街と町と未来の侯爵
美しい緑に囲まれた小さな町で、ミシェルを乗せた馬車は止まった。ミシェルの住んでいた街とは反対方向に位置する場所だ。町を囲うようにして流れる川は、小さいながらも流れが速い。後方にボンヤリと見える山の方から流れてきているようだった。
「長旅お疲れ様でした」
そう言ってクリスが手を差し出す。ミシェルは穏やかに微笑みながら、そっとクリスの手を取った。
「ありがとうございます。クリスの方こそ、疲れたのではありませんか? 」
馬車に揺られていたミシェルとは違い、クリスは道中、ずっと馬に乗っていた。山間部とはいえ、ここ最近随分と気温が上がってきたので、疲労感はミシェルの比ではないだろう。二人の隣で猫のトネールが大きく伸びをした。
「私は平気です。そのために鍛錬も積んでますし、今回は何と言ってもミシェルの護衛が私の任務ですから」
ドンと胸を叩きながら、クリスが微笑む。
今回の遠征は、ミシェルとクリスの二人きり。馬車の運転手は、既に王都への帰路についていた。もしかしたらルカが来るかもしれないと危惧していたミシェルだったが、それは杞憂に終わった。
「忙しいクリスの手を煩わせてすみません。本当は私みたいなペーペーに護衛なんて、必要ないのですけど」
「何を言うのです! ミシェルは私にとって誰よりも大事な姫君なんですよ」
クリスのセリフにミシェルは笑った。それは幼い頃から繰り返し聴いているクリスの口癖だった。
(変なの。私なんかよりクリスの方がずっと、王子様に近い存在なのに)
彼が侯爵家の跡取り息子だと知るまでは普通に受け入れられていたセリフも、今では中々にむず痒い。まるでミシェルの心に寄り添うようにトネールが肩に飛び乗ると、そっと頬擦りをした。
「では参りましょう。まずは、案内役を探さなければ」
「はい! トムさんと仰る方ですよね……一体どんな方なのでしょう」
ミシェルは徐にルカから貰った書状を広げた。
そこに書いてあるのは、この町の気候や地形、それから案内役のトムの名前ぐらいだ。ここへ来て、具体的に何をすれば良いだとか、どのぐらいの滞在期間を想定しているだとか、そう言ったことは何も書かれていなかった。
「普通ならばその町の一番大きな家を訪ねれば良いのでしょうが、見る限り、どの家もあまり変わりはありませんから」
「とりあえず町の中を歩いてみませんか? この町の様子も知りたいですし」
ミシェルはそう言って町の中を見回した。農業を主としている町だと聞いているが、町の入り口からは畑も何も見えない。クリスはコクリと頷くと、ミシェルの手を取って歩き始めた。
暑い日差しのせいか、町の中には人が殆どいない。店も疎らで、あるのは生活必需品を置く店ばかりだ。
「王都とも、クリスの街とも、国境の街とも違いますね」
ミシェルはそんなことを口にする。
王都は洗練されているが、都という場所のためか、その広大な土地のためか、どこか他者を受け入れるだけの余裕がある。変わった物にも寛容で、ありとあらゆる商売が営まれているものの、人同士の関りが極端に薄いのが特徴だ。
クリスの街は同じく洗練されているが、色んな意味で完成し過ぎている。旅人が一時的に身を休めることはできても、そこで新たに商売を始めることは難しい。そんな街だ。
それから、国境の街は軍事に厚いことから、機能性に特化した印象の街だった。便利だと思うし、住みやすいとも思うが、ミシェルにとってはどこか落ち着かなかった。
二人が今いるこの町は、そのどれとも違う。洗練されているわけでも、機能性に特化しているわけでも、完成しているわけでもない。けれど、温かくて妙に居心地が良かった。
「町というのは土地や、建物だけを指すわけではありません。歴史、気候、商売、人――――あらゆるものが絡み合って町を作り上げていると私は思っています。それらは地図や本だけでは読み取れない。ですから、出来る限り多くの土地を自分の目で見ることがとても大切なんです」
クリスはそう言って穏やかに微笑んだ。
「そっか……だからこそ、私たちはこうして視察に来たのですね」
「はい。ただ、何故王室専属魔女であるミシェルを視察へ呼んだのか、その辺りはまだ測りかねていますが」
「……本当に、クリスは未来の侯爵様なのですね」
ミシェルが微笑むと、クリスは照れくさそうに頬を染めた。トネールがフンと鼻を鳴らしながらクリスを睨んだ。
しばらく歩いたところで、ようやく畑が見えてきた。通路を挟んで広がる緑色の絨毯にミシェルは息を呑む。トネールはミシェルの肩からピョンと飛び降りると、畑の周りを走り回った。
「これは……」
クリスが葉を手に取り、フム、と顎に手をやる。ミシェルが首を傾げていると、遠くから誰かの声が聞こえた。
「おぉーーい! あんた達かい? 城からの遣いっちゅーんわ」
二人に声を掛けているのは、背の低い老人だった。畑に埋もれるようにして手を振っている。
クリスが近づくと、老人はニカッと人懐っこい笑みを浮かべ、両手を差し出した。真っ黒に日焼けした老人とクリスが握手を交わす。二人の肌色はあまりに対照的だった。
「気づけてよかった。私がトムだよ。王様からこの辺りを任せてもらっちょる」
「初めまして、クリスと申します。こちらはミシェル。王室専属魔女です」
「ミシェルです。よろしくお願いいたします」
ミシェルが頭を下げると、トムはコクコク頷いた。
「魔女を見るのは久しぶりだねぇ。しかもべっぴんさんと来た! 何やら昔の……」
「ところでトムさん。今年の畑の状況は如何ですか? 」
「如何って……よくないねぇ……かなりマズイ状況だよ」
トムは眉を顰めながら畑を見回した。辺りではたくさんの人々が忙しなく働いている。けれど、皆の表情は一様に明るくはなかった。
「どうやら今年は雨が多すぎたんだね。水はけが悪くて麦や他の苗も育ちが悪い。おまけに気温まで例年より低めだから」
ミシェルは畑の側で腰を折ると、まじまじと作物を見つめた。
(なるほど……これで、この時期にしては育ちが悪いのですね)
事前に読んだ書物に描かれていた挿絵とあまり変わらないように見えるが、トムやクリスが言うならばそうなのだろう。それに、どこか弱弱しい印象を受けた。
ミシェルは杖を取り出すと、ツンツンと葉を2回叩く。すると先ほどまでしおれかかっていた葉が瑞々しく生き返った。
「おぉ! さすがは魔女さんだねぇ」
トムの瞳は期待に満ちて輝いている。けれどミシェルはフルフルと首を横に振った。
「残念ですが、恐らく効果は長続きはしないでしょう。仮にすべての苗に魔法を掛けていったところで、根本的な問題解決にはなりませんから」
「そっ、そうなのかい? 」
「うーーん……幼いころミシェルが見せてくれたみたいに、魔法で一気に成長させることはできませんか? 」
クリスが首を傾げながら尋ねる。森の中に住んでいたミシェルにとって、植物は彼女のおもちゃの一つだった。魔法を掛けて大きく成長させたり、植物同士を掛け合わせてみたり、薬を作ったりして遊んでいたし、クリスもそれを知っているのだ。
「試したことはありませんけど、多分今無理やり成長させても品質は最悪だと思います。季節を乗り越えて、時間と人の手間暇を掛けるから作物は美味しくなるのではないでしょうか? 」
トムの許しを得て、ミシェルは先程魔法を掛けた葉に、更に魔法を掛けた。見た限りは立派な麦穂へと成長を遂げる。
「あぁ……確かにこりゃぁダメだねぇ」
トムが穂を刈りながらポツリと漏らした。どうやら、ミシェルの危惧した通りの結果になったらしい。
「とはいえ、ひとまずは作物を元気にしていきましょう。トムさん、案内していただけますか? 」
ミシェルは腕を捲りながらため息を吐いた。
(何か解決方法を見つけられると良いのですが)
トムの後に続きながら、ミシェルは眉間に皺を寄せた。




