060 【肉体】翼、【場所】山
ある里の天狗達が、長の家で顔を突き合わせていた。皆、眉間に皺を寄せている。
「若いのが出発してから、もう半刻は経つ。そろそろ、帰ってくるのでは」
「できる準備は、すべて終わっている。後は彼らの報告を待ち、最後のすり合わせをするのみ」
「これ以上、我らの翼と命を犠牲にするわけにはいかない」
ひそひそと交わされる声に、余裕はまるで感じられない。上座に座る里長が、溜息と共に腕を組んだ。
「そろそろ、決着をつけねばならんさね」
事の発端は、数ヶ月前に遡る。
山を巡回する天狗達が、突如として墜落をするようになったのだ。運のいい者は茂みや池に落着し、事なきを得た。だが過半は山肌に叩きつけられ、命を落とした。生存者は、濡れ羽色の羽根がぼろぼろになる程度で済んでいる。しかし、それを喜ぶ素振りは欠片もなかった。
「同朋の無念、晴らさでおくべきか」
調査が始まった。山のあちこちを飛び回り、手がかりを探した。その過程で十数人もの命が奪われた。それでも諦めずに調べた結果、ある事実が浮き上がってきた。
犠牲者は皆、粘り気のある液体の塊――ほぼ等身大という、異常な大きさである――を真上から被ったことで墜落したこと。
そしてその液体が、山の頂上から放たれていること、である。
「敵は山頂にあり」
その報せは、天狗達を震え上がらせた。武者震いもあったかもしれない。だが大半は、恐怖からだった。
「火口に挑まなければならないのか」
彼らの住まう山は、火山だったのだ。彼らの知る限り、噴火したことはない。しかし、過去何人もの若い天狗が探検に出掛け、その悉くが死体も残さず消え去った。何故蒸発したのかは、今も分かっていない。そのため、数百年前から立ち入り禁止となっている。怖れを抱くのも無理はなかった。
それでも、天狗達の意志は固かった。不届き者がそこにいるなら、座して待つなど言語道断。すぐさま斥候が派遣された。
「飛ぶから打ち落とされるのだ。山道を歩けば、あるいは」
そう言って若い天狗が出発してから、随分と経った。その間、里の住民が総掛かりとなって戦いの準備をした。槍や弓を倉から出し、矢をかき集めた。そして里長の家では、里長自身を含めた首脳部が集い、報せを待っていたのである。
「遅い。よもや、何かあったのでは」
「待て、まだ判断するのは早い」
焦れる者が出始めた頃、戸が荒々しく開け放たれた。斥候の若い天狗が、息を切らし、戸に寄りかかるようにして立っていた。
「も、申し上げます!」
「どうした」
ただならぬ様子に、里長が身を乗り出した。今にも泣き出さんばかりの天狗を宥め賺しつつ、話を聞き出す。その口から語られる言葉を聞くにつれて、居並ぶ者達の目が見開かれていく。
火口にたどり着いた彼が目撃したのは、冷え固まった火口に悠然と横たわる、真っ赤な肌の巨人だったという。その大きさたるや、足先と頭頂が共に火口の壁に接しかねないほどである。腰を抜かした、まさにその時、巨人が動いた。顔を不愉快そうに顰めさせたかと思うと、口をすぼめさせ、唾を吐き出した。鉄砲にも勝る破裂音と共に打ち上げられたそれは、放物線を大きく描きながら、山の向こう側に消えていった。
「わ、私が見てきたのは、以上でございますっ」
報告を終えた若い天狗は、緊張の糸が切れたのか、床に尻をついた。近くにいた何人かが慌てて助け起こす中、里長は顎髭を撫でながら、低く唸った。
「なんとも、厄介なことになってしもうたな」
「と、言いますと?」
沈思黙考すること数分ばかり。室内の天狗の視線を一身に集める中、重い口を開け、言った。
「やむを得ん、戦いは中止じゃ。今すぐこの里を捨てるぞ」
どよめきが起こった。何故と問う者もいれば、信じられないと嘆く者もいる。だが里長が手をかざすなり、静まった。
「わしとて、不本意じゃ。だが、今回ばかりは相手が悪い」
「里長は、彼奴が何かご存じなので?」
「十中八九、な」
そう言って、斥候の若い天狗に、身なりについて二つ三つ質問した。彼もいくらか落ち着いたためか、震え声ながらもきちんと答えた。里長は返答を聞き出して、やはりか、とつぶやいた。
「金色の装いに、王と書かれた冠……。そしてその体躯に赤い肌とあっては、もはや間違いようもない」
「して、奴は一体?」
「閻魔様だよ」
その名に、一同は一瞬、何の反応も示すことができなかった。何人かが喘ぐような声を絞り出せるまで、しばらくの時を要した。
「な、なぜ、閻魔様がこんな地に」
「さてな、わしもそれは分からぬが……大方、別荘か何かとして活用しとるんじゃないだろうかね。死者を裁く合間の一休憩、といったところか。火山の下から来たのなら、なるほどわしらにも掴めぬわけじゃ。それほどの御方ともなれば、吐いた唾の大きさも勢いも大変なものとなる。直撃を食らえば、ひとたまりもない」
「しかし……どのようにして当てているのでしょうか。また、何故」
「あらゆる生者の行いを見通せるのなら、近辺を飛ぶ天狗を捉え、狙うのも不可能ではなかろう。閻魔様にとっては、羽虫を払うのと似たようなものだったのだろう。……それにしても、随分と行儀の悪いことだ」
「なんと……この山にて我らの翼を奪ったのは、本当に……」
「ああ」
深い、深い嘆息と共に、里長は言った。
「閻魔の唾、さ」




