朝起きたら棒切れになっていた(震え声)
朝起きたら棒切れになっていた。
うん。これは夢に違いない。目を閉じて寝ようと思ったら瞳が無い。当然である。
わめき散らそうと思っても声が出ない。当然ながら口もないし鼻も耳もないのだ。もちろん、歩くことなど出来そうもない。こんな不幸と理不尽があってたまるか。
考えてみれば前世はつまらない人生だったと思う。
そういえばトラックにひかれたかも知れないがまさか自分が転生チートするとは。というか、棒切れでは困る。伝説の棒切れなら解るのだが本当に棒だし。
俺の身体にぎしりと重みが加わった。
誰かの息遣いが聞こえる。怨嗟の声と今を否定する怨念の言葉が聞こえる。同じように視線を感じる。誰だ。ここで俺は気づいた。『俺』は一本の杖ではなく、二本の杖であることを。その視線は俺自身の視線というか意識であることに。
また俺は棒ではなく、上にニンゲンの腋を乗せる事ができる『杖』になっているという事実に。
腐臭がする。鼻が無い俺にも解る。糞尿の臭いと汗のにおい。なだめる看護師たちの声に怨嗟の声。あの声の持ち主は『俺』の持ち主でもあるらしい。
俺は乱暴に彼に投げられ、適当にあったサッカーのおもちゃを何度もぶつけられる。ただ、片足の無い彼には俺に思うようにものをぶつけることが出来なかったようだが。
ここで俺は気づいた。彼は片脚を失ったのだと。
お前は悲しいかも知れないが、俺だって腹が立つのだぞ。俺なんて死んでしかも棒切れなんだぞ。
埃をかぶり、彼の愚痴と怨嗟と怨念を聴きながら俺はただそれだけを念じて奴がさっさと死んでくれるように。俺が砕けて今度こそなくなることを無慈悲な神に祈った。
しかし、運命というのは残酷なものだ。
というか、リハビリは拒否しきれないものがある。
彼は嫌々俺を使って歩く練習を始めた。
何度も転ぶ。投げられる。
この杖や義足が合っていないと叫ばれる。
義足の当たる痛みは普通ではない。また自力で糞尿の処理が出来るようになるまでオムツだ。
若い娘の看護士が去り、屈辱を思い出して耐泣く彼。
ああ。お前も泣きたいのか。俺に比べたらお前なんて全恵まれていると思うけどな。
それでも、彼は本来明るい性格だったらしく、気がつけば車椅子でくるくる回って遊んでいたり、俺を使ってぴょんぴょん跳ねるようにしたり。
あまり言いたくはないが看護士さんのミニスカートをめくる子供じみた悪戯もするようになってきた。ラッキースケベというか俺の意志ではない。コイツの所為なので俺をはたかないでくれ看護士さん。
そうして俺は彼と共に歩き出したが、やっぱり奇異の目で見られるのは避けられない。
行く先々で驚かれる視線、哀れむ瞳、異質なものを見てしまった眼に見えない傷を広げてしまう彼。幸か不幸か杖である俺も心の傷だけは支えきれないらしい。
ヒトの目玉の群れに疲れた彼は大きな土手に登り、ずっとずっと子供たちの遊ぶ姿を見ていた。
夕日を背に皆ではしゃぎあい、汗を流し、声を張り上げ足を動かし、サッカーボールを蹴り合う姿を見ながら彼は何とも言えない寂しそうな表情をして。
「お兄ちゃん。とって」
声が聞こえる。
「あいよ」
そういって彼はひょこひょことうごく。彼の体重を受けて俺がきしむ。
「……」
蹴る脚をどうしようという彼の逡巡が伝わってきた。彼は利き足を失っていたからだ。
「うおおっ?!」
ちょ。無茶するな。俺に全ての体重を預けた彼は振り子のように身体を動かし、一気に蹴る。そして転ぶ。
「うおおおっ?! 凄いパス?!」
「お兄ちゃん頑張りすぎ!」
歓声を上げる子供たちに明るい笑顔を見せる彼。
へえ。お前そんなふうに笑えるんだ。
「当たり前だ?! 俺は一級のDFだったんだぞ?!」意外な過去だな。
そうして親御さんに乞われた彼は時々子供の指導に当たっていたのだが子供に言われた一言で俺にまた当たりだした。
『サッカーが出来ないのに偉そうなお兄ちゃん』
子供は辛らつだな。まったく。
何度も壁にぶつけられて傷だらけの俺に這いずりながら近づく彼。
そして彼の体重がゆっくり俺に乗る。俺は彼の涙と汗が乗った重みにじっと耐える。
今か? 今はそうだなぁ。
『もし、次に生まれ変わったら。俺はサッカーがしたい。
手がなくなっても、脚がなくなっても目が潰れても俺はサッカーをやる。
だから、俺をもう一度サッカー選手にしてくれ!!』
叫ぶ彼の嬉しそうな声が聞こえる。
アンプティサッカー。
杖を用いて使うサッカーでその当たりの激しさは本家をしのぐ。
二つの杖に彼の体重が乗る。そのたわみを生かし彼の身体が振り子のように揺れてゴールに向けて蹴りだされる。
それを防がんとするのは片手を失い、顔面を持って止めるキーパー。
ガッカと俺は激しく相手の選手の杖と打ち合い、傷を増やしていく。
だが俺は負けない。
おれない。
砕けない。
奴を再び世界一にすることを俺は誓った。その誓いは奴には解らないだろう。知らないだろう。
だが俺は知っている。彼の苦悩も、喜びも。生きる辛さも楽しさも。
ボールを蹴り合うことの喜びを。少ないとはいえ応援してくれる人々の声援の暖かさを。
ピッチの風の香りを。そしてその熱さを。
負けるな。もう少しだ。
パスをつなげ。お前は守りの要だ。
駆け抜けろ。俺が支える。俺にお前の体重のすべてを預けろ。お前の人生を乗せろ。
パスミスでそのボールは奴の横をすり抜けようとするが、俺の身体が大きくたわむ。
一本の俺にすべてをかけ、もう一本の俺を振り上げてバランスを取って全力で打ち込むその蹴り。
現役時代から持っていた必殺のカウンター長距離ボレーシュート。それは以前以上の威力と高角度、キレをもって放たれた。
大きな音と共に倒れる彼と役目を果たした俺。
勝利を称える声は勝者を称える声ではない。
負けないことを誓った彼らすべてに与えられた本当の賞賛の声なのだ。
棒切れに生まれなおして。
……よかった。なぁ……。




