エストレラは悪霊のおぞましい絵や人々が空へ落ちていく絵ばかり描いては本当にあった事だと語るので、気がふれてしまっていると言われるようになりました。


 ついにはドラジェさえもこう言いました。


「確かにエストレラは狂ってるよ。俺みたいに薄情者じゃないくせに、あんな事があった後も時計回りでいられるんだから」

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