2-4 ナンセンスな羊飼い
コン、コン…。
コン、コン。
「開いている、入ってくれ」
「お邪魔するぞ」
部屋の中は、俺の部屋と同じく簡素な作りだった、ベッドと小さなテーブルと椅子だけ。
ルーヴィックは椅子に座り、テーブルに置かれた白黒チェック柄の台座を睨んでいる。
手には年季の入ったノート、過去の対局の棋譜か?
ふぅーと、息を漏らし駒を片付け始めた。
「何の用だ?」
「少し、付き合って貰おうと思ってな」
「何がだよ」
「『この件はこれでエンドゲームだ』だったか?」
それは昼間リルドナに投げた言葉だ。
「出来るんだろう? チェス」
「昔にハマってた程度だぞ?」
「それでも構わん」
ルーヴィックの向かいに座り、駒を並べ始める。
懐かしいな、長い間やってなかった筈なのに、自然に手が動く。
「先手はくれてやる」
「そりゃ、どうも」
盤面を視る、1. e4 e5 2. Bc4 Bc5 ……まさかなぁ、と思いつつ指し手を換える。
ルーヴィックは満足そうに笑った。
「さすがに初心者じゃ無いようだ」
「お前、舐めてるだろ?」
――スコラーズ・メイト――
初心者が引っかかり易い手順の指し手、俺も昔はよくやられた。
「まさか旅先でチェスを差すことになるとは、思わなかったよ」
「そうか?俺は常備している」
淡々と次々と指し手を進めていく。
ふと、宿に来る前のことを思い出した。
「そういえば――」
「どうした?」
「さっきの『何故…剣の鞘が?』の話。まだ途中だったよな?」
「ああ、そのことか」
答えながら、王と城兵を入れ替える。
「伝承に出てくる赤き剣は魔を否定すると言われている」
「魔を否定?」
「平たく言えば、魔法を無力化するか…、
魔法である以上、ひとたび赤き剣に触れれば消失する」
「すごいな、そりゃ」
「そして、その力は鞘のほうにも宿っている、というわけだ」
「なら鞘だけでも充分価値があるな」
じりじりと前線を上げてくるルーヴィック。
遊ばず、堅実に攻めて来る指し手…手強いな。
「なら、切り崩してやる」
犠牲覚悟で駒を進め、お互いの駒を減らしていく…!
――シンプリフィケーション――
「大丈夫か?ナンセンスだぞ」
「うるせぇ、」
「等価交換は、有利な局面で使うべきだ」
いつしか、俺は夢中に指していた。
コン、コン、コン。
「お兄様、リウェンです、よろしいでしょうか?」
「構わん、入れ」
ウェイトレス姿のままのリウェンが入ってきた。
俺の姿を捉えたリウェンは、苦笑いを零した。
「あらあら、やっぱり捕まってしまいましたか?」
「見事に、ね」
「どうした?」
「お茶の用意が整いましたが、こちらにお持ちしたほうが宜しいでしょうか?」
ルーヴィックは懐から時計を取り出し一瞥する。
「そうしてくれ、まだ終わりそうも無い」
「畏まりました、」
スカートの裾を摘み、優雅にお辞儀をしリウェンは部屋を出て行った。
――少し元気になったようだなぁ、
俺は既に閉じられたドアを暫く見つめた。
「心配していたか?」
「な、何がだよ」
「図星らしいな」
見透かすように笑っている。
ちっ、悪いかよ。
「そら、お前の手番だ。受け手を聞こう」
「く……」
次第に俺は長考せざる得なくなっていた。
コンコン。
ガチャ。
「お兄ちゃん入るわよー」
もう入ってるだろ、という言葉を飲み込み、対局を中断する。
「ほーら、約束どおり淹れてあげたわよ」
「ちゃんと覚える神経があったんだな」
無駄口を叩きながらも、テキパキと紅茶を注ぐ。
お、いい香りだ。
「な、美味い…!?」
「何よ…疑問系なの?」
正直、リウェンは言っていたが、にわかに信じていなかった。
こんな凶暴な女にお茶を淹れるというイメージがとても繋がらなかったせいだ。
「気持ちは判らんでも無いがな」
「お兄ちゃんも、酷っ」
リルドナは口を尖らせ抗議していた。
さて、紅茶で気分もリフレッシュだ、どう切り替えしてくれよう。
「コレ、どっちがアンタ?」
リルドナが盤面を覗き込みながら訊いてきた。
「…白だよ、」
「よく判んないけど、白の数が少ないわねぇ」
「あらら…これは苦しそうですね」
リウェンも覗き込んでいる。
「まだだ、まだ終わりじゃない!そう簡単に投了すると思うなよ」
「良い心意気だ、ならばこれより詰めるぞ」
ゲームは終盤、いつチェックメイトされてもおかしくない。
足掻くだけ足掻いてやる…!
「これで、どうだぁ!」
「大丈夫か?ナンセンスだぞ」
起死回生の一手もアッサリ裏目にされる。
熱くなる俺を尻目に――
「んじゃ、あたしはまだ洗い物の手伝いあるから戻るわ~」
ひらひらと手を振ってリルドナは退出した。