厄除けのドラジェ
昔々、ネリナナという町に、エストレラという女の子がおりました。
エストレラは小さな頃から「おばけ」と呼ばれるようなものが見えました。
その事を両親に言っても相手にしてもらえず、エストレラはおばけの事を話すのをやめました。
しかし、エストレラが十五の娘になると、だんだん「悪霊」と呼ばれるようなものをしょっちゅう見かけるようになりました。
怖くなったエストレラは、久しぶりに両親におばけの話をしました。
しかし、両親は相手にしないどころか、エストレラを病院へ連れていったのでした。
お医者様は言いました。
「最近、原因不明の似たような症状を持つ方が増えています。彼女もその一人でしょう」
そうしてエストレラは、心の落ち着く薬を毎日飲む事になりました。
しかし、それでは納得できなかったエストレラは、一人で教会へ行きました。
そこで出会ったシスターは言いました。
「この懐中時計を見なさい。反時計回りに回っているでしょう。この砂時計も、ほら、砂が上に向かって登っています。最近ネリナナではこのような怪奇な物事が起こっているのです。人もそうです。たとえば奇行に走ったり、その者の本性が現れたり、更には突然心身を病んだり……」
シスターは、エストレラをじっと見ました。
エストレラは言いました。
「私がおばけを見る事が出来るのは本当です!嘘でも病気でもありません!」
するとシスターは言いました。
「いいえ、きっとあなたも反時計回りになってしまっているのですよ」
エストレラは怒って教会を去りました。
それから、日に日に見える悪霊の姿は色濃くなりました。
その姿はおぞましいもので、黒く、人のようにも見えれば獣のようにも見える、不気味な形をしていました。
エストレラは日に日にやつれていきました。
そんなある日、とうとう悪霊はネリナナの町にあふれ出しました。
「ぐおーおおお!!」
「ぎゃあああーー!!」
「ひぎいいいいっ」
町にはエストレラにだけ聞こえる悲鳴のような雄叫びが響き渡りました。
エストレラは耳を塞ぎながら先を行く両親を追って歩きました。
「元気を出すんだエストレラ、もうすぐサーカスに着くぞ」
「どうしても行かなきゃダメ?」
「だってあなた、ちゃんと食べてるのにどんどん顔色が悪くなっていくじゃない。心がふさぎ込んでるせいに違いないわ、サーカスを見ればきっと元気が出るわよ」
両親が言う事も一理ありました。
エストレラは小さい頃からサーカスが好きで、サーカス団がネリナナにやってくる度に両親にせがみ、連れて行ってもらっていたからです。
その事は両親もよく覚えていました。
林の中の広場に建つサーカスのテントが見えてきた頃、悪霊の雄叫びは遠くなっていました。
しかし、悪霊がさっぱりいなくなった訳ではありませんでした。
両親がチケットを買っている間、待っていたエストレラは、悪霊と目が合わないよう気をつけていました。
すると、後ろから声がします。
「やあ、君、一人?」
おそるおそる振り返ると、そこには一人のピエロがいました。
「いいえ、両親と来ています」
と、エストレラはチケット売り場の列に並ぶ両親を指さしました。
ピエロはニヤニヤ笑うと、言いました。
「まだまだ時間がかかりそうだ、待ってる間、俺と楽しい遊びをしない?」
「でも、知らない人にはついて行っちゃダメなものよ」
「そうか。俺の名前はドラジェ。このサーカスで一番人気のピエロ、有名人だ。これで知らない人じゃなくなっただろ?さあ行こう、面白いものを見せてあげるよ」
ドラジェがそう言うので、エストレラは試しについて行く事にしました。
ドラジェはテント前の屋台でポップコーンを買うと、広場の噴水で水浴びをしている鳥達に向かって少しのポップコーンを投げました。
するとポップコーンが落ちた所へ鳥達が群がります。
次にドラジェは、少し離れた所へまた少しのポップコーンを投げました。
それも鳥達が群がって食べます。
それを繰り返しながら、向かったのは屋根も壁もないレモネード売りの女の子の店でした。
ドラジェはポップコーンの箱をエストレラに渡すと、言いました。
「あの子にこのポップコーンを差し入れよう」
「どうして?」
「レモネードを売ってると喉が渇いて、売ってるレモネードを自分で飲む事があるかもしれないだろ?そんな時ポップコーンがあったら最高だと思わない?」
「でも、いきなりポップコーンを渡すの?」
「いいから、ほら、行こう!」
言われるまま、エストレラはレモネード売りの女の子のもとへ歩いて行きました。
しかし、今にも声をかけて渡せる程の距離に来た時、ドラジェがエストレラの足に足を引っ掛けて転ばせたのです。
エストレラが転ぶ時に、残りのポップコーンがみんな箱から飛び出して、レモネード売りの女の子にかかり、レモネードにも入りました。
そして、鳥達もそれを見逃しはしませんでした。
「きゃあぁーっ!」
レモネードの店に鳥達が群がり、女の子は大騒ぎします。
バァンッ!
突然、銃声が鳴り響き、鳥達がわっと逃げていきました。
「エストレラ!なんて事をするんだ!」
拳銃を空に向けて構えたまま、ドラジェが言いました。
「ドラジェ!またあなたの仕業なの!?」
レモネード売りの女の子はカンカンに怒ってそう言いました。
「いいや?この子がポップコーンをサーカスの人にお裾分けしたいってんで一番ポップコーンが好きそうな君に渡してあげるよう言ったんだが……まさか盛大に転ぶとはね」
「どうせあなたの仕業でしょ!そっちの子も!こんなのの言う事をホイホイ聞かないの!」
「ごめんなさい……」
レモネードの店から離れると、ドラジェはゲラゲラと笑い出しました。
「案外面白いもんだろ?あんなシンプルなイタズラでも」
「どうしてあんな事をするの?それに私のせいにしようとするなんて!」
「ああ、あの子なら俺の評判もさすがに知らないと思ったんだが……俺ってば思ったより有名みたいだね」
「ふざけないで!」
エストレラはそう言うと、両親のもとへ駆けて戻っていきました。
その後ろ姿を、ドラジェは苦笑いしながら見つめていました。
チケットが買い終わり、三人が席について、ようやくショーが始まりました。
それはサーカスではよくある、普通のショーでした。
曲芸師の綱渡りやジャグリングや猛獣の火の輪くぐりなどが披露されます。
「すごい」
「こんな芸当が出来るとは」
「ねぇ、エストレラ」
そう言って盛り上がる両親でしたが、エストレラはそれどころではありませんでした。
テントの中では、悪霊達が楽しそうに蠢いていたのです。
すぐ隣にも悪霊が座っていました。
その悪霊はゆっくりとエストレラにすり寄ってきます。
悲鳴をあげたくなるのをこらえながら、エストレラは悪霊と目を合わせないようにステージをじっと見つめました。
すると、突然……。
「ぎぎいっ!?」
悪霊達が何かに焼かれるように消えていきました。
何が起きたのか分からず、エストレラは周りを見渡しました。
さっきまで大勢いた悪霊が、どこにも見当たりません。
その時、ちょうどステージに一人のピエロが登場したところでした。
ドラジェです。
「さあさお立ち会い!このドラジェが来たからには退屈させやしません!見れば圧倒され、感動の渦に呑まれるような神業を!ご覧に入れましょう!」
そう言って、ドラジェはお手玉を一斉に宙に放り投げました。
するとお手玉はあっちへこっちへ好き勝手落ちていき、ドラジェの手に収まったのは一つだけ。
「か、神業を……」
慌ててステージ上のお手玉を拾い集め、くるくると投げ回し始めるドラジェでしたが、それも長くは続かず玉は散り散りに飛んでいってしまいます。
「神業……」
もう一度玉を拾い集めようとして、玉を踏んで転んでしまうドラジェ。
どっと観客席から笑いが起きます。
ついには踊り子達が登場してドラジェを舞台袖へ追いやってしまいました。
ピエロとはそういうものです。
ですが、エストレラにはドラジェが輝いて見えていました。
ドラジェが去り、踊り子達のダンスショーが始まると、また悪霊がテントの外から入ってくるのをエストレラは見ました。
ショーが終わった後、エストレラはテントの裏へ向かいました。
そこでは、中太りの男とドラジェが何やら言い合っていました。
「それだけじゃない!さっきだって、踊り子達にムカデ人形を投げつけただろう!?」
「ああ、そんな事もあったかな」
「とにかく!お前の悪癖にはみんなうんざりしてるんだ!」
怒鳴りつける中太りの男のもとへ、おそるおそる近付いていくエストレラ。
「ん?お嬢さん、ここは関係者以外立ち入り禁止ですぞ」
「団長さんですか?」
エストレラがたずねると、中太りの男は答えました。
「いかにも、私が団長のセルゲイです」
深呼吸をしてから、エストレラはセルゲイに言いました。
「小間使いでも構いません、私をサーカスに入れて下さい!」
「おや、急だな」
困った様子のセルゲイをよそに、ドラジェが首を傾げました。
「どうしたんだ?エストレラ。ショーの間も暗い顔をしていたのに、何か感動出来るものでもあったのか?」
ドラジェの言葉に、セルゲイは驚いたようです。
「ドラジェ、お前客にまでちょっかいを出したのか!?」
「一緒にポップコーンを買っただけさ」
「そのポップコーンでレモネード屋さんにイタズラをしたんです」
「全くお前と言う奴は……」
呆れるセルゲイに、エストレラは咳払いをしました。
「改めまして、私の名前はエストレラ。おばけが見えるんです。信じてくれなくても結構ですが」
「おばけが見えるとサーカスの小間使いになりたくなるのか?」
エストレラは、最近増えてきた悪霊に怯えてやつれていた事、それでサーカスを見に来た事、ドラジェが登場した途端に悪霊がいなくなった事、全てを話しました。
「俺が?」
「ふむ……よし、いいだろう」
セルゲイはそう言いました。
エストレラは驚いてセルゲイを見ました。
「本当か?」
ドラジェが言い、セルゲイはうなずきます。
「ああ。ただし、何かしらの芸を覚えてもらう。それが条件だ」
そうして、サーカス団に新入りが一人増えました。




