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魔女と王都と金色の猫  作者: 鈴宮(すずみや)
引きこもり魔女、森を出る
22/98

沙汰待ち人の憂鬱と書状

 それから数日、ミシェルは生きた心地がしなかった。

 ルカもクリスも、ディーナさえもミシェルの執務室を訪れることはない。



(私はいつ、ここを追い出されるのでしょう)



 そんなことを考えながら、ミシェルはブルりと身体を震わせる。

 下手をすれば、王子を騙した罪で、ミシェル自身が衛兵に突き出されるかもしれない。そんな不安を誰にもぶつけられないまま、ミシェルは魔術書を読みふけった。

 唯一側にいてくれたのは猫のトネールだ。

 あの晩、トネールは静かにミシェルに寄り添ってくれた。まるですべてを見通すかのような瞳を持ったこの猫は、ミシェルが不安の時には側にいてくれるし。少し距離を置きたいときにはそうしてくれる。否定も肯定もされないことは、とても心地よかった。



「ねぇ、トネール。もしかすると私は、自分から出て行った方が良いのでしょうか」



 こうして誰も来ないのは、ミシェルを逃がすためのルカの慈悲なのかもしれない。ついついそんなことを考えてしまう。

 トネールは澄ました表情でミシェルに擦り寄ると、みゃあと小さく鳴く。ミシェルは小さくため息を吐きながら、そっと窓の外を眺めた。

 窓の側の文机には、小さな薬瓶と、美しい色彩の糸で編まれたミサンガが並んでいる。どちらも手慰みにと作ったものだ。もしもミシェルがここを去ることになった時、ルカやクリス、ディーナを護るものを残したい。そう思って用意したのだが。



「こんな安っぽいもの、置いて行ったところで、きっとルカ様には身に着けていただけないでしょうね」



 自虐的に笑いながら、ミシェルは目を瞑った。

 ルカを思い返すだけで、ミシェルの瞳には涙が浮かぶ。



(こんなことなら、もっと早くに距離を取るべきでした)



 けれどミシェルには人との距離の取り方等わかりはしない。生まれてからほんの数人としか関りを持ったことが無いのだ。相手の好意も、興味も、悪意も……それが特別なモノか判別できるほどに経験を積んでいない。

 祖母の教えがミシェルの頭に木霊する。けれどミシェルは頭を振ってその幻影を逃した。



(ルカ様に出会えたことは、私にとって幸福なこと)



 結ばれぬことが辛くても、出会えた喜びが勝る。そんな風に思えたことはミシェルにとって嬉しいことだった。



(本当は、これから先もお側にいたい)



 けれど、それを決めるのはミシェルではない。故に、未だ沙汰のないことは、ミシェルにとってあまりにも落ち着かないことだった。

 ふと目を遣ると、先ほどまで専用のクッションに横になっていたトネールが、ピクピクと耳をそばだてている。どうやら久方ぶりの来客らしく、トネールは首に付けられた王室の紋が入った鈴をチリンと鳴らしながら立ち上がった。

 執務室の戸が優しくノックされる。



「どうぞ」



 ミシェルが声を掛けると、ゆっくりとドアが開いた。扉の向こうには困ったように笑うクリスが立っていた。



「久しぶりですね、ミシェル」


「お久しぶりです、クリス」



 そんな挨拶を交わしながら、互いに笑みを浮かべる。

 実際はそんなに日が経っていないものの、数か月が経ったかのようにミシェルには感じられていた。裁判にかけられる被告人や死刑執行を待つ囚人はこんな感覚なのだろうか。そんなことを改めて思う。



(あっ……! そういえば、クリスとの最後の会話って…………! )



 今、この時までミシェルはすっかり忘れていた。ミシェルはあの夜、ルカだけでなくクリスからも将来を仄めかす発言をされていたのである。

 少しずつ少しずつクリスが近づいてくる。ミシェルの背からはダラダラと汗が流れ、その顔は青ざめた。



(どうしよう……私ったら何も考えてませんでした! )



 クリスは穏やかに微笑みながら、トネールの側へと座った。ミシェルの心臓がドキドキと鳴り響く。クリスに促されて反対側のソファへと座りながら、ミシェルは大きく深呼吸した。



「あっ……あの、クリス! あの夜は――――」



 戸惑いながらもミシェルが口を開く。すると、クリスは小さく笑いながら首を横に振った。



「そんなに固くならないでください。いつも通りのあなたが見たい」



 クリスが言うと、ミシェルは安堵のため息を吐いた。ミシェルにとってクリスは、どんなことがあろうと大事な幼馴染だ。出来る限り、これまで通り接したかった。



「それに、あの夜のことは気にしないでください。私も少し焦り過ぎましたし、相手がルカ様ではあなたも私も、どうすることもできませんでしたから」


「はい……。そう言っていただけると助かります」



 ミシェルはそう言って小さく頭を下げる。



(でも、あの時もしもルカ様が来なかったら、私は何と答えていたんでしょう? )



 もしかすると、勢いに任せて「はい」と、そう答えていたかもしれない――――そんなことを考える。

 けれど今、クリスはミシェルに答えを求める様子はないし、あの瞬間はもう、二度と戻っては来ないのだ。



「あの……クリス、私はどうなるのでしょう? 」


「……? どう、とは? 」



 ミシェルが尋ねると、クリスはキョトンと目を丸くした。



「ここから追放されるとか、国を追い出されるとか、はたまた処刑されるとか……! 」


「ミッ、ミシェル⁉ ひとまず落ち着いてください」



 矢継ぎ早に繰り出されるセリフに面食らいつつも、クリスはミシェルを宥めた。隣ではトネールが鳴き声を上げながら首を伸ばしている。ミシェルは息を整えながら、もう一度ソファに腰掛けなおした。



「一体どういうことです? 何故そんな恐ろしい話が出てくるのですか? 」


「だっ、だって! 私……私…………」



 言いながら、ミシェルは気づいた。どうやらクリスは、ルカから何も聞かされていないらしい。



(どういうことでしょう? お咎めは何も無し? それとも、水面下で進んでいるとか……)



 真相は分からないが、少なくとも今すぐにどうこうなるということはなさそうだ。ミシェルはほっと胸を撫でおろした。



「……ルカ様と、何かあったのですか? 」



 困ったような笑みを浮かべ、クリスが尋ねる。

 このままクリスに何も事情を話さないというわけにもいかない。そもそも、あの夜のルカの行動は他の人の目にどのように映っていたのかすら、ミシェルは知らないのだ。



「実は私……ルカ様にお話したんです。母のこと」


「お母さまのことを……そう、だったのですか」



 クリスはほんの少し気まずそうな表情を浮かべながら、軽く目を瞑った。複雑な表情からは、彼が何を考えているのかきちんと読み取ることができない。けれど、やがて瞳を開けたクリスは、少しだけ唇を綻ばせているようにミシェルには見えた。



「ひとまず安心してください。私たちはルカ様から何もお聞きしていません。あの後も忙しい日々が続いていましたから」



 クリスの言葉に、ミシェルは改めて安堵のため息を吐く。



(これで、もうしばらくはルカ様の側にいられます)



 そう思うと、ミシェルはとても嬉しかった。



「最近ルカ様はディーナ殿にも仕事を任せているのです。ですから私は、ミシェルがどう過ごしているか気がかりだったのですが」


「そうだったんですね」



 ディーナがミシェルの元に来ない理由も、ミシェルが処罰待ちの身だからというわけではないようだ。



「本当にやりたい仕事ができているなら、ディーナにとって何よりです」


「ええ。とても意欲的に仕事をしてくださっていて、皆とても助かっているようですよ」



 元々ディーナは政務官志望だ。彼女の意欲や能力が認められたならばこれ以上のことはない。ミシェルは自分のことのように嬉しかった。



(とはいえ、話し相手がいなくなってしまったのは少し寂しいですが)



 ついつい俯くと、トネールが立ち上がり、ミシェルの膝へと擦り寄った。



「それで、私がここに来た理由なんですが」



 クリスがコホンと咳払いしながら姿勢を正した。それから一枚の書状を取り出すと、恭しいしぐさでミシェルへと差し出す。



「予定より少し時期はズレてしまいましたが、農村への視察のお願いに参りました」



 ミシェルは書状に目を通すと、コクリと小さく頷く。



「承知しました。出発や段取りはこの書状通り、ということでよろしいのですね? 」


「はい。事前に必要なものなどがあればお知らせください」



 そう言ってクリスはスッと立ち上がった。



「では私はこれで。出張前に仕事を片付けてしまわねば、ルカ様に小言を言われてしまいますから」



 どうやらクリスは、今回の遠征にも同行してくれるらしい。ミシェルとしては心強いことだった。



「よろしくお願いいたします」



 深々とお辞儀をしたミシェルの頭をクリスが躊躇いがちに撫でる。それからすぐに、パタンと音を立てて扉が閉まった。

 ミシェルは小さくため息を吐きながら、もう一度手元の書状を開く。美しく上品で、それでいて気の強そうな文字が並んでいる。ミシェルはそっと、文字をなぞった。



(ルカ様……)



 ギュッと抱き締めた無機質な書状が、妙に熱く、愛おしかった。

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