5話:七郎商会で、RSCの仕事を請け負う
翌月、七郎がサリーに電話を入れて横浜の道場へ一緒に出かけた。1時間の練習を終えて汗びっしょりでサリーの所へ来ると、サリーが柔道着をさわらせて言うので了解すると柔道着の帯、袖、合わせなどを手で触り、両手で生地を引っ張ったりして頑丈で切れそうもないねと笑った。
汗臭いだろうと七郎が言うと、そのくらいの方が、私は好きとサリーが笑った。その後、サリーの写真を何枚も写真をとり、3ヶ月が過ぎてリチャードが七郎にサリー、いい娘だろと言うと、照れながら七郎が最高ですと言うと、お互いに大笑いした。
リチャードが結婚しろよと唐突に言うと七郎が恥ずかしそうに結婚したいですと言うと、じゃー決まりだな。サリーが七郎の柔道の練習を見て彼なら間違いないと言い七郎に結婚の事を聞いて欲しいと言われたと、リチャードが白状した。
1979年の紅葉の美しい鎌倉の鶴岡八幡宮でリチャードなど数人が見守る中、神前結婚式を行い、夫婦の契りを結んだ。この2年後の春に、子供ができ、日米の架け橋のような夫婦が正式に誕生した。
その晩、七郎がリチャードにコンピューターのソフトウェア分野でもRDB「リレーショナルデータベース」に興味を持っていると話すとリチャードが驚いた。しばらくして1980年、新春を迎え、日本でもパーソナルコンピューター・第1号、PC8001というパソコンが発売され、早速、購入した。
その数年後、本格的なPC9801も購入。七郎が、アメリカ時代の友人に連絡するとデータベースⅡと言うリレーショナルデータベースソフトを送ってくれた。それを使い、模擬データベースをつくりリレーショナルデータベースソフトを試し始めた。
この話をリチャードに話すと面白いシステムでロスチャイルド家の財産管理のデータベースをつくってくれと言わた。そこで早速、作成したところ、ロスチャイルド家の財産管理の仕事をやって欲しいと言われるようになった。
その数年後、コンピューター作業スタッフ男性3人と事務係の女性1人を雇い、木下七郎が、事務所を借りた。そして、アメリカのロスチャイルド家から送られてくるデータに日本での行ったロスチャイルド家の株式、為替、貴金属、原油の取引記録を書き加えた。
その完成したデータを午後4時にイギリスのシティのロスチャイルド家のデータセンターへ送る業務を始めた。そして、日本では、1982年に日本電気からPC9801が発売されて本格的なパソコン時だが幕を開けた。
その後、1984年、アシュトンテイトからディーベース・スリー、バージョン2.0JというMSDOS版の本格的データベースソフトが発売された。リチャードから財産管理だけでなく、顧客管理なども作成する様に依頼され、仕事をする事になった。
しかし、ネット通信費、事務所費、コンピュータ購入費は、全て、ロスチャイルド家が、支払ってくれた。それとは別に、給料として、月に2百万円を支払うと言われ、数年後からロスチャイルド家の仕事を始めた。その後、データベースソフト、ディーベース・スリーが廃れてマイクロソフトのアクセスに代わっていった。
将来は大型コンピュータの時代からパーソナルコンピュータの時代になると七郎は考えていたが、まさに、その時代がやってきた。データベースと共に、学生時代研究していたのがネットワークだった。一方、日本では、1984年に東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学を実験的にUUCPで結んだ「JUNET」が誕生した。
リチャードは、学費を全額出すから、七郎に慶応義塾大学に研究生として入り込んで、勉強して欲しいと言った。すると七郎が、面白そうですねと言い、了解した。早速、手続きを取り慶応大学の工学部、電気工学科へ入り込んだ。サンノゼ州立大学で電気工学科卒業と言う事で研究室では有名になった。
その頃、七郎は、リチャードに言われて、ロスチャイルド家の資産運用の経理担当会社として、正式に七郎商会を1985年「32歳」に設立。ニューヨークのロスチャイルドから送られてくる、アメリカでの1日の投資活動の経理情報をまとめた。
そして作成したデータベースをニューヨークの仕事が終わるニューヨーク時間の午後5時:日本時間午前5時、夏時間、午前6時、冬時間にニューヨークでのロスチャイルド家の取引と取引後のデータを七郎商会に送信した。




