第40話
カジノは広く、様々な台が林立しているため目が届き辛い場所も多々ある。
しかも、更に奥のエリアに進むための通路もあったりするので繁華街の路地裏みたいな死角が存在するのだ。
そんな死角にはどこか近寄りがたい空気がうっすらと流れている。
待ち構えるアリ地獄のような、危険な空気が。
だから、奥の倉庫エリアに用が無ければそこには入っていかない。
愛佳たちがその付近を通り掛かったのは鏡を探そうとしてカジノの奥まで来たからだ。
早くネックレスをした自分の姿を愛佳は見たかったのだが、けっきょく見つからなかった。
代わりに見つけたのが、通路で言い争いをしている男女の姿。
何やら男性の方が女の子を責めている。
「セシオラ、宇宙人なんかと仲良くするのはやめておけ」
「わたしは、その……仲良くしてるわけじゃ」
このやり取りに愛佳はくちを引き結んだ。宇宙人、か……
『宇宙人』とは地球生まれの者が【アイギス】の住人を指す時の言葉だ。
そのニュアンスは蔑称としての機能も多分に持っている。
こうした言葉を率先して使う者は、要は【アイギス】の住人が嫌いなのだ。
見かけ上は融和が進んだ地球と【アイギス】。
しかしそれはハリボテだ。
裏側に回れば骨組みが露出してしまっているどころか、その骨組みさえ叩き折ってしまえと嫌悪を露にしている者までいるのが現実。
前情報として刷り込まれた偏見を現実で上書きできれば気持ちも切り替わるのだろうが、それが遅い人、拒絶する人もいるのは仕方の無いことかもしれない。
そして、よく見てみたら男性の方は見たことのある顔だった。
エミリーから彼氏だと紹介された、写真の男ではないか。
その写真の男は、こんなところで女の子と何をしていたんだろうか。
思わず愛佳は眉をひそめてしまう。
「二人で出かけたりしてたんだろう?」
「それは……でも、もう会ってないし」
「本当かよ? 信じられない」
「本当だよ……だから許して」
女の子の方は愛佳たちと同じくらいの年齢か、それより下に見える。
おとなしそうで、うつむき加減に応答していた。
愛佳は迷い始めた。もう立ち去った方が良いだろうか。あまり立ち聞きも良くない。どうする?
そうして視線を送ると電志は囁いた。
修羅場になったら止めに入る必要も出てくるかもしれない……
確かに、あり得ない話ではなかった。
そもそも単なる男女の喧嘩なら、こんなところではしない。
ワケアリなのだ。
「そうは言っても、お前はもう信用ならない。みんなの前であんなことを言ってしまったんだ」
「それはっ……友達、だから」
「友達だって駄目だ。もう忘れろ」
「……メルグロイだって、こっちの恋人ができたでしょう?」
「…………ここに溶け込むためだ、本気じゃない」
会話が途切れたので、愛佳と電志はその場を離れた。
いやなことを聞いてしまった、と二人は苦い表情になってしまう。
こんなこと、エミリーには言えないだろう。幸せそうに写真を見せてくれたのだから、水を差すようなことはできないし。でもそれだと今後、エミリーと顔を合わせ辛いな。どうしよう。エミリーもダメ男に捕まってしまったものだね……
そしてちらりと愛佳は隣の少年に目を移す。うん、電志なら安全そうだ。他の女と同時進行なんてことはまずもってしていないだろう。
「電志は遊び人になっちゃあダメだよ?」
釘を刺すように言うと、電志は淡々と返した。
「俺の性格と対極にあるものだ、それは」
愛佳は満足して頷いた。まったくその通りだ。バカな質問だったね。
メルグロイは特に感慨も無く言った。
「…………ここに溶け込むためだ、本気じゃない」
そうして放った言葉は波紋のように広がり、場を凍りつかせる。
目の前の少女・セシオラは明るい色の髪だが、常に何かに怯えて暮らしているような顔で、絶望の色を帯びるのは頻繁にあるのではないかと思わせる。
彼女は衝撃を受けたように目を見開き、瞳孔を左右に震わせた。
そしてそんなセシオラを見て、メルグロイは『あれ、靴紐解けてた?』とでも言うように目を瞬かせる。この娘はいったい何を驚いているんだろうか。年齢も年齢だから、まだ純粋な愛などを信じているお年頃なのかもしれないな。絶対そうだ。そうでなければ宇宙人に本気で友達を作って、その上『逃げろ』などとは言わないだろう。あまり情に流されるべきではないのだが、この娘はそこら辺を分かっていないようだ。どうしたものか。このままだと自分の立場すら危ういというのに。
しばらく見ていると、セシオラは俯き、掠れた声を絞り出した。
「ひどい……」
メルグロイは確信する。やはりこの娘は純粋だ。だが【アイギス】に来た当初、またそれ以前はそうだっただろうか? いや、違うはずだ。違かった。
彼女は全てをやり直すのだと言っていた。
父が外科医で母は専業主婦、近所からはうまくいきすぎの家庭で誰もが羨むものだった。
しかし小学校に入る時には母が別の家庭も別の子供もいる『二重生活』を送っていたことが発覚。
父は『それでも根気強く解決していこう』と笑顔で言っていたが、半年もしない内に自身の勤める病院で、手術室の機具で滅茶苦茶に切り刻んで自殺した。
それからふさぎ込むようになったが、周囲からは良いように使われるようになった。
宿題も三人分やらされたり、物を買ってこさせられたり、それが徐々にエスカレート。
中学では友達にハメられて万引きの責任を押し付けられ補導された。
セシオラ自体も自殺を図ったが、未遂に終わった。
補導後しばらく監察官がついていたので発見が早かったのだ。
そんな時【アイギス】行きが持ち掛けられたらしい。
訓練の時メルグロイは食堂で隣に座ったセシオラと意気投合した。
メルグロイは喋っていなければ気が済まない性質なので食事の度に誰彼構わず話しかけていたのだが、その中でセシオラとは気が合ったのだ。
お互いに『やり直すため』に【アイギス】へ行くのだと。
普段なら意気投合すれば男女の関係までとんとん拍子で進めてしまうところだが、メルグロイは不思議と『共に目標へ向かって歩む仲間』という意識が芽生えたため、そうしなかった。
こんな感覚は初めてだったが、互いに応援する関係として固定されている。
だから、メルグロイはセシオラを心配しているのだった。
「セシオラ、もっと心を平坦に保て。メンタルのカウンセリングは充分に受けてきただろう? それを思い出すんだ。『酷い』なんてそんなにインパクトを感じる単語ではない、そうだろう?」
何かをして『酷い』と感じるのは人間の傲慢だ。
自然界なら草食獣の子供を肉食獣が襲う。
そして食らうのだ、その子供の親が見ている前で。
そうやって考えていき、『酷い』という単語を抑制させていく。
排除しようとはしない、抑制だ。
排除しようとすれば拒絶反応が出て、心を壊してしまう可能性がある。
ああ酷いことしたなあ、という自分を隣で眺めている感覚になれば良い。
そうしたカウンセリングは彼女も受けているはずだ。
だがセシオラは口ごもりながら、意外なことを口にした。
「でも、相手の女の子は……本気なんでしょう?」
メルグロイは視線を上にして、考えた。
思考の範疇の外だった。それは考えてなかった。こちらが本気でなくても、相手はそうではないかもしれないのか。
それなら、エミリーは『酷い』と感じるかもしれないな。
メルグロイは胸の奥に、平坦でない何か揺らぎのようなものを感じてしまった。




