後編
「盛大なお式でしたね」
アイスティーで喉を潤し、紫が言った。
吉川流華とレンの結婚式が終わったあとだ。招待されたので、ホテルで開催された披露宴には出席してきたが、二次会は欠席し、ホテルから離れたカフェで一息ついたところだった。
紫の隣には婚約者の橘聡。向かいには経理の佐藤一樹。
三人の間には、連帯して大きな仕事を終えた者達特有の達成感がただよっている。
「どうなるかと思ったけど、必要な物はそろったな」
「ああ。俺一人では、ここまで集められなかった。ありがとう、橘さん、野村さん」
大きな鞄を抱えた佐藤が満足そうに二人に礼を述べる。
「それにしても」と紫が言った。
「あのモデルの『レン』が、佐藤さんの後輩だったなんて。世の中ってせまいですね」
「後輩と言っても、高校卒業後は会う機会もなかったけれどね」
「それで、よく今回の計画に協力してくれたな」
「ああ。高校の時からあいつは常に金欠で、女性は自分のための踏み台かATMとしか思っていない奴だから」
佐藤はカフェオレに口をつけながら説明していく。
「けっきょく今も昔も、藍谷が本当に好きなのは自分自身なんだよ。美しい自分の顔と体が一番で、それを磨くために高級ブランドの服や靴や化粧品やアクセサリーを買い漁って、ジムやエステも欠かさない。女性はそういう生活を支えるためのATMで、口説き落として貢がせることで自分の魅力を確認している、ってわけ。吉川流華に初めて会った時にも、複数の彼女がいたみたいだし」
「まあ」と紫が目を丸くする。
「そんな人と結婚なんて…………吉川さん、大丈夫ですか? たしか藍谷さん、かなりの借金を抱えているんでしょう?」
「らしいね。八百万だか一千万だか…………本人も正確な数字は把握してそうにないな」
「でも『シャルル』のイメージモデルだろ? CMにも出ていて、たくさんの女の子達に貢がせているのに」
「それが『シャルル』はクビなんだ。表沙汰にはなっていないが、向こうの部長だか専務だかの奥さんと関係を持って、契約を切られたそうだ。本人は『オレのファンだと、向こうから誘ってきたのに理不尽だ』って怒っていたけどな。他の仕事もだいぶん減ったらしい」
「…………それで、よく結婚できたな。吉川社長はなにも言わなかったのか?」
「なにがなんでも娘を結婚させてやりたかったんだろ。吉川流華は三十九歳だ。社長としても体面もあるんだろう。藍谷に『試しに借金のことを相談してみろ』って勧めたら、『ぽんと三百万円を出してくれた』って、嬉しそうに言っていたよ」
聡と紫は呆れの表情になる。
「つまり、藍谷さんも吉川さんとの結婚を望んでいたんですね?」
「心からOKしたよ。太いママが出来た、ってね。ましてや将来は社長だ」
社長の吉川剛は娘の流華に跡を継がせる予定でいる。レンは『女社長の夫』であって社長ではないのだが、その辺の違いは佐藤いわく「藍谷は気にしていない、もしくは理解していない」そうだ。ただ自分が大会社のトップに座れることを喜んでいるのだと言う。
「三ヶ月少しで結婚に至ったのは、さすがに驚いたが。おかげで予想より早く、目的の物をとり戻せた。新居への引っ越しがあったおかげだよ」
佐藤は抱えていた大きな鞄から、数冊のスケッチブックをとり出した。それから小型のボイスレコーダーを二つ。
紫がスケッチブックの一冊を手にとり、ひろげる。スケッチブックにはどのページにもびっしりと、様々なキャラクターが活き活きとした線で描かれていた。
「これが…………佐藤さんのデザイン…………」
紫の哀しげな声に、「ああ」と別のスケッチブックをひろげた佐藤の声もふるえる。
「妹が…………千花が高校生の時から毎日、描きためてきたスケッチブックだ。これも…………この絵も…………あいつが絵を描きはじめた小学生の時から見守ってきた。見間違えるもんか。このキャラも、色も線も、すべて千花の絵、千花のデザインだ。吉川流華のものなんかじゃない――――…………っ」
佐藤は愛おしそうに、苦しそうに紙面を凝視する。その目尻に涙が光る。
退職した紫の同期、デザイン課の佐藤千花は経理の佐藤一樹の実妹だった。
一樹は「吉川さんにデザインを盗まれた」という妹の言い分を信じ、それを立証するために、それまでの会社を辞めてKIKKAWAコーポレーションに入社したのだ。
そして、社内で出世株と目される聡が吉川流華に目をつけられ、面倒な事態に巻き込まれていると知ると、聡と紫に協力を持ちかけた。
「このまま何もせずにいたら、橘も野村も妹の二の舞になるぞ」と――――
千花と仲の良かった紫は、千花の無実を証明しようと奔走する一樹に好感を持ったし、なにより聡も紫も流華の性格と立場を知っている。二人は佐藤への協力を決めた。
「吉川は飲み会のあと、一人暮らしだった千花を送って部屋に入った。そしてスケッチブックを全部、盗んだんだ。千花は最初、吉川を疑っていなかった。けど、ローズベリー社に吉川が出したデザインを見て盗まれたと気づき、『返してくれ』と頼んだんだ。なのに…………」
「吉川さんにシラを切られたんですよね。『言いがかりだ、証拠を出せ』って…………」
紫が痛ましそうに眉間を寄せる。
佐藤千花は被害を立証できなかった。スケッチブックはずっと家に置いており、中のデザインもデータ化してパソコンやクラウドに保存したりしていなかった。スケッチブックを社内の人間に見せたこともなかったから、それがあったことすら証明できない。むろん、課で使用しているパソコンやネットには何も残っていない。
吉川流華はそれを逆手に「人をドロボウ扱いするの!?」「そういうアンタこそ、私のデザインを盗んだんじゃないの!?」と、課の人間達の前で散々罵倒したのだ。
元来、気が弱くて引っ込み思案の千花は、すっかり反撃の手段も気力も失った。
そこへ流華はさらなる追い打ちをかけた。
一樹がボイスレコーダーを操作する。すると低い声が流れ出てきた。
『――――君は流華を、自分のデザインを盗んだ、と非難したそうだな。だが話を聞けば、君のパソコンからは、それらしいデザインは出なかったそうじゃないか。例のローズベリー社のデザインも、流華のパソコンには制作過程が残っていたが、君のパソコンにはなにも残っていなかったと聞いている』
『で、でも社長、私は本当に…………あのデザインは私の…………』
『言い訳は無用! 潔く嘘を認めたまえ! 君は自分の嘘で同僚を傷つけ、課に迷惑をかけたことに罪悪感はないのか!!』
『…………っ』
『黙っていたが、流華は私の一人娘だ。公にしなかったのは、社長令嬢という立場に関係なく、公平に扱ってほしかったからだ。だが佐藤君、君には娘を根拠なく侮辱し、社内の空気を乱した責任をとってもらう。君は馘首だ――――』
紫や聡も聞いた、吉川剛社長の声が響く。佐藤千花はすっかり怯えて戦意消失したのだろう、かすかにすすり泣いている。吉川流華の声が聞こえた。
『泣いて同情を引こうとするのは、やめてくれる? 大人の女の態度じゃないわ』
耐えかねたように一樹がボイスレコーダーを停止した。激情を堪えて呻く。
「なにが『社内で調査は尽くした』だ、親の力でもみ消しておきながら…………!!」
ぎり、と佐藤が歯ぎしりする。紫と聡の表情も厳しい。
千花に責められた流華は、社長である父に「デザインを盗んだと疑われた」と泣きついたのだ。父親は娘の主張を丸ごと信じて、千花の言い分には耳もかたむけず、「流華の成功を妬んで言いがかりをつけた」と決めつけて千花を責め、馘首を言い渡したのだ。
千花は反論も抵抗もできず、ただ兄の忠告を思い出して、忍ばせていたボイスレコーダーのスイッチを入れるのでせいいっぱいだった。
電話に出ない妹を心配して一樹が千花のアパートを訪ねた時、千花は食事もとらず、ただ生気を失った様子で布団に横たわっていた。
「佐藤さんの様子は…………」
紫が訊ねると、一樹は苦い表情になる。
「安定している。良くも悪くも、変化がない。けど、このスケッチブックを見せたら…………きっといい方向に変わる。そう信じたい――――」
「きっと、元気をとり戻しますよ」
祈るような和樹の表情に、紫と聡も同じ思いでうなずいた。
「さて。あとは一族のほうか。あちらのほうは、なんて?」
「上々だ」
聡の質問に、一樹は力強い声でもう一つのボイスレコーダーのスイッチを入れる。
ボイスレコーダーから、先ほどの録音と大差ない会話が流れ出す。
聡と紫が流華に呼び出され、吉川社長に解雇を言い渡された時の会話だった。
一樹に頼まれ、また自分達の身を守るため、聡はあらかじめ胸ポケットにボイスレコーダーを忍ばせていたのだ。
「もともと吉川剛社長に対する吉川一族の期待は、今一つだった。今回の件は、一族の危惧が的中した証明だ」
KIKKAWAコーポレーションは二代前からつづく大会社で、一族経営の面が強い。
現在の吉川剛社長は三代目だが、最初から次期社長と目されていたわけではない。
剛社長にはもともと飛び抜けて優秀な兄がおり、その兄が会社を継ぐことが既定路線だった。
しかし兄は若くしてこの世を去り、急遽、弟がその座に就く。
一族は危惧した。幼い頃から次期社長として研鑽を積んできた兄に比べ、弟は良くも悪くも自由に育てられて、特出した才能を見せるわけでもない。
それでも様々な要因が重なって「ひとまず弟に継がせるのが最善だろう」という結論に至り、そのとおりになったのだが。
結果は一樹や紫、聡の知るとおり。
弟は悪い意味でのワンマン社長と化して会社に君臨し、溺愛する一人娘をコネで入社させたばかりか、彼女の問題をもみ消しすらしたのだ。
一樹は経理として、流華が私的な食事や買い物などの支出を必要経費として会社に請求し、社長である父親がそれを黙認している証拠も手に入れた。
「一族は、社長が娘の結婚でばたばたしている隙に、海外にいる社長の甥を呼び戻して、今の社長は解任する方針を決定した。野村さんと橘さんの解雇も正当な理由がないと認めたし、新社長の任命と同時に復帰できるはずだよ。災難だったね、吉川流華に目をつけられたばかりに」
「まったくだ」
聡は心底からうなずいた。
「そもそも、なんで俺と吉川さんが付き合っていることになったんだ。たった一回、食事をしただけだぞ? それも吉川さんに『聞かないと、あなたの立場が悪くなるわよ』って、さんざん脅された末にで、俺から告白したことは一度もない。俺は二年前から紫と付き合っているんだ、『仕事に真剣な女性が好き』とか『年の差は関係ない』とか、全部紫のことだ。『面白い』って言ったのも、彼女があまりに締め切りを軽視する発言をするから『そういう考え方を聞いたのは初めてです、吉川さんは面白い方ですね』って、嫌味のつもりで言ったんだぞ? それがどうして、口説き文句みたいに受けとられるんだ!?」
頭をかきむしりそうな聡に、「うーん」と紫が私見を述べる。
「私の勝手な推測だけど…………ひょっとしたら吉川さんは、聡の『面白い』を『おもしれー女』の意味で受けとったのかも。ほら、少女漫画とかの定番じゃない。俺様系のイケメンキャラがヒロインに反発された時に『この俺様に逆らうなんて、面白い女だ』って。漫画や乙女ゲームだと、イケメンキャラの言う『面白い女』は実質『興味をそそられる魅力的な女性』って意味だから、そういう文脈で解釈したんじゃないかな?」
「勘弁してくれ…………そんな理由で、俺はあの人に告白したことになったのか…………」
聡は力なく背もたれにもたれ、紫と一樹も気の毒そうに彼を見た。
一方、二次会。KIKKAWAコーポレーション、デザイン課の席である。
「なんであんなパワハラ女が、レンみたいな若いイケメンモデルと結婚できるわけ!?」
中山がテリーヌにフォークを刺せば、シャンパンで出来あがりかけている林も応じる。
「どうせ、お金の力よ。吉川さんが社長の娘って、みんな知ってるし」
「そうそう。二人きりになると『他の人には黙っておいてね』『信用しているから、あなただけには話すわ』って、自分からしゃべりまくってさぁ」
「入社して三年のくせに、五年以上いる中山さんや林さんを部下扱いですからね。どこが『社長令嬢だからって特別扱いされたくないの』なんだか」
「佐藤さんの件で、すっかり広まったもんね。あれ以来、誰も吉川さんには文句言えなくなったし。…………ぶっちゃけ、あの人が佐藤さんのデザインを盗んだの、事実よね?」
「でしょ? 吉川さん、去年まで全然デザインできなかったもの。なのに急に色々出すようになって…………どうみたって、誰かに手伝わせているか盗んだか、でしょ。証拠がないから誰も言わないだけで」
「いまだにCGソフトも満足に扱えないもんね。カラーがちゃんと塗れないから、いつも雑なラフ画まででさあ。それを『もう、ほとんどできているから、最後の修正だけ頼むわ』って、こっちに回して来るの、ホント迷惑。あれでよく『私の成果です』って言えるわ、ほとんどあたし達がやってるんですけど!?」
「大きな目立つ仕事ばかり持って行って、それで毎回、自分一人じゃ完成できなくて、私達に回して来るのにね。それを『あなたの成長のために譲っているのよ』って、冗談じゃないわ」
「で、『本当の締め切りまで余裕があるから大丈夫』って。大丈夫じゃないわよ、アンタがぎりぎりまで回さず、雑なラフまでしか済ませていないから、こっちは何日も残業する羽目になるんじゃない! せめて、先方が指定した締切に間に合うよう、逆算して寄越しなさいよ!!」
「野村さんなんて、なまじ上手いせいで何度もカバーさせられてさ。あそこまで彼女に迷惑かけておいて、なんで敵視できるんだか。馬鹿なの?」
「野村さんと橘さんが二年前から付き合ってるって、知っている人は知ってるんだけどねぇ」
「それはほら、吉川さんは友達がいないから」
どっと笑いが起きる。
「友達がいない、と言えばさ。あそこの、新婦の友人席の人達。あれって、みんな雇われた人達みたい。さっき、トイレで話しているのを聞いたの。誰も来てくれなかったんじゃない?」
「ああ…………」と、女子社員の間から納得の声があがる。
「そういえば吉川さんって、前の会社で不倫してたらしいよ。友達が偶然、吉川さんの部署に派遣で入って、色々聞いたんだって。六歳年上の当時のエースと、既婚と知ってて八年くらい付き合って。奥さんにばれて別れ話を出されたら『離婚して、私と結婚するって約束したじゃない!』って、相当もめたらしいよ。で、居づらくなって退職したら、バカンス三昧。三年前にうちに来るまで、六年間、毎日のようにブログに海外旅行の写真をアップしてたんだって」
「うわ…………最悪すぎる…………」
女子達の表情がいっせいに軽蔑に歪む。
「まあ、吉川さんはこれで退職だし。せめて結婚式くらい、快く送り出してあげようよ」
加藤課長が温和な笑顔で部下達をとりなす。
高級ホテルだけあって料理はすばらしく、彼女達もそこは堪能して帰宅した。
半年後。KIKKAWAコーポレーションの社長が入れ替わり、橘聡と野村紫もそれぞれの課に無事、復帰する。
二人の帰還は課内で歓迎されたが、結婚退職していた吉川流華と顔を合わせることはなかった。




