王都、再び
「ルカ」
先日、久方ぶりにきちんと向き合ったばかりの息子の名を呼ぶ。振り向いたルカは、とても穏やかに微笑んでいた。
「……本当に良いのかい?」
躊躇い交じりにそう尋ねると、ルカは少しだけ目を見開き、それから力強く頷いた。そこには一片の迷いも、憂いも見えはしない。
(あぁ)
自分は何もしてやれなかった。けれどルカは、美しく誇り高い、素晴らしい青年に育ってくれた。そう称さずにはいられない。
「――――行こうか」
ならばこちらも、そんな彼に応えなければならない。
固く閉ざされた重い扉を開放した先に広がる眩い光。そちらに向かって、ルカと共に足を進めた。
(来てしまいました……)
城の前に広がる王都の広場。人々のひしめき合うその場所にミシェルはいた。
王都に足を踏み入れるのも、この城を見るのも、実に半年ぶりになる。ルカの部屋から抜け出したあの夜が最後だった。
「懐かしいですね、エイダン」
ミシェルが呟くと、チリンと鈴を鳴らしながら黒猫が小さく鳴いた。
王都も城も、一見何も変わっていないように見える。けれど、ミシェルが知らなかっただけで、王都も、城も、それからここにいる人々の想いも。この半年の間に色んなことが変わってきたのだろう。
(見届けなければ……きちんと)
ミシェルはグっと拳を握りながら、大きく深呼吸をした。
今日ルカは、この場所で婚約を発表する。
当然、それを知った時にミシェルの受けたショックは大きかった。
ルカとは何度も何度も、想いを確認し合った。生まれてきて良かったと――――幸せだと思った。この気持ちは永遠に変わることは無い。そう思っていた。
(自分で選んだことなのに)
ミシェルの心臓が大きく軋み、悲鳴を上げる。
二人が兄弟であると知れば、きっとルカは苦しむ。彼を傷つけたくないと思った。自分のように、深い絶望の淵に立たせたくないと。そう願っていた。
出会ったことも、生まれたことすらも。何もかも全てが間違っていたかのような苦しみ。ミシェルを襲ったのは、そんな絶望だった。
だから誰にも何も言わずにミシェルは姿を消した。
しばらくはルカも悲しむだろう。苦しむかもしれない。けれど、真実を知るよりはずっとマシだと、そう信じた。
いつかルカの心を救えるような魔法を生み出すこと。それから、彼の愛する国を影ながら支えられる人間になることだけが、ミシェルの心の支えだった。けれど。
(ルカ様はもう、私のことを忘れられたのですね)
バルコニーを見上げるミシェルの瞳から、涙が零れ落ちた。
忘れてほしいと思っていた。そう願っていたはずだった。けれど、そんな気持ちは嘘っぱちだったと思い知る。
ルカが婚約を発表するということは、国王の裁可がおりたということだ。
ミシェルとの婚約を進めるにあたっては、ルカもある程度時間を要していた。それがこんなにも早く話が進んだのだから、きっと相手は身分的にも申し分ない娘なのだろう。
ミシェルとは違い、ルカと未来を共にでき、愛し、愛されることの許される誰か。羨ましくないと言ったら、当然嘘になる。
(でも)
眉間に皺を寄せながら、ミシェルはブンブンと首を横に振った。
今日この場所に来たのは、未練を断ち切るためだ。自分の惨めさを思い知るためでも、嫉妬に身を焦がすためでもない。
これから先もきちんと生きていくために。二度と会うことの叶わない愛しい人を目に焼き付けるためだ。
どんなに苦しくとも、現実を受け止め、前に進んでいかねばならない。ミシェルはそう、自分に言い聞かせる。
その時、広場に集まった観衆が一斉に湧いた。ミシェルも思わず顔を上げる。
(ルカ様……)
バルコニーに現れたのはルカと国王の二人だった。彼の婚約者となる人は入り口に控えているのだろうか。姿が見えない。
「国王様!」
「ルカ様、ご婚約おめでとうございます!」
群衆の中から聞こえる歓喜の声に、国王もルカも微笑みながら手を振る。歓声の渦の中、ミシェルはじっとルカを見つめ続ける。
(ルカ様、少し痩せられたのでしょうか?ここからじゃよく見えないけれど)
久しぶりに見るルカはどこか儚げで、以前よりも線が細い。
本当はもう少し前の方に行けばよかったのだろうが、城に近づくほど警備が厚い。顔見知りの騎士がいる可能性もあるため、ミシェルは広場のはずれ、人の少ない位置に佇んでいた。
けれど、穏やかに微笑むルカは遠目からでも美しく、あまりにも眩しい。
「バカです、私」
涙が止まらなかった。どんなに自分に言い聞かせても、効果などない。ミシェルの心を占めるのは、悲しみと苦しみ、それからルカへの想いだった。
戻れないと分かっているのに。忘れた方が良いと、忘れてくれた方が良いと思っているのに。それでも好きで。大切で。あまりにも愛おしくて。
「ごめん……ごめんなさい。本当に」
どうして謝っているのか、誰に謝っているのかも分からないまま、うわ言のようにミシェルは繰り返す。トネールはみぃと小さく鳴きながら、ミシェルの涙を拭った。
遠くから微かに声が聞こえる。一度だけ会ったことのあるミシェルの父親。国王の声だ。
先程声を上げていた観衆たちも、今は国王の声に耳を澄ませ、シンと静まり返っている。けれど、まるで靄が掛かったかのように、ミシェルの耳には国王の言葉は入ってこない。
目に焼き付けたいと思っていたはずのルカの姿も、滲む涙でもう見えやしない。
(帰りましょう)
忘れることも、未練を断ち切ることも。何もかも今のミシェルにはできそうにない。
そう結論付けて、ミシェルが踵を返したその時だった。
「――――我が王子・ルカの婚約者として、王室専属魔女・ミシェル・ウィリアムズが内定したことをここに発表する」
そんな言葉が、やけにハッキリとミシェルの耳に飛び込んで来た。




