第41話
メルグロイはスラム街を歩いていた。
およそ正規の設計などされていない自作の粗末な家が立ち並んでいる。
道端で座り込み虚ろな目をした老人、そしてその傍を走っていく子供たち。
手を真っ黒にして隣の家の壁を補修する男性。
常に周囲を探るような目をして歩く若者。
そんな生活の様子を観察しているカラス。
碁盤の目になどなりえない複雑に入り組んだ路地脇には無数に口を開けている。
いま進んでいる道だけが唯一、真っすぐだ。
真っすぐ、明日へ向かっている。
日の当たる明日へと。
横目で周囲を見ながらメルグロイは眉をひそめた。くそったれ。俺はもうおさらばだ。ここから抜け出てやるんだ。
掃き溜め、ごみ溜め。
都市部の外れにある、暗部。
観光案内にも載らず、むしろ旅行者には『あそこにだけは近付くな』と教えられる場所。
別にこの地域に一歩足を踏み入れただけで強盗に囲まれるなんてことはないのに。
単に転落した者達が寄り添っているだけで、危険な場所は限られている。
しかし危険な場所がある以上、地域全体が危険認定されてしまっているだけで。
そのため地域が活性化するチャンスもない。
見向きもされない。
立ち込める嫌な、敗者の空気にしかめっ面をしているしかない。
くそったれ。
これまでの人生もくそったれだった。
つるんでいた友達と一緒に窃盗をして二度ほど捕まったことがある。
せっかく彼女ができたら変な男が怒鳴り込んできてさんざん殴られた挙句に金をとられたこともある。
父が死に際に資産運用に手を出し、失敗し、それが一か月ほど放置されていたものだから負けが膨らんでから家に通知が来たのがトドメだった。
そんな知らない内に膨らんでいたものなど知らないと言ったが取り合ってもらえず、多額の借金を背負うハメになった。
母が必死に働いたところで返せる額ではない。
浮上するチャンスも断たれた。
仕方なく奨学金を受けながら大学に行くも希望が無い。
この先ただただ親の借金を返すだけの人生。何に楽しみを見出せば良いっていうんだ、くそ……
詐欺に手を出して稼ごうとしたが、半年もしない内に警察の突入があり、何とか事前に逃げたものの、それでやめた。
末端だと尻尾切りされると分かると、リスクに見合わない気がしたのだ。楽して稼げる方法、無いのかよ……いや、ハイリスクでも良い、それに見合ったハイリターンさえあれば。そうすりゃまだ賭ける気になれる。未来に夢が見られる。でも今のままじゃ先が真っ暗なんだ。何も見えないんだよ……!
大学の構内で、ベンチで一人溜息をついていた。
笑顔で話しながら歩いている者達を、上目遣いで視界に収めながら。
周囲のあいつやそいつは、まだ先があるから良い。先が明るくなくても、灰色でも、真っ暗じゃない。それならまだ生きる気力も湧いてこようというものだ。
そんな風にしていた時だ、スーツが破れるんじゃないかという程の屈強な男が現れたのは。
どこから嗅ぎ付けたのか、そいつは奨学金をチャラにしてやるから軍へ入れと誘ってきた。
そういえば奨学金も借金だったのか、とそこで気が付く。
この話に乗れと妹は強く勧めた。
妹・フレーラはメルグロイと違って明るさを失わない女の子だった。
口うるさくて世話焼き、そんな性格を詰め込んだ人間だ。
毎回メルグロイが失敗する度に説教してきた妹は、何とかちゃんとした人間にさせようと躍起になっていた。
『兄さん、これは最大にして最後のチャンスだよ! この話に乗ればもう詐欺なんかに手を出さなくても済むじゃない! 衣食住ぜんぶ面倒見てくれるし退役後も良いアピールポイントになるじゃない! お願いだから決断して!』
メルグロイは勢いに押される形で軍に入った、というのは言い訳だ。フレーラには苦労をかけっぱなしだったからな。ちゃんと説教してくれる奴なんてこいつ以外いない。だからまあ、せめてこいつが幸せになるために少しでも俺が負担を軽くしてやれれば良いんじゃないか、なんてガラにもなく思ったんだ。
全てをやり直そう。
そうして軍に入った。
想像していた以上に訓練はキツいし朝は早いし何度か逃げ出そうと思った。というか逃げ出して飲みに行ったりして上官に殴られて連れ戻された。
月日が経つと慣れてきて、何とかやっていけるようになった。
そこで、次の誘いが来たのだ。
【アイギス】へ行けば多額の報奨金を貰えるが、行ってみないか、と。
いつもの上官でなく参謀本部の何とかとかいうわけのわからない肩書を持った貧弱そうな男が、人払いまでして持ち出してきたのだ。
当然のようにメルグロイの家庭環境も借金の残額も、妹の成績まで調べてあった。
そして借金の残額を指さし、男はこれと同じ額を報奨金として出してやると囁いた。
メルグロイは手を震わせた。
何度も手の汗をシャツの裾で拭った。
これで、解放される。
フレーラを行きたい学校に受験させてやれるし好きな人生を歩ませてやれる。
母のやつれた頬も、存分にふっくらさせてやれる。
自分も好きに生きられるようになる。
喉をごくりと鳴らし、話を受けた。
スラム街とそこから先の境界線まで来た。
明確な境界線だ。
メルグロイは振り返り、敗者の空気漂う生活の風景を目に焼き付ける。
そして、顔を戻した。
すると、視界に映るのは艦内の通路だった。
もう一度振り返るも、粗末な家など並んでいない。
虚ろな目をした老人も、その傍を走っていく子供たちもいない。
「おい、メルグ、どうしたんだ?」
隊仲間のレンブラが怪訝な顔で尋ねてくる。
おや、とメルグロイは隣のレンブラに目を向けた。
自分がこの男と一緒に歩いていたことも忘れていたのだ。
一拍置いて、思い出す。ああそうか、俺はこいつと倉庫の奥に向かっていたんだっけ。
メルグロイはセシオラと別れた後、レンブラと一緒にカジノの奥の倉庫エリアを歩いていたのだ。
「いや、何でもない。今日の夕食後は何をして遊ぼうかな、と」
白昼夢を見ていた、なんて言ったら笑われる。
レンブラは角ばった顔に糸目の男で、気さくな男だ。
ただ、カウンセリングが効きすぎているのか、感情の表し方がわざとらしいというか、機械的ではある。
男女関係と判断したのか、レンブラは口元を綻ばせた。
「あの宇宙人か、よく喋る明るい娘だったな。今は何して遊んだって楽しいだろう」
「よく喋るというか、口うるさくて世話焼きなんだよ。今日だってちょっとした寝癖すら許してくれなかった。まあ、お陰で身なりはちゃんとしたが」
ズボラな分、エミリーがいると助かるな、とメルグロイは苦笑する。どうやら俺はそういうパートナーがいると安定するらしい。
「それはお熱いことで。だが、気を付けろよ。重要なことを口を滑らせたりすると、お喋りな者から一気に広がってしまう懸念がある」
レンブラは口元を綻ばせたまま釘を刺すように言った。
言葉の内容と表情が食い違っている。
「大丈夫さ、むしろ必要なことだけを教えた。たぶん今頃はそこら中に例の話を広めてくれているはずさ」
「ああ、そういうことなら頼もしいな!」
「そうだろう?」
メルグロイが得意気に言うと、レンブラは笑顔でうんうん頷いた。
「せいぜい処分する前に役に立ってもらうか!」
「ああ、そうだな」
メルグロイは普通に返す。
これもカウンセリングのお陰だ。俺は『酷い』が、それは『任務をしている俺が酷い』のであって『普段の俺』は任務から解放される、だから罪は『任務をしている俺』が被ってくれるので問題無い。紛争でもあればどこにでも発生している日常の一コマだ。
だが、それから歩き出してもレンブラの笑顔が妙にこびりついて離れなかった。




